新型コロナウィルスを考える
2020.05.03 UP

連載 | 福岡伸一の生命浮遊 | 117 新型コロナウィルスを考える

DIVERSITY

 にわかに新型コロナウィルス問題が勃発し、感染が拡大するとともに不安が広がっている。そこで今回はこのウィルスについて考えてみたい。

 コロナウィルスは電子顕微鏡でしか見えない微小粒子で、花粉がラグビーボール大とすると、ゴマ粒程度の大きさしかない。だから通常の花粉予防マスクでウィルスの侵入を防ぐことはできない(しかし、咳やくしゃみの飛沫を広げることは防ぐので、むしろ風邪をひいた側のエチケットとしての効果はある)。

 もう皆さん、テレビなどでその画像をいやというほどご覧になったかと思うが、球形の殻にスパイクと呼ばれる杭が何本も飛び出している。この杭はタンパク質でできていて、このトゲトゲ状のかたちが、まるで王冠(コロナ=クラウン)みたいに見えるところからこの名がある。球形の殻は実は、ウィルスが宿主の細胞から出芽して飛び出してくるときに、宿主の細胞膜を奪い取ったもの。だから普通の脂質二重膜なので、石鹸やアルコールに溶けてしまう。ウィルス予防として手洗いを励行することには意味がある。

 コロナウィルスには複数の種類があり、世界中のどこにでも存在している。一般に普通の風邪と言われているもののうち、1、2割がコロナウィルスによるものと考えられている。コロナウィルスが喉や鼻の粘膜にとりついて、肺などに達すると、そこで増殖を始める。ただし人間の側には防衛システムとして免疫システムの警戒網が備わっているので、こういう異物の侵入は、瞬く間に検出され、リンパ球など「働く細胞」がスクラムを組んでやっつけてくれる。なので、大半の人は、ゴホンと咳をしても何事も起きない。運の悪い人はちょっと免疫系の初動が遅れ、ウィルスの増殖を許し、その結果、発熱、関節の痛みなどの炎症症状が起きる。しかし、この場合もやがて免疫系が凌駕して、回復するのが普通。

 ただし、このコロナウィルスの中でちょっとだけ悪い奴がいる。ウィルスの殻の内部には遺伝子が入っている。コロナウィルスの場合は一本鎖RNA。我々ヒトを含む高等生物の遺伝子はみんな二本鎖DNAなので情報が安定し、互いにほかの鎖を相補しているのでミスが起こりにくいが、ウィルスの遺伝子は一本鎖、そしてDNAより不安定なRNAでできているので、ミス、つまり突然変異が起こりやすい。そして、ものすごい速度で自己複製して増殖する。なので、絶えず新しいバージョンのコロナウィルスが生まれては消えている。殻に生えているトゲトゲのかたちもちょっとずつ変化する。実はこれが感染性と重要な関係がある。ウィルスはこのトゲトゲを使って、宿主の細胞に結合・侵入してくる。つまり鍵と鍵穴のようなもの。ウィルスは絶えず変化する。その結果、より宿主の細胞にとりつきやすく変身し、宿主の免疫系からもうまく逃れて早く増殖する“悪玉”コロナウィルスが出現する可能性がある。それが新型コロナウィルスである。

 かつて問題になったSARS(重症急性呼吸器症候群)やMERS(中東呼吸器症候群)も、コロナウィルスによるものだった。普通のコロナウィルスではなく、変異した新しいタイプである。コロナウィルス、元々は野生動物の体内でおとなしくしていたものが(SARSウィルスはコウモリを、MERSウィルスはラクダを宿主にしていたらしい)変化するうちに、トゲトゲがちょうどヒトの細胞に適合して急速な増殖を起こしてしまった。さらにウィルスはヒトの体内に入った後でも進化しうる。ヒトの細胞内で自己複製を繰り返すうちにも突然変異が起こり、より早く、より効率よく増殖し、かつ免疫系に捕まりにくいタイプが選抜されることになり、凶悪化が進む。

 そんなウィルスが患者の咳やくしゃみで撒き散らかされると、アウトブレイクとなる。今回、問題となっている新型コロナウィルスはすでに分離され、そのRNAも解読された。その結果、SARSコロナウィルスと80パーセントほど類似していることが判明した。つまり、SARSの変形版ということ。いくらウィルスが素早く変異するとはいえ、そこには年単位の時間が必要なので、どこかの野生生物(今回もコウモリが疑われている)に潜んでいたSARSウィルスが、変化を繰り返し、人に感染しやすくなったものだと考えられる。

 高齢者や免疫系が弱まっている人は肺炎などが重症化し、死に至る危険性もあるが、エボラ出血熱やマールブルグ病のような致命的なウィルスが攻めてきたわけではない。むしろ致死率が高いウィルス病は、宿主を殺してしまうゆえに広がることが少ない。今回の新型コロナウィルスが爆発的に拡大した背景には、このウィルス病が軽症あるいは不顕性(症状が出ない)であることが大きい。それが人の移動に乗って世界に広がった。しかも、ウィルス遺伝子検出技術(PCR)とネットのおかげで感染地図が瞬時に可視化される。それが世界を混乱に陥れた。急速に伝播されたのはウィルスそのものというよりも、人々の不安である。これほど大きな社会的・経済的インパクトが地球規模でもたらされるとは、誰も予想できなかった。

 今後の展開はまだ見通せないが、事態の終息にはかなりの時間がかかるだろう。われわれは人類史上稀に見る大転換期に立ち会っており、世界はもう元には戻らないかもしれない。

記事は雑誌ソトコト2020年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・福岡伸一
collage by Koji Takeshima

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。