テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか
2020.03.28 UP

連載 | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか | 22 人間のフィーリング

DIVERSITY

 英国ではディーゼル車とガソリン車の新車販売が2040年以降禁止される。フランス、ドイツをはじめとした各国でも同様の動きがあり、世界は電気自動車へ完全移行する流れの中にある。大気汚染を防ぎ、環境問題の解決に寄与する方策であることは間違いなく、今後大きな潮流となろう。

 シンクロするように運転の自動化、自動運転車の普及が見込まれる。センサーで前方を自動追従して車間距離を保つような車も増え、その延長にある完全自動運転のイメージもしやすくなってきた。2040年には75パーセントが自動運転車になるなどの予測も活況だが、確実に起こる現象の時期や普及率をどんぴしゃりと当てることより、運転の自動化の意味を人間が考えることのほうが重要だ。技術的には運転の完全自動化というエポックが今世紀中に訪れること自体はもはや確かなのだから、どう向かい合うかにフォーカスしたほうが得策である。

 道路交通の安全性を高め、運転負荷を軽減する効用は、真っ先に想起される運転自動化のメリットだ。公共交通が不完全な地域や高齢化社会の有望な移動手段ともなる。国内の運転従事者約200万人の雇用が消滅するというネガティブな側面は念頭に置きつつも、電気自動車と運転自動化の掛け算が生み出す社会的価値は計り知れない。

 テクノロジーは、「自動化」という人間の憧憬を形にし続けている。自動計算機は1890年頃に誕生し、ちょうど同じ頃に電動機式のエレベーターが開発された。最初の自動車は1769年に発明された蒸気機関で動く自動車で、1870年に初のガソリン自動車が登場した。あまたの自動化の中でも、移動という行為の自動化が人間にもたらした恩恵は大きい。自動車の変速操作を自動化するオートマチック・トランスミッションが1940年代に実用化されたことで自動度が上がり、ついには運転そのものを完全自動にしようとしている。「人間による運転は違法になる」という予測すらあるから、自動化への力学は強烈なのである。

 僕が免許を取得し、自動車を運転しながら初めて体感したのは、進路の自由度が高い乗り物を操る楽しさ。自動移動個室の利便性を得ることと引き換えに、進路操作が自分の手から離れることで失うものがあるとすれば、いったい何なのか。「ただ楽しい」という非合理性を兼ね備えたフィーリングなど、やわな存在として消滅してしかるべきものなのか。技術的進歩の中で、物悲しさすら背負うことになろう「手動」というものに、どこまでこだわるべきなのか。自問自答するように、僕はあえて操作性を強く感じられる車を選び、ハンドルを握る。ハンドリング、エンジン音、シートに伝わる振動。僕に躍動感を与えるそれらすべてが、合理性の観点からは無価値といえば無価値だ。そもそも車を所有していても乗る時間や維持費をみると割に合わないと考える人も増えている昨今、合理性という圧には、僕の自問自答自体もスクラップにされそうな勢いである。

 利便性にプライオリティを置き、フィーリングという曖昧なものは整理の対象にしたほうが人類の進化にとっても好ましいのだとすれば、テクノロジーは人間をフィーリングごと変質させてしまう可能性がある。人類の進化にふさわしいフィーリングというものがあるのだとすれば、運転が楽しいというフィーリングは反進化系として消去される運命にあるのだろうか。未来へと向かって、少なくとも僕は惜しむように非自動運転車を操る。人間が自ら動かすことにより得られるフィーリングを存続させるか否かは、かくいう人間のフィーリングにかかっている。

記事は雑誌ソトコト2017年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文●小川和也

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小川和也

おがわ・かずや
起業家、著作家、研究者、ラジオ番組ナビゲーターとして、ばらばらの点をつなげて未来をつくる活動をしている。起業家として独創的な事業を生み出し続け、2017年、世界的に権威のあるマーケティングアワード「DMA国際エコー賞」を受賞。人間とテクノロジーの未来を説いた著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は高等学校「現代文」の教科書をはじめとした多くの教材や入試問題に採用され、テクノロジー教育を担っている。北海道大学客員教授として人工知能の研究を行いJ-WAVE『FUTURISM』で番組ナビゲーターとして未来を生きる鍵を声で伝えている。また、実業と学術を往来し多様な表現方法を駆使しながら、未来のグランドデザインを描いている。最新刊は『未来のためのあたたかい思考法』(木楽舎)