小川和也
2020.05.20 UP

固定なき未来

LOCAL

 携帯電話が主流化して以降、家やオフィスに設置された電話は固定電話と称されるようになった。電話が普及する段階においては、一定の場所に電話を固定で持てることは憧憬の一種だった。一家に1台、2台、各部屋に1台。電話が固定化されることの喜びを噛み締めながら、昭和という時代を歩んだ。それがいまや、固定電話を持つ意味やメリットを感じなくなる人が増え、存在意義すら問われるようになった。
 自分の仕事やライフスタイルに合わせて住むところを変えたい。何でも揃った大都市、豊かな自然に囲まれた地域、その時の気分で気軽に転居をしたい。そもそも家を持たない「アドレスホッパー」と呼ばれる人もいる。家賃や光熱費などの固定費もかからず、足枷となる固定的な荷物もない。シェアハウスや友達の家、車で住所を転々とする。マイホームという「固定資産」を人生の目標としてきた過去からすれば、家を固定しない生き方など信じがたいだろう。
 複数の利用者がフリーアドレスで使用するシェアオフィス、利用者間でコミュニティをつくることも魅力のひとつであるコワーキングスペース。自前のオフィスを持つことが立派な企業の証しだとする価値観はナンセンスだと考える若手経営者や社員は増えている。わざわざオフィスに出向かなくても、スマートフォンやPCと通信環境さえあれば、自宅やカフェで打ち合わせに参加できる。
 介護や子育てをしなければならない人にとっては、オフィスへの出勤を固定化されるなど死活問題だ。慣れてしまえば、固定のオフィスに出勤するよりもオンライン会議のほうが必要なことだけに集中して議論できるし、優れたバーチャルオフィスのツールがあれば、意外と孤独感を覚えずにコミュニケーションをとれる。居住地を問われないため、仕事の選択肢も大幅に広がる。リモートワークの実践と自信を重ねるうちに、皆が集まる固定的なオフィスの必要性は薄れ、それを必要とする理屈のほうが成り立ちにくくなっていく。
 手術や入院など、固定的な病院のほうが適切な治療ができることだらけの医療ではあるが、医師不足や地域間格差、通院の負担を軽減するための一策としての遠隔医療が進化すれば、診療イコール固定の場所限定という呪縛から解放される。もちろん、医師が病院内で治療すべきことが皆無になることは現実的ではない。しかし、病院へ行かなくてもできる診断、慢性疾患の生活の中での管理、救急患者の搬送が間に合わずに命を落とすことを防ぐためなど、遠隔医療により固定の不都合から脱却できることも多い。
 一定の場所や状態にとどまって動かない、変化しないことは、安定と安心の源として機能してきた。固定したほうがよいもの、メリットが大きいものがすぐにゼロにはならないとしても相対的に減っていくし、限りなくゼロに近づく。モビリティ主義が前提となり、固定化することはあくまでも選択肢のひとつ。しかも、変動の中に必要に応じて固定する時と場合をつくるに過ぎず、固定とはいえ束の間。従来の固定化とは概念も変わり、永遠もしくは延々たるニュアンスは影をひそめる。人間は、固定なき未来へと向かっている。

小川和也

おがわ・かずや
起業家、著作家、研究者、ラジオ番組ナビゲーターとして、ばらばらの点をつなげて未来をつくる活動をしている。起業家として独創的な事業を生み出し続け、2017年、世界的に権威のあるマーケティングアワード「DMA国際エコー賞」を受賞。人間とテクノロジーの未来を説いた著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は高等学校「現代文」の教科書をはじめとした多くの教材や入試問題に採用され、テクノロジー教育を担っている。北海道大学客員教授として人工知能の研究を行いJ-WAVE『FUTURISM』で番組ナビゲーターとして未来を生きる鍵を声で伝えている。また、実業と学術を往来し多様な表現方法を駆使しながら、未来のグランドデザインを描いている。最新刊は『未来のためのあたたかい思考法』(木楽舎)