ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ
2020.02.25 UP

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ | 40 海はおぼれやすいので。

DIVERSITY

 先日、前職の先輩の頼みで、中学3年生たちと話す機会があった。「LGBTについて学んでいる中学生たちに太田の話をしてやってほしい」、とのことだった。先輩は今、教育関係の事業をやっていて、中学生らはその事業が手掛けたプログラムの受講生だ。そんなことなら全然いつでもいいですよ、と僕はすぐに引き受けて、数日と経たないうちに渋谷にある先輩のオフィスに向かった。

 指定された古いビルのオフィスに入ると、外観からは想像がつかないようなきれいなフローリングと吹き抜けの空間が広がっていた。すぐに窓際の半個室で背筋をスッと伸ばして座っている制服姿の3人が目に入る。一列に並んだ背中は就活を思い出させたが、彼らのそれは、就活生よりもずっと細い鉛筆の線で描かれたような、繊細さとか儚さみたいなものがあった。

 僕は待たせたことを詫びるようにわざとらしく駆け寄って、遅くなってすみませんと挨拶をして、時間もそんなにありませんよね、すみませんと早速自己紹介をした。笑顔で立ち上がってくれた彼らは、正面から見るとなおのこと線が細く、色が淡く見えた。彼らには自己紹介として「なんでLGBTについて知りたいと思ったのか?」を話してもらった。みなイキイキと、時に視線を落としたり宙に浮かべたりしながらいろんな話をしてくれたが、揃って言っていたのは「苦しんでいる人(LGBT)がいるなら助けになりたい」ということだった。

 苦しんでいる人がいるなら助けになりたい。彼ら一人ひとりが腹の底で何を考えてそう言ったのかは分からないが、なるほど、僕にもそんなことを考えている時期があったなと思った。僕はちょうど彼らと同じ中学3年の頃、中島みゆきの曲「誕生」にやたらとハマッた。歌詞の中に「すがりたい誰かを失うたび、誰かを守りたい私になる」という旨の言葉が出てくる。自分の願いは叶わずとも、強くなれば誰かの願いをきっと守れる。この視点の転換に当時の僕はいたく感動したのだった(どれくらい感動したかというと、合唱祭でMr.Childrenの「Tomorrow never knows」を歌うと決まっていたクラスに「誕生」への変更を執拗に求め、実際変更させるに漕ぎ着けたほどだ。いい迷惑だったろうと思う)。

 あの頃の幼い僕には、家族関係や友人関係の問題から自分を助け出す知恵も知識もなかった。ゲイだし、勉強もできないし、毎日なんか違うし、いつかちゃんと幸せな大人になれるイメージもない。人生は暗くて深くて大きな海でいつまで経っても足が着く気配がなかった。そのうえ、陸が僕には見当たらなかったから、それなら今目の前で溺れている誰かに出会って、その手を握りたかった。そうすれば、今よりずっと意義とか、つながりとか、希望みたいなものを感じられると思っていた。

 だけど歳をとると、途方もない海の潮も引いていくと知る。それはたくさんの人に出会い、西にも東にも行って、知恵や知識がついたからだ(海なんて経験せずに生きてきた人がたくさんいることも知った)。よくも悪くも自分の足元がハッキリ見えて、どっちにいく? と自問する時期がおのずとやってくる。人生は海から陸になるのだ。

 僕にとって海で右往左往した日々は仕方のないものだったし無駄だったとは思いたくないが、できるだけ早く人は陸にあがったほうがいいと今思う。それは、願ったところで叶わないことがあるのが「願い」である一方、叶わないからと言って、消えはしないのが「願い」でもあるからだ。大人になってずっと叶えたかった夢を叶えるのもまた一興ではあるが、願いは、願いたての新鮮な内に叶えようと動くことで人生にハリを出してくれる。

 だから「助けになりたい」と言った彼らも、実のところどこかの海で途方にくれていたりするのかなと思い、僕は勝手に心配になったのだった。彼らがただ「LGBTおもしれーーーー!」と思いながらやってくれていたら、と願うが、果たしてそんなことあるのか? なんて思うのだ。お節介で申し訳ない。

記事は雑誌ソトコト2020年3月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・太田尚樹 イラスト・井上 涼

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太田尚樹

おおた・なおき
1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。