古民家改修現場
2020.06.12 UP

「建物と一緒に生きていく」地域で空き家を継ぐということ

LOCAL

空き家が”空き家”となった背景には、地域と人のドラマがある。
この町で担ってきた役割、家族友人との楽しい思い出、悲しかった出来事…

何十年、時には百年を超えてそこに存在し続ける建物は、人の手から手へ引き継がれながら、その役割を全うする。

昨今、まちづくりのキーワードとして注目される空き家再生。
現在進行形の現場から、空き家に関わる人々の生の声をお届けしよう。

「この人たちのために町の10年後を変えたい」そこから始まった空き家再生

2019年6月4日。
仕事で初めて訪れたこの町で、まさか自分が人生をかけた大勝負に出ることになるなんて、この時は想像もしていなかった。

鹿児島県霧島市横川町。薩摩半島の北に位置し、面積の約8割が山林という山の中の町。

はずれには江戸時代から昭和にかけて活躍した金山があり、一時期は国内最大の金の産出量を誇っていた。
最盛期は2万人以上の人々が暮らした、かつての鹿児島の物流拠点である。

しかし、閉山後は一気に人口減少が進み、今や人口は4千人をきっている。

そんな過疎化が進むこの町のシンボルは、明治36年築の現役木造駅舎 大隅横川駅だ。

大隅横川駅
国の登録有形文化財 大隅横川駅。明治36年築の鹿児島県内最古の木造駅舎であり、今も現役で活躍している。

歴史を色濃く感じる大隅横川駅は無人駅。
だが、いつ訪れてもゴミひとつ落ちていない。それどころか、季節の花があちらこちらで綺麗に咲いていて、公衆トイレにも花瓶が飾られている。

誰がこんなに丁寧に手入れをしているのかというと、地元の任意団体『大隅横川駅保存活用実行委員会』の方々だ。
定期的な草払いなどの維持活動以外に、年間8〜10本ほど、駅舎を活用した展示会やイベント開催を行なっている。

予算も自分たちで集めて、汗をかきながら皆で手を動かす活動を10年以上だ…
その範囲は今や駅だけに留まらず、5月には町を流れる川にたくさんの鯉のぼりを飾ったり、地元の介護施設との連携イベントを開催したりと、横川町全体のまちづくりに繋がっている。

「この人たちはどうして、自分の時間をこんなに町のために使うんだろう?」

そんな素朴な疑問からメンバーの方々に話を聞いてみると、生まれ育った町への愛情、そして未来への切ない想いをうかがい知ることができた。

シャッター街
空き家が並ぶ駅前通り。「新婚の頃、このお店で家具を揃えたのよ」と昔を懐かしむ地元の方は、寂しそうに通りを眺める。

大隅横川駅はJR肥薩線の沿線。一日2往復の人気観光列車が通る影響もあり、県内最古の駅舎を観に訪れる人の姿も多い。
しかし、駅の敷地から一歩外へ出ると、シャッターが閉まった空き物件が並ぶ寂れた駅前通りが続いている。

もちろん駅から町へ足を運ぶ観光客はいない。駅をバックに写真を撮ると、早々に立ち去ってしまうのだ。
これでは、いつまでたっても賑わいは戻らない。町の衰退は止まらない。

JR肥薩線も観光列車が走るとはいえ利用客数が多いわけではなく、地元では廃線が懸念されている。
「このままでは、代々守り育ててきた大隅横川駅が無くなってしまうかもしれない。そうなったらこの町はいよいよ難しくなる」

駅の保存活用を行なってきた彼らの次の目標は「空き家を活用した飲食店をオープンさせて、駅から町へ人の流れをつくること」。

しかし、これまで団体を引っ張ってきた主要メンバーのほとんどは50〜60代。やりたい気持ちに身体が追いつかない場面がすでに出てきている。

「それ、私やっていいですか?」

言ってしまった。どうしようもなく心を打たれて、気づいたらそんな言葉が口から出ていた。
この人たちのために、自分ができることがあるんじゃないか。10年後、違う未来をこの人たちと一緒に迎えることができるんじゃないか。

こうして私と地元の方々との”空き家探しの旅”が始まったのだ。

「もう無理したくない」店を畳んだ家主さんの本音

『空き家借りられない問題』と仲間内では呼んでいるのだが、そこらじゅう空き家だらけでも、実際借りるとなるとなかなか貸し手が見つからないものである。

”空き家探しの旅”記念すべき交渉1軒目は、なんと駅の正面にある元居酒屋物件。
隣には本屋だった空き家もあり、裏に住んでいるおばあちゃんが両物件の家主さんということで、どちらも中を見せていただいた。

居酒屋空き店舗
3年前まで営業していた居抜き物件。設備もすぐに使える状態で残っている。

元居酒屋も元本屋も、掃除すればすぐに使えそうな状態の良さ。しかも駅の目と鼻の先にあるという、願ったり叶ったりの物件だった。
ここでカフェを開いて、国の文化財である駅舎を眺めながらコーヒーを飲めたらどんなにいいだろう…

でも、ダメだった。

聞けば、家主であるおばあちゃんは一人暮らし。娘さんは海外にいるため年に数回しか会えず、時差の関係で電話することもほとんどないそうだ。
貸したところで、誰がやり取りをするのか。家賃の低い過疎地の空き家に不動産業者なんて入らない。

「この歳でもう無理したくないの。」

私は、最初は納得できなかった。散歩中の姿を見つけては呼び止めて、なんとかならないかと頭を下げた。
でも、家主さんは首を縦には振らない。

今は敷地内に住宅を含め4つの建物が建っているが、元々は大きな1軒の旅館があったらしい。
物流拠点として賑わう横川町の訪問客を一手に引き受ける大きな旅館を、家主さんの一家が代々経営してきたそうだ。

町の衰退に伴って宿泊客が減少し、旅館を畳んで3軒の店舗用物件に建て替えた。そのうち2軒は人に貸し、1軒は自ら利用して本屋を営んだ。

しかし、止まらない町の過疎化と自身の年齢もあって、5年前に完全に店を畳んだ。

本当は代々続けてきた家業の旅館を続けたかったのかもしれない。町の状況に合わせてたくさんの努力をしてきたけれども、どうしようもなかったことへの未練のようなものを心の隅に抱いていそうだった。

もっと説得すれば貸してもらえたかもしれない。
でも、それはこのおばあちゃんにとって幸せなことなんだろうか?町のために頑張るって、そういうことなんだろうか?

この問いは私の中で結構引きずった。その後も物件探しは難航し、なかなか消化することができなくなっていった。

やっと見つけた物件は、今は亡き奥さんとの思い出が残る家。

私が交渉1軒目のモヤモヤを引きずる中、地元の方々が探し回ってくださって、やっと1軒、貸してもいいよという家主さんに出会えた。
場所は、大隅横川駅から車で約10分かかる場所。あたり一面に田園風景が広がる緑豊かな地域だ。

約束の時間に伺うと、家主さんは縁側に座って庭を眺めていた。

「こんにちは」と声をかけるとこちらに気づき、軽く会釈をして敷地の中を案内してくれた。

運動会ができるんじゃないかと思うほど広い敷地の中に、よく手入れされた平屋が1軒建っている。
季節の実がなる木が何本も植えてあり、畑もあって、なんと椎茸の原木まである。

『となりのトトロ』の冒頭でサツキとメイと、お父さんが引っ越してくる家にそっくりだと思った。
実際は20年前に建てた家なので、トトロに出てくる家よりもずっと綺麗なのだが。

和室 神棚
空き家にもかかわらず丁寧に手入れされている。神棚にはきちんとお供え物も。

ここは家主さんの奥さんのご実家らしい。よく見ると、2年前に亡くなった奥さんの写真が神棚の前に置いてある。

車で1時間ほどかかる街中で暮らしているが、昔は奥さんとたった一人の娘さんと一緒にここへ遊びに来ては、庭で遊んだり、畑で野菜を育てたりしていたそうだ。

奥さんが亡くなってからも庭や畑の手入れのために月2回ほど通っていて、たまに孫・ひ孫たちも連れてきては家族団欒のひと時を過ごしている。

そんな家族の大事な場所をお借りして本当に良いのだろうか…

「まだ仕事もしてるから、通ってくるのも大変でね。使ってもらえるなら家も喜ぶでしょう。庭と畑の手入れだけはお願いね。」
少し寂しそうな目をしながら家主さんは笑ってそう答えてくれた。

そうか。空き家を引き継ぐって、こういうことなんだ。

ただの”物件”ではない。過去の思い出が詰まった大切な場所を、これまでの人に代わって守らせていただくことなんだ。

『過去を未来へつなげていくこと』

ここで学ばせていただいたことは、私の価値観を大きく変えた。
この物件は、駅から遠いこともあって店舗用でお借りするのではなく、まだ保育園に通っている子ども3人を育てる我が家の新しい住居として、大切に住まわせていただくことになった。

突然鳴った一本の電話。築89年、運命の物件との出会い。

今は霧島市の市街地に住んでいる我が家が横川町に引っ越すことが決まり、まずは地元住民として生活しながら、ゆっくり店舗用物件を探そうと思っていた矢先。
挫折した駅前の元居酒屋物件を繋いでくれた地元の方から突然電話がかかってきた。

「借りられる駅前物件あったよ。見においで。」

翌々日、半信半疑で現地へ向かった私は、運命とも思える物件と出会う。
築89年、元は下駄屋だったという、大正っぽい雰囲気の残る古民家だ。

改修中の座敷
少しずつDIYを進めている最中。二間続きの和室は畳を剥いで板間にする予定。

大隅横川駅からまっすぐ歩いて約5分。裏手にある空き地は近年中に公園に整備され、霧島市内の各地を走るサイクリングロードが伸びてくる。

入り口には広い土間があり、奥には和室が二間。二階には大正ロマンの雰囲気漂う洋室がある。

大正ロマンの雰囲気漂う洋室
凝った天井の造りは現代の建物では見られない。腕の良い大工さんの丁寧な仕事。

「これ以上は無い。」

直感でそう思った。これ以上に理想的な物件は無い。
繋いでくださった地元の方々も同じことを思ったのだろう。自然と、ここで具体的に何をやるか、何ができるか、その場で作戦会議に入っていった。

しかし。「空き家は開けてみないとわからない」とはよく言ったものだ。

賃貸契約を交わして、いざ壁と天井を剥がしてみたら、屋台骨である柱が予想以上のダメージを受けていた。

これは素人では手に負えない。プロの力を借りよう…
想定外の金額が出ていく。かかる手間も、準備するものも、予定していたスケジュールも、全てが計画の引き直しだ。

でも、誰も辞めようとは言わない。私も不思議とそんなことは思わなかった。
むしろ「そうか。次はそうきたか。」という心境。どことなくワクワクする感覚もあるような…

ここまで来れた。きっと大変なことはまだまだ起こるけれど、皆で思う存分楽しもうじゃないか。

今回の挑戦には、私が師匠のように慕っている空き家再生の大先輩に、遠く薩摩半島の反対側から泊まりがけで関わってもらうことになった。

その大先輩の言葉に2つ目の大きな学びをいただいたので、ここで紹介させていただきたい。

「古い建物にダメージはつきもの。今できる最大限の努力と工夫を考えながら、建物と一緒に生きていくことが大切だよ」

建物と一緒に生きていく。
たしかに、建物はそこに住む人、使う人によって状態も姿も、役割も変わっていく。

建物は何十年、時には百年を超える月日を、私たちの思い出と時間を抱いて一緒に生きていく存在なんだ。
そんな大切な気づきをいただきながら、私はこれからもこの町の未来を目指して空き家再生に向き合っていく。

白水 梨恵