サンガー会の思い出
2020.04.27 UP

連載 | 福岡伸一の生命浮遊 | 85 サンガー会の思い出

DIVERSITY

 ニセモノのヌクレオチド、つまりダイデオキシヌクレオチドを使って、DNA合成を途中で止め、その止まったところのヌクレオチドの種類を読み取ることによって、順次、DNAの遺伝暗号を1文字ずつ解読していく。根気のいる、しかしこの画期的な方法の原理を最初に編み出したのが、英国の生化学者、フレデリック・サンガーである。

 サンガーはある意味で職人肌の化学者で、その一生をタンパク質のアミノ酸配列の解析と、次いで核酸(DNAとRNA)のヌクレオチド配列(つまり遺伝暗号)の解読に捧げた。“シークエンスおたく”ともいえるし、エジプトの古代文字・ヒエログリフを解読したシャンポリオンや、ドイツの軍事暗号・エニグマを解読したチューリングにも比肩されるべき人物である。

 タンパク質が、20種類の異なる性質を有するアミノ酸の連結によって構成されていることはすでに述べた。アミノ酸の順列組み合わせがタンパク質の特性を決める。だから、タンパク質のアミノ酸配列を解析することは、タンパク質の研究にとっては第一義的に重要な課題となる。また、これも説明したことだが、タンパク質のアミノ酸配列こそが、遺伝情報そのものであるから、タンパク質のアミノ酸配列を一部でも取得することができれば、それを遺伝暗号に逆翻訳することによって、そのタンパク質をコードする遺伝子をクローニングする(ゲノムの森の中から釣り上げてくる)こともできる。

 サンガーは、まず若き日の研究目標を、タンパク質のアミノ酸配列解析法の開発に決めた。サンガーは、タンパク質自体を傷つけることなく、先頭からひとつずつアミノ酸を切り離す化学反応を開発した。そして切り離されたアミノ酸が20種類のうちどれなのかを決定するクロマトグラフィーという方法を確立した。これを繰り返すことによって、ひとつずつアミノ酸配列を解読していく。この方法を使ってサンガーは、インシュリンの全アミノ酸配列を決定した。30歳代をこの研究に費やしたサンガーは、40歳のとき、ノーベル化学賞を得た。ふつう、ノーベル賞を獲得してしまうと、化学者は“人生すごろく”の輝かしい上がりとなり、殿堂に祭り上げられ、講演会に引き回されたり、あるいは組織のトップに就いたりして、研究の一線から退いてしまうことが多い。しかし、サンガーは、生涯一研究者を貫きとおした。

 彼が、次の研究目標としたのが、DNAの遺伝暗号解読法だった。そして見事に画期的な解読法となったダイデオキシヌクレオチドを利用する方法を編み出した。タンパク質の解析とは発想を逆転し、ひとつずつ切り取るのではなく、DNA鎖を1単位ずつ伸展していく方法が、ダイデオキシヌクレオチド法である。

 この方法––サンガー法と呼ばれる––は、高度に自動化・高速化されたDNAシークエンス装置の内部でも今もなお採用され、ゲノム解析に多大なる進展をもたらした。

 サンガーは、62歳のとき、このDNA解読法の業績に対して2度目のノーベル化学賞を得た。生涯に2度、ノーベル化学賞を得た人物はサンガーだけである。実はそれだけではなかった。彼はさらに、RNAの暗号解読法も解明したのである。3度、ノーベル化学賞に輝いても全然不思議ではなかったが、これに対しての受賞はなく、2013年、95歳の研究人生を閉じた。

 私は学生時代、このサンガー先生に敬意を表し、サンガー会という内輪の勉強会をつくっていた。この勉強会で、出版されたばかりの大部の分子生物学の教科書を一から読むことにした。

 その日の実験が終わる(実験系の学生は研究室内で一日のほぼすべてを過ごす)。晩飯を食べて一息ついてからサンガー会が始まる。あらかじめ数ページほどの範囲を決め、予習をしておく。会では互いに重要ポイントについて質問を行い、解答する。この単純なしくみがよかったのだろうか、夏は蒸し風呂のような暑さ、冬は底冷えする京都で、私たちはほぼ毎日、雨が降ろうが雪が積もろうが、サンガー会を開いた。そして1年半ほどかかって1000ページ近い教科書の端から端まで全部を読了した。

 分子生物学という広大な学問のおおよその見取り図を見渡すことができるようになったのは、まぎれもなくこのサンガー会のおかげだ。

記事は雑誌ソトコト2017年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・福岡伸一
collage by Koji Takeshima

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。