科学的発見は、一等賞にしか……
2020.04.24 UP

連載 | 福岡伸一の生命浮遊 | 86 科学的発見は、一等賞にしか……

DIVERSITY

 科学的発見は、一等賞にしか表彰台が用意されていない。つまり第一発見者だけがその功績を認められ、発明であれば、一番最初にそれを成し得た人物のみが勝利者としての栄誉を得る。栄誉だけでなく、賞金や特許権などの金銭的報奨も独り占めする。二番手、三番手に表彰台はない。

 しかしながら、科学的発見や発明は、しばしば時代的な機運や潮流の上に初めて花が開く。マネやパクリでなく、独自にそれぞれ同じことを考え、同じゴールに向かって邁進し、同じ結論に至ることがある。

 このような場合、いったいどうやって真の一番手を判定できるのか。100メートル競走や競馬とちがって同じトラックで一斉にレースが行われるわけではない。科学においては、誰が一番最初に発見や発明を「公表」したか、ということによる。

 何か重要な発見が公表されたとき、後から「いや、俺のほうが先に思いついていたんだ」というケースが必ず表れる。そのような事後的なクレームを排除するにはたったひと言、「では、なぜ先に公表していなかったのか?」という反論で事足りる。

 「公表」は、正式には学術論文がしかるべき専門誌上に掲載されることによる。学会での口頭発表、あるいは記者会見のような方法による公表が認められることもある。近年では、インターネット上に公開されることによる「公表」もありうる。

 天才数学者グリゴリー・ペレルマンによるポアンカレ予想証明の論文は、ある日突然、インターネットに掲載された。通常の学術専門誌の場合、審査員が論文刊行の可否を検分するのだが、ペレルマンの場合、自分で勝手にアップロードしただけだったので、当初、誰もその真価を判定することができなかった。特に数学の場合、ごくわずかの専門家しか証明が正しいかどうか、わからない。1年近くにわたる専門家の検証を経て、ようやくペレルマンの証明が正しいことがわかった。ペレルマンはその後、数学界のノーベル賞であるフィールズ賞、賞金1億円のクレイ数学賞を受賞することになったが、隠遁生活のまま、いずれの授賞式にも現れず、受諾の意思も表明しなかった。

 科学的発見を「公表」することは、その知見を社会全体の共有財産とする、という意義がある。これには実は長い歴史がある。17世紀後半、オランダのアマチュア科学者アントニ・レーウェンフックは自作の顕微鏡を使って、水中の微生物や精子の存在を発見した。ところがそのすぐ後になって、「精子を発見したのは自分が先」と主張する人物が同じオランダに出現した。ニコラス・ハルトソーケルというプロの科学者だった。彼は「精子が人間の種になっていることを証明した」とまで主張し、実際、精子の頭部に小人が体育座りをしていている様子をスケッチした顕微鏡観察図を公表した。

 レーウェンフックは、もともと論争や紛争に巻き込まれたり、批判を受けるのが嫌だったので、自分の研究を公表することに逡巡していた。しかし、それを強く勧めた人物がいた。イギリス王立協会のヘンリー・オルデンブルグである。イギリス王立協会は17世紀に設立された科学者の団体で、世界最初の学会、もしくは科学アカデミーと呼ぶべき組織だった。イギリス王立協会は、専門官を各地に派遣して、新しい発見を行った人材を発掘し、その知見を公表・共有することを振興した。

 オルデンブルグはまさにそのような外交官的役割を担ってたびたびヨーロッパを旅し、アムステルダムを訪問したとき、レーウェンフックの噂を聞きつけ、はるばる小都市デルフトに赴いて、レーウェンフックに自分の研究を公表することを強く勧めた。最初は逡巡していたレーウェンフックだったが、後に自分の研究成果を次々と王立協会に送り出した。オタクは自分の発見を自分だけの秘密にしておきたい一方、それを皆に自慢したい気持ちも同時に抱いているものだ。オルデンブルグは、レーウェンフックのそんな性格を見抜いていたのである。

 レーウェンフックの顕微鏡は驚くべき精度と倍率を有しており、その観察も、ハルトソーケルの妄想に比べ、ずっと正確だった。現在、レーウェンフックが顕微鏡の始祖として、微生物や精子の発見者として科学史に名を残しているのは、王立協会に発表の記録が日付とともに残っているからにほかならない。

 私たちのGP2研究も、小なりとはいえ同じような研究競争の最中にあったのだが、当時、私たちはそのことに気づいていなかった。

記事は雑誌ソトコト2017年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・福岡伸一
collage by Koji Takeshima

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。