さとうみかを
2020.03.11 UP

連載 | こといづ | 69 きづな

DIVERSITY

 朝、白猫が起こしにくるので布団の中に誘い込む。ぐぅるぐる、喉を鳴らしてリラックスしているのを見ていると、あと1時間くらい寝てようかと思う。ふと、窓の外を見ると、白い霧がたっぷりと山を包み込んでいて、まるで水墨画のように、不思議な余白の中に時折、紅葉した木々が現れたり、鳥が飛び立っていくのが見える。それにしても、随分と静かになった。川が流れる音がするくらいで、それでも耳を澄ましていると、すうぅぅぅぅ、ぽああぁぁぁぁ、山が遠くで歌っているような、薄っすらした響きがゆったり呼吸のように鳴っている、気のせいだろうか。

 「はよ刈らんと、米がはじけるじょ」、田んぼの前を通る度にヒロシさんが教えてくれる。「もう刈ってしまっても大丈夫かな。はじめてやから分からへんねん」「これ以上大きくはならん。それより、刈ったら干さなあかんじょ。干したら脱穀せなあかんじょ。脱穀したらに並べて天日干しせなあかんじょ。籾摺りせんならんじょ。稲は、植えたら育つ。ほっといても育つもんは育つ。そんりゃあ、育ち切ってからが大変やじょ。口にするまで長い道のりじゃえ」。考えるだけでくらっときた。たった三畝の田んぼでも、手でやると大変だ。それでも一歩一歩やるしかない。風にゆったり揺れる稲穂のカサカサした声が気持ちいい。稲を刈っては束ね、稲木に干していく。もうだいぶ刈ったやろうと顔を上げてみると、まだまだ稲が残っていて唖然とする。遠くから見ていると、たいした広さではないので2日ほどで終わるかと思っていたのに、結局1週間も掛かってしまった。時間が掛かった理由に、今ひとつ、稲の掛け方がしっくり分からない。物干し竿のような木の棒に、刈った稲を載せていくだけなので、ちょっとバランスを崩すとドサッと下に落ちてしまう。大工のスエさんが言っていた「総持ち」という言葉を思い出していた。「一本一本の柱ややらが寄ってたかって大屋根を支えとるでな。ちょっとのことでは倒れん」。そうかあ、ひとつひとつで、みんなで一緒に、互いに作用し合いながら大きなものごとを支える。僕も「総持ち」ができるようになりたいなあ。まだまだ下手くそなので、田んぼの前を通る度に「あっ、また落ちてる」と稲穂を拾っては掛け直す。村のおじいちゃんたちが米の収穫時期になると少し気が立っていた理由がようやく理解できた。風が吹いたり、雨が降ったりする度に、また落ちているんじゃないかと気が気でなくなっていく。それでも順々に増えていく稲掛けを見ていると、ほっこり誇らしくなってくる。藁葺き屋根のようにも見えるので、小さな家を建てている気分だ。疲れ切った躰を伸ばしながら、あと少しあと少しと思っていたら、まさかの台風がやってきて、見事にすべての稲を落としてゆかれた。肝心の米も3分の1くらい外れ落ちてしまった。それでもめげずに干し直していると、「ほんに、米をつくってるのか、藁をつくってるのか、わからんようになって。まあ」、ハマちゃんが笑いながら手伝いに来てくれた。

 「足踏み脱穀機やったら倉庫の2階にあったはずやじょ」とヒロシさんが言ってくれていたけれど、倉庫の2階というのがなんとも大変そうな響きだったので、脱穀も手でやってみることに。ぎゅっぎゅっと牛の乳搾りのように、稲穂を揉みしごいていくと、パラパラと籾が外れていった。唐箕という大きな農具があれば、大量の藁クズを簡単に風で飛ばせるけれど、物がないので、あれこれ試してみる。自然に風が吹いてくるタイミングを見計らって、高いところから籾つぶたちをゆっくりと落とす。すると、軽い藁クズや実が入っていない籾だけが飛んでいって、重い籾だけが残る。それでもまだまだカスが残っているので、箕に入れて、シャッシャッ、チャーハンを炒めるように跳ねさせて軽いカスを飛ばしていく。こういうことをやっていると、実に気持ちがいい。風や重力や、そういう自然にあるものと自分の躰と、共同で仕事をする。それに、前世というものがあるのか、先祖が米作りをしてきたからなのか、稲を触っていると「あっ、なんかしらんけれど、よく知ってる」という心持ちになる。わらわらと溜まってきた大量の籾粒に手を突っ込むと、こちらの細胞までわらわらと騒いでくる。「あんた、チャワチャワしとんのか」、ハマちゃんがやってきた。ちゃわ? ちゃわ?? 「あんた、これはカスが交じっとおる。米と違う。貸しとみ。こうするんや」、チャッ、チャッ、チャッ、チャワ、チャワ、チャワ、「ほおれ、米らしくなった。色が違うやろ」。う、うまい。箕を微妙に回転させながら、チャッ、チャッ、とカスを飛ばしていく。「チャワチャワ、音が鳴ったら米や。他の音は違う。チャワチャワ鳴るまでやりなさい」。

 手際やタイミングも悪かったし、肥料も何もやらなかったので、出来はそこそこだったけれど、特別なお米ができた。何が特別かというと、この米の成分は、この里山の成分と同じなのだ。辺りに自然に生きている植物たちは、この山の土や水で育っているけれど、米もそれと同じ土、同じ水、同じ光で育った。ということは、この米と、山の植物たちと、中身は同じなんだろう。もっと言えば、動物や鳥や虫たちも、その植物を食べて生きているのだから、中身は同じ、見た目は違うけれど、同じ山の同じ土、同じ水で育った。ということは、彼らは皆、山そのものなんだと思う。僕たち人間は、アメリカ産や中国産や、同じ国内でも北海道産や沖縄産、いろんな場所のいろんな土や水で育ったものを食べているので、躰の中身がごちゃ混ぜになっている。窓の外にいる木や鳥や、部屋に飛び込んでくるカメムシと、こんなにも距離が近いのに、中身はたくさん距離がある。昔々、人は、動物や植物と仲がよかったと言うけれど、自分が暮らす土地にあるものだけを食べている人は、やっぱりそこに棲む生き物たちと、なんだか仲がいいんじゃないかと思う。

記事は雑誌ソトコト2018年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・高木正勝
絵・さとうみかを

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高木正勝

たかぎ・まさかつ
音楽家/映像作家。1979年生まれ、京都府出身、兵庫県在住。長く親しんでいるピアノで奏でた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画”のような映像、両方を手掛ける。細田守監督最新作『未来のミライ』の映画音楽をはじめ、CM音楽などコラボレーションも多数。2018年11月、この連載をまとめた初の著書『こといづ』を木楽舎より上梓。 www.takagimasakatsu.com