田村祐一
2020.05.08 UP

連載 | SOTOKOTO mtu 人の森 | 85 「はだかの学校」、開校しました。『日の出湯』オーナー/「はだかの学校」校長 田村祐一

PEOPLE

日本人にとって、「裸のつきあい」はひとつの文化。
お風呂の中で地元の人同士がわいわいと盛り上がり、時には「へえ」と驚く情報を知ることもある。
そんな昔ながらのコミュニケーションを、再び活性化しようと企画されたのが、今年3月にスタートした「はだかの学校」だ。
いったいどんな学校なのか、校長先生に伺った。
『日の出湯』という名の教室で。

先生も、生徒も、裸になると心の距離が近づく。

 銭湯は手軽に日本文化を味わえる場所として、日本人にはもちろん外国人観光客からも注目され、好まれている。しかし、現実問題として、銭湯自体は年々減少している。そんななか、今の時代に合った銭湯文化を広めたいと、アクションを起こす人がいる。それが、創業昭和2年(1927年)の老舗銭湯、東京都台東区の元浅草にある『日の出湯』オーナー・田村祐一さんだ。今年3月に開校した「はだかの学校」というイベントでは、校長としてプロジェクトの中心を担っている。月に一度のペースで開かれるこの学校、誰もが講師や生徒になれるという。気さくで自由なこの企画が誕生した経緯を、田村さんに聞いた。

ソトコト(以下S) 「はだかの学校」とは、どんなイベントでしょうか?

田村祐一(以下田村) 日の出湯の風呂場を教室に、講師も生徒も裸になって授業を行うイベントです。授業料は入浴料の460円だけで、誰でも参加できるようにしています。先生は上野や浅草などこの地域の方が中心で、1回目は浅草かっぱ橋の料理道具屋さん、2回目は落語家さんをお招きしました。地域の文化や歴史とか、落語の楽しみ方とか、それぞれにテーマを設けて“タオル1丁”の姿でお話ししていただきました。参加者は湯船に浸かったりしながら、それを気軽に聞いて楽しむんです。

たむら・ゆういち
たむら・ゆういち

S 銭湯のイベントというと脱衣所などで行うイメージですが、あえて「裸のつきあい」にこだわった理由は?

田村 正直に言うと、1回目の講義を行うまで、“裸のつきあい”の効果に対して絶対的な自信はありませんでした。「恥ずかしいからイヤ」という人も当然いるでしょうから。ただ、実際ふたを開けてみると、講師への質問もどんどん飛んで想像以上に盛り上がったんですよね。裸になることで、いろいろなものが取り払われて、精神的な距離感が近づいたのかもしれません。「もう脱いじゃったからいいや」という、やけっぱちの感覚かもしれませんが(笑)。

今年3月に行われた開校式と第1回の授業の様子。老舗料理道具屋の6代目が講師を務めた。
今年3月に行われた開校式と第1回の授業の様子。老舗料理道具屋の6代目が講師を務めた。

S 「はだかの学校」には、“校則”もありますよね。そこには「年齢も肩書も、校内では忘れること」「学校では知らない人と積極的に話すこと」など、参加者同士の交流を大事にしている印象があります。

田村 これは銭湯に限らずなんですが、コミュニティができていくと、仲のいい人同士でガッチリ輪ができてしまうことがあるじゃないですか。僕はそれがすごく苦手で。そういう輪ができてしまうと、新たに外から入るのがすごく難しくなる。だから、“内輪の盛り上がり”ができるのは絶対避けたかった。

S 内輪だけでなく、参加者みんなで盛り上がりましょうと。

田村 銭湯に集まるのは、ほとんどが地元の方です。でも東京って、「隣に住む人もよく知らない」というのが結構普通になっていますよね? 知らない者同士だと歩いている先をちょっと阻まれた程度のことでムカッとしたりしますが、あいさつ程度でも関係性ができたら、途端に気にならなくなるじゃないですか。だから、「はだかの学校」がきっかけで、参加者に地元の知り合いが増えてほしいと思ったんです。そうなれば、地域の活性化にもつながるし、何よりお風呂がもっと居心地のいい場所になっていくんじゃないかと。

「はだかの学校」オリジナルのれん。授業のある日だけお目見えする。
「はだかの学校」オリジナルのれん。授業のある日だけお目見えする。

日本から銭湯文化をなくしたくない。

S 「はだかの学校」はどのようにして誕生したのでしょうか?

田村 このイベントは、日の出湯と、俳優の伊勢谷友介さんが代表を務める『REBIRTH PROJECT』さん、それに広告会社『アサツー ディー・ケイ』さんと3社合同で立ち上げました。以前からREBIRTH PROJECTさんとは、「銭湯を盛り上げるために、何かイベントをやりたいね」と話していたんですが、ちょうどそのタイミングでアサツー ディー・ケイさんが創立60周年のCSR活動として「社員のアイデアを無償で貸します」というプロジェクトを展開されていまして。そこから3社で企画を練るようになったんですが、そこである常連のお客様との会話を思い出したんですね。

S 常連さんとの会話、ですか。どんな方ですか?

田村 今年で94歳になるお客様です。話を聞くと、戦争中からこの辺りに住んでいるそうで。「当時どんな感じだったんですか?」と質問したら、当時の地域の様子や東京大空襲の悲惨さなど、体験者だからこそ語れる生々しいお話をたくさん教えてくれました。僕は接客をしているから、こういう貴重な話をいろいろな方から聞けますが、もっとたくさんの人が気軽に聞けたらいいな、と常々考えていたんです。それが「はだかの学校」が生まれる、ひとつにきっかけにもなっていますね。

S 田村さんと地域の方々とのコミュニケーションが、「はだかの学校」の源流にあるわけですね。

田村 実は講師の方も、僕が接客しつつスカウトしているんです(笑)。最近も、近所のお弁当屋さんが以前、スキューバダイビングのインストラクターだったと分かりまして。「夏の海の楽しみ方とか、天候の読み方とかなら話せるかも」なんて言ってくれています。あとはいかに継続していくかが課題ですね。

第2回の講師は落語家の立川かしめさん。
第2回の講師は落語家の立川かしめさん。

S そういった悩みも、お風呂に浸かりながら考えるといいアイデアが出そうですね。

田村 講義のテーマは自由なので、いつか「はだかの学校」で、参加者みんなで検討会をやるのもいいかもしれないですね。その時は有識者、いや“湯”識者を集めて、「はだかの学校“湯”識者会議」なんて、おもしろいかも(笑)。

S “継続”という点では、銭湯業界全体でも大きな課題になっていますよね。 

田村 おっしゃるとおりです。東京の銭湯は、昭和40年代には約2600軒あったそうですが、今はもう600軒ほどになっています。それに最近は、設備の老朽化や世代交代をきっかけにお店をたたむ所が増えていて、年間約30軒、多い年は50軒が閉店している状況です。

S 銭湯にとって厳しい時代を迎えているわけですね。

田村 ただ、閉店が決まったお店って、お客様が瞬間的に増えるんです。でも、そうじゃないでしょうと。やめなきゃいけなくなる前に、もっと多くの方に足を運んでほしい。そのためにも、僕が行うイベントやWEBマガジンなどがきっかけになって、みなさんの中に”銭湯〝という言葉が根付いてくれたらうれしいです。そして、外食に出かけるような感覚で、「今日は銭湯に行こうかな」と気軽に思ってもらえるようにしたいんです。

男湯、女湯、それぞれ分けての授業。男湯ではこの姿で一席披露した。
男湯、女湯、それぞれ分けての授業。男湯ではこの姿で一席披露した。

地域を結び、情報を発信する基地に。

S 田村さんは、地域コミュニティの中で、銭湯が果たす役割についてどう考えていますか?

田村 地元の人と人をつなぐ場所として、意味があるんじゃないかなと思っています。それを強く感じたのが、3・11の大震災の時です。揺れの影響で、お風呂のお湯はかなり濁っていたんですが、それでも銭湯は開けていたんですね。そうすると、地域のみなさんがたくさんいらしたんです。みんな言いようのない不安を抱えていて、「ひとりでいたくない」という感じで、お風呂から上がっても全然帰らない。フロント前の休憩スペースで、みんなでゆっくりお喋りしていました。その時思ったんですよね。こういう時はやっぱり助け合いが大事で、そのためには地元の人たちが知り合える場所が必要だって。

日の出湯は2000年に建て替え工事が行われ、現在はマンションビルの1階と2階を利用した店舗に。
日の出湯は2000年に建て替え工事が行われ、現在はマンションビルの1階と2階を利用した店舗に。

S 銭湯が、地元をつなぐ場所になると。

田村 日の出湯の場合だったら、まずお客様と僕が知り合いになり、そして、「戸が壊れちゃって」とか、「近所にいい和菓子屋さんはないかな」とか、何か困ったり、知りたいときに相談してもらえたら、「だったら、あのお店に行けば……」と伝え、それぞれを結んでいけたらと考えています。

風呂場の中央に設置された古代檜の浴槽(写真奥)は、いわば日の出湯の代名詞的存在。
風呂場の中央に設置された古代檜の浴槽(写真奥)は、いわば日の出湯の代名詞的存在。

S 銭湯に行けば、地域の情報も分かるようになると。

田村 以前、模造紙にこの辺りの地図を描いて壁に貼り出したことがあるんですね。そこに付箋を用意していて、お客様においしいお店などの情報を自由に書いて貼ってもらったんです。やってみたら、地元の人も知らないお店の情報が共有されたり、近所の天ぷら屋さんが「うちのお店も書いていいですか?」と参加してくれたりと、結構盛り上がったんですよ。今どき何でもネットで調べられますけど、やっぱりローカルでなければ得られない情報も確実にあります。日の出湯だけじゃなく、それぞれの地域の銭湯が、そうした情報の発信ステーションになり得る可能性もあると思っています。

壁に設置された身長計は自由に書き込みOK。地域の子どもたちの名前が並ぶ。
壁に設置された身長計は自由に書き込みOK。地域の子どもたちの名前が並ぶ。

S 今後、日の出湯として取り組みたいことはありますか?

田村 今ですね、番台をちょっと改築しているんですよ。ここで、“大人のコーヒー牛乳”を出したいなと思い、キッチンスペースを設けて、豆から挽いてお出しする予定です。コーヒー豆もブルンジ産のフルーティなものを選んだり、牛乳もいいものを島根県のほうから仕入れたりします。近いうちに提供できるようになると思います。

 あとは、大田区蒲田に父親が経営する銭湯『第二日の出湯』があるんですが、そちらでも何かできないかなと。まだ構想段階ですが、ゲストハウスやランドリーカフェを併設して、今の時代にマッチした新しい銭湯の形を生み出せたらおもしろいでしょうね。

記事は雑誌ソトコト2017年7月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photographs by Hiroshi Ikeda
text by Shogo Ota

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田村 祐一

たむら・ゆういち
1980年東京都生まれ。大田区蒲田にある『大田黒湯温泉 第二日の出湯』の4代目跡取りとして生まれ育つ。大学卒業後、家業の有限会社『日の出湯』に就職。26歳で取締役に就任し、2012年5月からは、台東区元浅草の『日の出湯』の経営者に。また、並行して10年にはSNSを活用し「銭湯部」を創部。12年には銭湯の未来をつくるWEBマガジン『SAVE THE 銭湯!』を創刊するなど、銭湯業界の活性化に取り組んでいる。