僕らは「つらかったこと」ばかり覚えている。
2020.04.09 UP

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ | 41 僕らは「つらかったこと」ばかり覚えている。

DIVERSITY

 「楽勝」という言葉を聞くたび、思い出す後輩がいる。大学時代、僕を慕ってくれたAという女の子だ。僕は彼女やほかの数人と雑誌を作っていた。僕が始めた雑誌だった。Aは天然というか感性の鋭い人で、たいして中身のない僕の話を真剣に聞いては、「感動しました」と大袈裟なことを言ってくれた。そしてそのままよく泣いた。「なに泣いてんねん」と僕や仲間たちが笑うと、彼女も「ほんとですよね」と笑った。彼女はとても笑顔の似合う人で、誰かが発した火力の低い笑いにも、一人だけはじけるポップコーンのごとく笑う人だった。だから、みんなによく愛されていた。

 事件があったのは、1年目の制作期間をなんとか乗り越え、新入生を迎え入れる準備をしていた時のことだった。一応はビジネスのような活動だったから、「新歓」というより「説明会」のような場を僕らは設けた。そこでは代表の僕や、制作部、営業部の部長なんかがプレゼンをすることになっていたが、当然、みんなそんな経験はない。だから、日夜集まって練習するようになった。

 Aもプレゼンを担当する予定だったが、人前で話すのが苦手な彼女は何回練習してもうまく話せなかった。というか実際には十分話せていたが、本人が納得しなかった。何度も「全然ダメですね」と言っては立ち止まり、みんなに助言を求める。ポケットからメモ帳を取り出し、地面に這いつくばってメモをとる真剣な姿は今思えば切実だったけど、当時はみんな「熱い」くらいにしか思っていなかった。みんな若かった。

 そんなAがある日、僕の練習を見て「太田さんはプレゼンなんか楽勝ですね」と言ったことがあった。「どうやったらそんなにうまくなるのかな」、彼女はそうつぶやいて笑っていた。だけど僕は代表という立場にプレッシャーを感じていたし、実際自信もなかったから「いや僕も不安やで、Aと一緒や」なんてことを言った。Aは所在なげに笑みを浮かべたまま「そうですよね」と言った。

 そして明日が本番という最後の練習の日のことだ。Aはみんなの前に立ったかと思うとじっとうつむき、震えて泣き始めた。「大丈夫?」、みんなが一斉に励ましの声をかける。「どうしたん? 自分のペースでいいねんで」、そんな言葉に取り囲まれながら彼女は「どうしたらいいかわかりません。できる気がしません。すみません」と何度も繰り返した。

 結局説明会はAなしで乗り切り、彼女もしばらくしてチームに戻ってきた。だけどゆっくりゆっくり、そこから1年ほどをかけて彼女は僕たちから離れていった。今では連絡さえもとれない。いろんなことがあったから、あの日がすべてではなかったと思うが、彼女を僕は、僕らは、静かに追い込んでいたのだと今になって思う。

 もし彼女が去らなかったなら、僕の中には「Aも僕もプレゼンを頑張った」くらいの記憶しかきっと残らなかった。そして時々飲みに行くAに「楽しかったよね!」と言ったのだろう。人は、自分が頑張ったこと、乗り越えたことはよく覚えてるもんだけど、楽勝だったことなんてあまり覚えていない。というか覚えていないどころか、楽勝だったことの大半を、僕らは楽勝だったと自覚さえしていないんだと思う。それはなぜなら、楽勝だったからだ。Aが言うように、僕のプレゼンはきっと楽勝だった。

 僕は今、ジェンダーに関するイベントで話すことが多く、そういう場に行くと「ジェンダーについて学ぶ意義はなんだと思うか」と聞かれることがあるが、そういう時はいつもこう答える。「ジェンダーを学ぶというのは、男の自分だったから、女の自分だったから楽勝だったことは何かを振り返ることを通じて、自分だったから楽勝だったことすべてに思いを馳せることだと僕は思ってます。例えばこれは俺が社長だからかもしれないとか、この顔だからかもしれないとか、喋りがうまいからかもしれない、とか」。そう言う僕の頭には、いつもAの顔が浮かんでいる。

記事は雑誌ソトコト2020年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・太田尚樹
イラスト・井上 涼

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太田尚樹

おおた・なおき
1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。