鈴木 哲也さん
2020.03.11 UP

この立場だから、できることがある。会社員・鈴木哲也さんの、地域との関わり方。

PEOPLE

大手IT企業に勤める鈴木哲也さん。
会社員の立場でありながら、出身地である茨城県をはじめ、全国各地のローカルプロジェクトに関わっています。
関わり始めたきっかけや、会社と個人の関係などをじっくり聞いてみました!

地元産業が衰退していたが仕事にできるとは思わなかった。

 IT企業の『ヤフー』に勤める鈴木哲也さんは、現・茨城県桜川市で生まれ育ち、幼い頃から地域の変化を肌身で感じていた。「市町村合併する前は人口7000人ほどの村で石材加工業が盛んな場所でしたが、バブル経済が崩壊して石材は中国産に押されてしまい、街が衰退していく様子が子どもでも感じられました。地域を盛り上げることを仕事にできるとも思っていなかったので、地域のために何かできたら……という思いを抱えたまま東京に進学しました」。

 新卒で『HMVジャパン』(現『ローソンエンタテインメント』)に就職。その後『ヤフー』に転職し会社員として日々を過ごしていたが、2012年に転機が訪れる。プライベートで島根県・海士町を訪れたときに、知り合った地元の方と意気投合して、海士町で音楽フェスを開催することになったのだ。「前職の経験から、音楽イベントを開催するノウハウがありました。アーティストは誰にするのか、場所をどうするのか、ホームページの立ち上げ、プロモーションをどうするのかなど、SNSを駆使して企画会議をし、翌年にはフェスを開催することができたのです」。

 それと時を同じくして、鈴木さんは茨城県結城市のイベント「結い市」にも参加し始めた。これは、地元の神社の秋の収穫祭に合わせて、マルシェ、アート展示、コンサートが行われるイベントで、鈴木さんの出身地のすぐ近くで行われていた。「イベントのホームページのビジュアルなどデザインが素敵で、驚きました。そこで何か関わりをもちたいと思って、サイトの問い合わせから当日ボランティアをやりたいと連絡をしたのがきっかけでした」。

復興支援室への配属がきっかけで、石巻にどっぷりと関わる。

 地域との関わりを持ち始めていた鈴木さんだったが、東日本大震災後に立ち上がった「復興支援室」への配属が決まり、2013年4月から3年半、宮城県石巻市に赴任した。主な仕事は、震災の復興支援とその記憶のための自転車イベント「ツール・ド・東北」の立ち上げと、震災により販路を失った生産者たちと連携して商品のPR・販売を行う「復興デパートメント」(現「エールマーケット」)の運営だった。

2013年に開催された「ツール・ド・東北」にて。海外からの参加者と一緒に記念撮影。
2013年に開催された「ツール・ド・東北」にて。海外からの参加者と一緒に記念撮影。
©ツール・ド・東北 実行委員会

 「ツール・ド・東北」の立ち上げでは、開催地の自治体への協力依頼や、参加者に地元産品を提供するための観光協会や漁協の方々との話し合いに明け暮れた。また、参加者の宿泊先不足を補うために、特別に民泊ができるよう国や自治体にも規制緩和を呼びかけ、さらには地元の方々に受け入れ先になってもらえるようお願いに回ったという。「このイベントでは、震災の記憶を伝えて残すことが大きな目的の一つだったので、宿泊先でゆっくりと当時の話を聞けるようにすることが重要でした。これまでにやったことがないことを立ち上げるのはかなり大変で、1年目は説明に時間を要しましたが、一度開催できると翌年からはスムーズに事が運びました」。

震災の爪痕が残るまちなかを走る。応援にも熱が入る。
震災の爪痕が残るまちなかを走る。応援にも熱が入る。
©ツール・ド・東北 実行委員会

 開催から数年で住人から協力したいと申し出がくるようになり、また、仕事を遅くまでしていると地元の知り合いに食べ物を差し入れてもらえる関係にもなって、地域の仕事にのめり込んでいったという。

海岸では復興の工事が行われていた。
海岸では復興の工事が行われていた。
©ツール・ド・東北 実行委員会

 また、鈴木さんはプライベートの時間を使って、自分の好きな音楽をフックに東北との関わりを持ち始め、「東北ジャム」「PARK ROCK ISINOMAKI」といった音楽フェスの立ち上げ、開催に関わった。「『ツール・ド・東北』と同様、震災で旅行客が少なくなった地域にどう人を呼び込むかが課題だったので、音楽を媒介にして足を運んでもらう目的で実施しました。そのほかにも、牡鹿半島のツーリズム、そこで活動する人をつなぐコンソーシアム(共同事業体)、被災した缶詰工場の倉庫をスケートパークにする活動など、いろいろなことに関わりましたね。地域の方と一緒に活動することが楽しくて、できることはどんどんやろうと思っていました」。

仕事と個人の活動をクロスさせ、地域と人の関わりをつくり出す。

 社会の変化に伴い、会社では「地方創生支援室」(当時)が立ち上がった。地域との関わりの経験者である鈴木さんは2016年、東京に戻りそこに配属されることになった。

 地元茨城のイベントを手がける「結いプロジェクト」にプライベートで参加し続けていた鈴木さん。会社では地域の自治体と取り組みを始めたいという意向があり、すでに個人でつながりのあった結城市の名前が挙がった。結城市側も、商工会議所、まちづくり会社、市役所が一緒になって地域を活性化する事業に力を入れようという機運が生まれ、鈴木さんは会社と結城市で契約を結んで移住定住アドバイザーの立場で関わることになった。週に2日現地に在駐し、空き店舗が多くなっていた地元商店街を活性化する事業と、ITを活用した人材育成プロジェクトとして高校生や事業者を対象にプロデュース、マーケティング、販売などについて学ぶ事業の2本柱を担当した。

 また、ここでもプライベートの時間をうまく活用し、『茨城移住計画』の立ち上げメンバーになった。「茨城は広い県で、大きく5地域に分かれるのですが、地域同士の交流が少なくて、隣の地域が何をやっているのかわからない状況でした。そこで、それぞれの地域で活躍している人が別の地域でその内容を発表し、集まった人とつながるイベントを開催したり、また、東京にいながら茨城との関わりを持ちたい人向けにも開催したりしました」。

 そんな活動をきっかけに、18年からは結城市に加え、茨城県の移住定住アドバイザーも担うことになった。そこでは、移住定住の前段階として、そもそも茨城という地域に関心を持ってもらうべく、地元企業や団体の課題を取り上げ、茨城の未来をよくするにはどうしたらいいかワークショップ形式で考える「if design project 茨城未来デザインプロジェクト」を実施した。

結城市の旧呉服店をリノベーションした『Coworking & Café yuinowa』。
結城市の旧呉服店をリノベーションした『Coworking & Café yuinowa』。

 鈴木さんは、会社の仕事と個人の活動を切り分けながらも着実に活動の幅を広げていき、プライベートでは結城市で築90年以上の旧呉服店をリノベーションした『Coworking & Café yuinowa』の立ち上げも行った。「結いプロジェクト」で年数回行われるイベントは順調に来場者を増やしたものの、日常的に人が集える場が必要だという声が上がっていた。そこで、場所や時間にとらわれない働き方をする人を対象に、コワーキングスペースをつくったのだった。 

結城市でのプロジェクト「結いのおと」の音楽イベント。例年大盛況だ。
結城市でのプロジェクト「結いのおと」の音楽イベント。例年大盛況だ。

「とはいえ、オープンしてすぐに人が集まるものでもないと経験しました。そこで、併設のチャレンジキッチンを活用し、お店を始めたいけれど、いきなり店舗を借りるにはハードルが高いと感じている人への貸し出しや、イベントスペースとして機能させることにしました」。

 住民のニーズをとらえ、軌道修正を重ねながら、結城という地域に合った人との関わりの場を生み出していった。

『Coworking & Café yuinowa』では、新たなコミュニティが生まれている。
『Coworking & Café yuinowa』では、新たなコミュニティが生まれている。

会社員として、個人として。どう地域と関わっていくのか。

 鈴木さんは、地域との関わりにおいて、個人の立場と会社での立場をうまく活かしている。関わるうえで気をつけていることがあるという。「個人的に地域との関わりを持つようになって、もうすぐ10年が経ちます。相談を受けて、会社として取り組めそうな場合は会社員として、別の方法が良さそうなら個人で関わります。ただし、個人の場合は、会社の看板を発揮することはできないこと、地域の関わりは持ち続けてきたのでそのノウハウを生かして個人で参加することを相手に了承してもらいます。そうでなければ、相手が企業の力を使って何かができると別の期待をしてしまい、誤解も生じやすいですから」。

 そして昨年、会社の「サバティカル制度」を使って3か月の休暇を取得。個人として地域に向き合ったという。「地域にどっぷりと浸かった場合に、どんな風景が見えてくるのかを確かめました。切実に食べていけるのか、いいところだけではなくて、継続的に進めていくためには本質的にやりたいこととは離れたこともやって資金を得ないといけないのか。身をもって確かめたいと思いました」。

 結果、会社員を続ける判断をした。「地域のお金の問題に向き合わずに会社を辞めては後悔が残ると思いました。これまで資金がなくて解決できなかった地域課題をいくつも見てきました。クラウドファンディングで資金は得やすくなっていますが、昔からある『寄付』を通してお金の問題に正面から向き合い、根本的な課題解決につなげたいと思っています」。タイミングよく、「Yahoo!ネット募金・ボランティア」の部署に配属され、日々の仕事に大きな意義を感じているという。

 会社員を続けたとしても、もちろん地域との関わりは消えるものではない。働きながらも地方のことに携われるのは、その時々の仕事の状況に合わせて役割や関わり方を変えて調整しているからだ。「移動時間も大いに活用して、スマホでなるべくたくさんのことをこなしています。仕事でもプライベートでも忙しい日々ですが、東京から離れるだけで“頭のモード”が切り替わります。私たち世代の地域出身者は、東京で働くことが立派という雰囲気のなかで育ってきたけれど、今になると子ども時代には感じられなかった地域のおもしろさが再発見できたし、地域だからこそ尖ったことができる可能性があるんです。地域でたくさんの仲間に出会えたことが、今の自分につながっています」。

 これから立場や状況が変わったとしても、地域との関わりは持ち続けたいと鈴木さんは語る。会社員として、個人として、それぞれの立場で関係性を膨らませていくことで、地域も、関わる人自身も豊かになっていくのかもしれない。

ぐんぐん広がる!  鈴木さん流 地域との関わり方。

2012年

  • 島根県・海士町にて島の方と意気投合
  • 茨城県結城市の「結いプロジェクト」に関わり始める

2013年

  • 宮城県石巻市に赴任
  • 「ツール・ド・東北」開催 
  • 「音つなぎアコースティックフェスティバル(島根県・隠岐島)」の立ち上げ
  • 「東北ジャム2013in石巻」立ち上げ

2014年

  • 「結いのおと」立ち上げ
  • 「PARK ROCK ISHINOMAKI」実施

2015年

  • 「東北ジャム2015in女川」実施
  • 「音つなぎアコースティックフェスティバル2015(島根県・隠岐島)」実施

2016年

  • 異動
  • 結城市の移住定住アドバイザー着任

2017年

  • 『Coworking & Café yuinowa』立ち上げ
  • 『リトウ部』立ち上げ
離島好きが集まる『リトウ部』イベント。
離島好きが集まる『リトウ部』イベント。
  • 『Zuppa Ishigaki 離島ターミナル』立ち上げ
石垣島の地元の方との交流拠点『Zuppa Ishigaki 離島ターミナル』。
石垣島の地元の方との交流拠点『Zuppa Ishigaki 離島ターミナル』。
  • 『茨城移住計画』立ち上げ

2018年

  • 茨城県の移住定住アドバイザー着任
  • 『コワーキングスクールキャンプ』立ち上げ
『コワーキングスクールキャンプ』にて、コワーキングスペースの運営方法を指南する。
『コワーキングスクールキャンプ』にて、コワーキングスペースの運営方法を指南する。

2019年

  • 『ローカルコワークアソシエーション』立ち上げ
  • 長期休暇
  • 異動
  • さまざまな地域で活動を広げ、深める

『ヤフー』・鈴木哲也さんに聞きました!

Q:関係人口になって、得たことは?

A:心の拠り所が増えた。

 人とつながり、一緒に取り組みをしていった先に、いてもいい、帰ってきてもいいという場所が地元以外にでき、心の拠り所が増えたことです。

Q:関係人口になるコツは?

A:コツコツと取り組む。

 意識して関係人口になろうとするとうまくいかないと思います。相談事、頼まれたことを一つ一つ誠心誠意取り組むことの積み重ねが大切です。

記者の目

関係人口の現場を取材して。

 地域で何かを起こすには、仲間を見つけてチームを組み、役割分担をしてプロジェクトを進めていく。そして、まずはやってみて、修正を重ねていく。これが、たくさんの地域と関わりながら結果を残してきた鈴木さんスタイルだと思いました。

記事は雑誌ソトコト2020年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photographs by Masaya Tanaka
text by Mari Kubota

キーワード

鈴木 哲也

すずき・てつや
1977年生まれ。茨城県出身。『ヤフー』に勤務するかたわら、さまざまなコミュニティで活動。地方のコワーキングスペースの立ち上げを支援する『ローカルコワークアソシエーション』の理事、離島好きが集まる『リトウ部』部長、石垣島のコワーキング・シェアスペース『Zuppa Ishigaki離島ターミナル』発起人などを務める。