現代版の「寺子屋」を、地方でつくる。
新潟を拠点に、32校の専門学校、MBA取得可能な大学院大学、時代のニーズに合わせた医療福祉関係の大学や施設などを運営する『NSGグループ』。代表の池田弘さんは、新潟市で代々続く神社の家系で育ち、その家業を継いだ宮司でもある。地域経済の衰退を反転させ、地方からのイノベーションを起こそうという熱い思いは教育事業を皮切りに、医療・福祉や介護ビジネス、ベンチャー企業の育成、そして、地元Jリーグのサッカーチームなど地域密着型スポーツ事業のサポートにも広がり、着実に成果を上げていった。その地方創生の実践のベースには郷土愛がある。そこに日本再興の新たな可能性が見えてくる。
ソトコト(以下S) 池田さんは神社を継いだわけですが、なぜ、多くの事業を手掛けることになったのですか?
池田弘(以下池田) 実家は新潟市の中心部で、室町時代から継がれてきた神社です。私が自分の代を迎えようとした頃、地方の経済基盤は脆弱で深刻でした。進学のために東京へ出て行った仲間のほとんどが、そのまま都会で就職し戻ってきません。継ぐ者がいなくなった商店街はシャッター通りと化し、周りから人がだんだんといなくなっていきました。こうなると、お宮だけでは今までと同じように生計を立てていくのが難しい。お宮を継ぐということは、生涯、新潟に住むことを意味し、そのままではほかに生活の糧を得なければならない、という理由もありました。
S 神社を存続させるためにも事業を起こしたというわけですね。でも、それがどうして教育事業だったのでしょうか?
池田 もともと、お宮やお寺は地方の「寺子屋」なんです。昔から読み書き算盤を教える庶民の教育の場で、代々、地域で誠実にやってきたことで信用があり、宮司を務めながら行うビジネスとしては最適と思いました。始まりは1976年です。お宮の境内に校舎をつくったところ、「わけのわからないことを始めたようだけど」ではなく、「アソコの“バカ息子”がつくった学校がおもしろそう」と、代々築いてきた信用から氏子さんにも好意的に受け入れていただきました。「人づくり」という意味でもやりがいを感じました。
S その教育事業ですが、大学まで設立されました。その目的はどこにあったのですか。
池田 当初は地方イノベーションの活動を支える人材の育成を主にしていました。今では専門学校だけで32校に上り、ほかに大学も設立しましたが、学校ができると居住したり、通学したり、人が増えるので地域経済の循環にいい影響を与えます。若い世代が増え、彼らを受け入れる寮やアパートも建設され、消費も増え、地域の活性化に大きく貢献することになります。
ナンバーワン、オンリーワンの人材を育てる。
S 学校を創設しても、必ずしも学生が集まるとは限りません。少子高齢化で定員割れする大学は少なくありません。
池田 これまでの日本の教育は、東大をピラミッドの頂点とした学歴社会がまかり通っていました。ところが、現在は偏差値に左右されない専門職という山脈型の世の中になっていると感じています。たとえば、カリスマ美容師やオーナーシェフなど、いろんな分野でヒーローが生まれている。漫画家ならば、年収1億円を取れるようなスペシャリストもいます。そういう人材を養成する学校を地方でつくりたい。東京にもそういう学校がもちろんあるけれども、上京して、そこに住み、学費を払って、と高いお金をかけなくても、それは地方でもできる。実績を上げれば東京にも勝てると思いました。
S アニメーター、システムエンジニア、デザイナーなどの育成に実績を上げ、地元からの人口流出を止めるだけでなく、県外からも学生を呼び込みましたね。
池田 2006年に開学した事業創造大学院大学ではMBA(経営管理修士)の資格取得もでき、海外からもその国のトップの大学を卒業した優秀な人材が学びに来ています。修了後は自国に帰って起業したり、そのまま新潟で就職して海外進出の推進役を果たしてくれる人もいます。いずれの教育機関もナンバーワンを目指すほか、オンリーワンも意識しています。たとえば、動物の専門学校です。日本にはペットと人の共生という概念がありませんでしたが、アメリカの世界一の協会と提携し、そのノウハウを持ってきました。新潟にそのシーズがなくても、このような提携によって東京を乗り越えられるんです。ナンバーワン、オンリーワンでないと首都圏に吸収されてしまいますからね。いわば、地方のブランディングです。
S 今は「地方創生」が求められるようになりましたが、池田さんは40年も前から取り組んでいたのですね。
池田 当時は都会の魅力が立ちはだかっていたんでしょうね。新潟の人たちは“裏日本”と言われ、ずっと地域に対し自信を持てませんでした。国策でも新潟の役割は食料とエネルギー、それに人材を供給するところという社会構造上の位置づけできました。二十数年前のバブル期には、地方再生を謳い文句に行政主導で大企業誘致や工業団地の建設が進められましたが、その後、ことごとく撤退し、雇用も失いました。特に、スポーツや文化の面では「東京へ行かなければ一流のものに触れられない」と、誰もが格差を感じてきたはずです。教育事業から始め、人材も育ち始めましたが、さらに人が心豊かに暮らすには? と考えたのが、地域密着型スポーツチームの運営支援です。皮切りがJ1リーグの「アルビレックス新潟」です。新潟の人に夢を与える存在で、いわば新潟ブランドです。
「おらがチーム」という一体感、連帯感。
S アルビレックス新潟が地元に与えた影響はどれだけのものなのでしょう。
池田 サッカーだけでなく、「アルビレックス」の名前を冠にしたスポーツチームはバスケット、野球、チアリーディング、スキー・スノーボード、陸上競技、レーシングとありますが、いずれも地域の宝物です。NSGグループの社是に「幸福と豊かさ」を謳っていますが、幸福とはなんでしょうか? 地方で暮らす場合、家族がいて、子どもに恵まれ、都会だと一人っ子でも地方ならば3人育てられる。そのうちの1人は東京やグローバル企業に出しても、長男なりが両親の元にいて、ファミリーはいつでも故郷に帰る場所がある。幸福を感じる瞬間ではないでしょうか。アルビレックスもいわば、故郷のようなもので、「おらがチーム」なんです。
S Jリーグの中でもアルビレックスは熱心なファンに支えられていますね。
池田 地域の活性化のためには各種行事が不可欠です。昔は村祭りがその役を果たしていましたが、狭い地域ではなく、広い範囲にわたって参加できるお祭りとなるとなかなか難しい。アルビレックスはその役割を果たすと同時にエンターテインメントの側面も持ち、なおかつ、サッカーは世界中で楽しまれているスポーツです。スポーツといえば、かつては都会が主役で、田舎のチームは歯が立ちませんでした。でも、大都市圏の大企業をバックにしているチームを、地域の人たちと複数の地域の企業が支援し、地域全体で支える「おらがチーム」が負かす。「ニ・イ・ガ・タ!」と心の底から応援する声がスタジアムで沸き起こりました。あの感動は誰も忘れないはずです。試合の運営も村祭りが寄進や奉仕で成り立っているように、駐車場の整理からチケット切り、清掃など、多くのボランティアの支えがあって成り立ち、「おらがチーム」として一体となります。
S 経済基盤の立て直しに、中央からの主導をあてにせず、郷土愛を大切にされる池田さんの地方創生は力強いですね。
池田 新潟に骨を埋めてもという人がどんどん出てくるのを望んでいますが、やりがいのある仕事の創出とその仕事を持ってこられる人、つくれる人はまだまだ必要ですね。またこれからは、終末のためだけではなくて活き活きとした老後を送れる介護施設の運営や、そこに関わる人材の育成にさらに取り組みたいと考えています。意欲にあふれる若者にも投資を惜しみません。日本を再興させるには、中央の力に依存しない地方の自立とその力にかかっていると思います。
記事は雑誌ソトコト2017年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。
photographs by Masaru Suzuki
text by Katsuyuki Kuroi