菊地良太
2020.03.12 UP

見慣れたはずの日常を、再認識してしまう。菊地良太

PEOPLE

菊地さんの作品を鑑賞した後は、今まで以上に街のあちこちが気にかかる。その理由は、観た人の頭の中が、想像や記憶で占拠されているからだろう。

街灯ってこんな形してたっけ?こんなところに標識あったっけ?

 自分の肩書はわからないんです。全部ごちゃまぜ」。そう話すのは、フリークライマーであり東京藝術大学で助手も務める、菊地良太さんだ。

 菊地さんは、自然にできた穴や出っ張りを利用し、道具を使わず身体ひとつで登る、フリークライマーとしての経験を生かし、暮らしの中に在る交通標識や街頭に登る。そして、自身が入り込んだその風景を、写真や映像に収め発表している。けれども冒頭の発言のとおり、菊地さんの名刺には「東京藝術大学 美術学部 先端芸術表現科の教育研究助手」以外に、肩書らしきものは書かれていない。

 当時のトップクライマーが中学の同級生だったことも影響し、山岳部に入部した高校1年から、近くの公民館にあったクライミングウォールで、経験を積んだ。そしてさらなる難易度を求め、電車で1時間以上離れたクライミングジムへ通いつめるほど夢中に。一方で、グラフィックが好きだったことや家庭環境も手伝い、高校卒業後は東京藝術大学のデザイン科を目指す。しかし5年間の浪人の末、進学を断念。その後は、アウトドアショップでアルバイトをしながら、まとまった休みの度に、海外の岩肌に登る時間を過ごした。再び藝大へという気持ちは、突然出てきたわけではない。藝大へ進学していた、浪人時代の友人たちの展覧会を目にしては、やっぱり作品作りって素晴らしいなあと思い続けていたのだ。

 「デザイン科は落ち続けていて、どうやったら通るのかもうわからなかった」うえに、二次選考がポートフォリオと面談だったという理由で、志望学部を先端芸術学科に変更。どういったルートで登るのかを事前に描く“オブザーベーション”はクライマーの常識だが、同じクライマーだからこそわかる、動きの先を読んだ写真たちが決め手となったのだろうか。浪人生活10年目を迎えたタイミングでついに、東京芸藝大学の先端芸術学科に合格した。

 藝大生となった菊地さんは創作活動をスタートしていくが、現在の表現にもつながる、街中の建造物に登った自身の様子を写真に収めるという形態に対しては、どうやって? という疑問が残る。というのも、登る当事者である以上、自分で自分の写真を撮ることはできないからだ。

 いくら画角や構図を自ら決めたとしても、シャッターを押す瞬間を誰かに委ねてしまうことに不安はないのだろうか。すると、気にしていないとでも言うようにこんな答えが返ってきた。「登った瞬間、ああ、ここは気持ちいいなあって思う。ただそれだけって言ったら語弊があるけど、登った時点で、なんかもう完結しているんです。でもそれだけじゃ、日常風景の中に登り、入り込むことで生まれる“動き”は、現場にいる人にしか伝わらない。広く伝える道具としてカメラを選んでいます」。

街灯の曲線と菊地さんが一体化した作品、「born#1」。
街灯の曲線と菊地さんが一体化した作品、「born#1」。
© Ryota Kikuchi, courtesy KANA KAWANISHI GALLERY

 そして、自ら作品の一部になることについては、「自分への注目を集めたいからではありません」とも添えた。その証拠に、撮影時の衣装は、白いTシャツに黒いパンツとあくまでもシンプル。観る人が、菊地さんではなく風景全体へと意識を集中させられるよう、配慮がなされている。あくまでも目立たぬように、風景に入り込む。しかし、完璧に入り込むことでむしろ「街灯ってこんな形してたっけ?」と、想像や記憶で、観た人の頭の中を占拠していくのだ。

 実際に、菊地さんの作品を鑑賞した後は、今まで以上に街のあちこちが気にかかる。街灯や標識を目にした時に、これって菊地さんなら登れるんじゃないか? 登ったらどんな感じだろうか? と思い浮かべることにこそ意味があると菊地さんは話した。「なにげなく街の構造物を見た時に、頭に思い浮かぶのが僕だとしたら、菊地良太がメディアとして十分成り立ってるってことだから」。

 参加が予定されている「北アルプス国際芸術祭2020」では、菊地さんはいったいどこに登り、どんな作品を披露するのだろうか。登山者の憧れともされる北アルプスという場所柄、街中ではなく自然の中で登ることもあるかもしれない……と、想像や期待は膨らむばかりだ。

 「山岳部なのに、なぜか避けるように山に登ってこなかった」という菊地さんに、いよいよ巡ってきた機会。フリークライマーとして自然にどのように挑み、アーティストとしてどのような作品に仕上げていくのか。そして私たちは、菊地良太さんによってどんな日常を再認識させられるのだろうか。

『北アルプス国際芸術祭2020』

『北アルプス 国際芸術祭2020』

2020年5月31日(日)から7月19日(日)まで開催を予定されていた「北アルプス国際芸術祭2020」は、新型コロナウイルス感染症に伴う感染拡大の状況等に鑑み、開催を延期されました。

記事は雑誌ソトコト2020年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photograph by Mao Yamamoto
text by Maho Ise

キーワード

菊地 良太

きくち・りょうた
1981年生まれ。東京藝術大学美術学部先端藝術表現学科卒業。東京藝術大学大学院美術研究科先端藝術表現専攻修了。主な展覧会に、「そとのあそび展〜ピクニックからスケートボードまで〜」(市原湖畔美術館、2018年)、 「SOKO LABO」(瀬戸内国際芸術祭、2019年)、「アーティスト・オン・サイト尊景(そんけい)~てっぱくのカタチ『どこここ』~」(鉄道博物館、2019年)。