エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ活用プロジェクトメンバー 下中菜穂・丹羽朋子・中植きさら
2020.06.13 UP

連載 | SOTOKOTO mtu 人の森 | 81 エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ活用プロジェクトメンバー 下中菜穂・丹羽朋子・中植きさら

PEOPLE

1952年から30年近くにわたって、ドイツの国立科学映画研究所が、世界中の知の記録の集積を目指して記録した映像の“百科事典”がある。
「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」というその映像百科をひもとき、現代に活かそうという取り組みがある。
まるで宝探しのように、楽しみながら。

「これはなんなんだ?」と、引き込まれていく魅力がある。

 ドイツの国立科学映画研究所が1952年から30年にわたり世界中で記録した「エンサイクロペディア・シネマトグラフィカ」(以下EC)フィルムの映像は、芸術的な表現や演出は避け、抑制された観察主義が貫かれている。そのストイックさ、そして16ミリフィルムという記録媒体ゆえ、長い間、陽の目が当たらなかったECフィルムだが、新たな意味と価値を見出して行われる上映会が話題になっている。淡々と映し出される映像を見て浮かんでくるさまざまな疑問や感想を周りの人と共有し、ざっくばらんに話しながら観賞するという上映方式がなんとも楽しいのだ。この上映会など、現代に合わせたECフィルムの活用を模索するプロジェクトメンバー三人に話を聞いた。

丹羽朋子さん(左)下中菜穂さん(中)中植きさらさん(右)
丹羽朋子さん(左)下中菜穂さん(中)中植きさらさん(右)

ソトコト(以下S) みなさんはECフィルムのどういうところに魅力を感じて上映会を行っているのでしょう。映像にはどんな特徴が?
丹羽朋子(以下丹羽)
現在、文化人類学の映像の多くは、撮影者と被写体の関係性をあえて写し取ろうとする傾向にあるんです。研究者がカメラをもって介入することで、別の関係性が生まれてくるので。でも、ECフィルムはそれ以前。当時の客観主義を反映して、対象に極力干渉せずに、その現象を再現できるような資料として撮られています。
下中菜穂(以下下中)  まさに百科事典的発想ですよね。
丹羽  動物行動学の考え方を採用していて、各フィルムの制作者が項目立てをして、同じような段取りをして撮影することで、儀礼やものづくりが、いろいろな地域で比較できる。たとえば「パン作り」だけで世界各地で撮られた30タイトル近くあるんです。ただし、ナレーションはなし。

ECフィルムは、民族学、生物学、技術科学と3つのカテゴリーがあり、約3000タイトルが収録されている

下中  今は、テロップが入り、わかりやすく編集加工されている映像ばかりが身近にありますが、ECフィルムは目の前で突然なにかが起きて、「いったいこれはなんなんだ?」と引き込まれていくような感じがするんです。
丹羽  雰囲気を撮るということも大切にされています。たとえば、儀礼はダイジェスト的に短くするのではなく、そこに付随する時間そのものを表現するに十分な長さに編集されたようです。
下中  美しい映像も多いですよね。荒俣宏さんをゲストに招いた昨年の上映会では、映画館の大きい画面に粘菌の映像を流して、生命の胎動を見ながら、そのリズムに自分が同期していくという不思議な体験をしたんです。始まる前に「こんなものを観て、本当におもしろいの?」と科学者の方から言われたのですが、”体“に残る体験でした。
S  そもそも、みなさんが上映会を始めた目的は?
下中  とにかく観て、おもしろがる(笑)。6年前、丹羽さんと一緒に文化人類学者の西江雅之さんにお会いする機会があって「ECフィルムはおもしろい」と聞いたのがきっかけです。ECフィルムの存在は知っていたんですが、16ミリフィルムを一人で観るのは難しく、それなら大勢で上映会にしようと、東京・中野で映画館『ポレポレ東中野』の運営もしている『ポレポレタイムス社』の中植きさらさんに相談したのです。
中植きさら(以下中植)  それでゲストを招き、興味のあるECフィルムをセレクトして、現代の映像や実演と組み合わせる形で2012年から不定期の上映会を開始。昨年秋で12回になりました。

答えを求めるのではなく、観察して、考える。その行為こそがおもしろい。

丹羽  上映会は地域に限定せず、「屠と畜ちく」「木のつくる暮らし」「子どもからの世界」など、テーマごとに行うので、すべての地域について知っている専門家はいないんです。下中  誰かの解説を聞くのではなく、映像を肴に「これはなんでしょう?」「日本のこれと似ていますね」とか、お客さんを交えて話していく。そうやって考える行為がおもしろい。
中植  「屠畜」のときは、探検家の関野吉晴さん、写真家・映画監督の本橋成一さんに加え、大阪で精肉店を営まれている北出新司さんにゲストをお願いしたんです。現地のことをまったく知らなくても、同じ仕事をしている人だからこそ、そして、複数の人の目で観るからこそ、気づくことがある。
下中  バリ島の「イセーのリズミカルな米こめつ搗き」という映像があるのですが、このフィルムを上映した「音楽の生まれるとき」という回もいろいろな発見がありました。女性たちがリズミカルに米を搗いているのですが、よく観ると、米を入れた細長い臼の横っ腹を叩く人もいる。「米搗き」という仕事から音楽が立ち上る瞬間を、その場にいて目撃したような感動がありました。「遊びと仕事の境界線ってないのかもしれないね」って、そんな対話も生まれました。
丹羽  この回のゲストの増野亜子さんはバリ島の民族音楽が専門で、このフィルムをきっかけにフィールドワークの際に米搗き音楽について調べてみたそうです。すると、すでに舞台で演じられる伝統芸能になっていたとか。

ココヤシ繊維の紐づくり(オセアニア)
ココヤシ繊維の紐づくり(オセアニア)

下中  上映会では、お客さんから「この女性たち、楽しそうな顔をしていないんですけど、楽しいんですか?」という質問が出たんですね。すると「はい、楽しんでいます」と増野さん。そのときハッと思ったのが「楽しそうな顔をする」というのは、舞台芸術として他人に向けているのだろうなということ。私が主宰する切り絵ワークショップでも、本当に楽しんでいる人って、怖い顔になっていることが多い。でも、後で本人に聞くと「楽しかった」と言うんです。
丹羽  専門的に研究していると、「なんで、女性たちは笑ってないんだろう」とは、なかなか考えない。
下中  けれども、そういう素朴な疑問から対話や思索が深まっていく。

“コクリト”仮面舞踊(ブラジル )。
“コクリト”仮面舞踊(ブラジル )。

丹羽  この上映会では、すべての地域や分野を理解している専門家なんていないから、みんなで観て、考えて、読み解いていくしかないのだけど、そのほうがよりよく観察するし、そうした状況がフィールドワークの現場と、ものすごく近いと思うんです。私、中国のフォークアートのフィールドワークへ下中さんと一緒に行ったときに、教えられたことがあったんです。私は現地の言葉がわかるので、人々が語る言葉に反応して、実は目の前のものをちゃんと見ていない。けれども、下中さんは現地の人がすることをすごく見て、感じていた。
下中  私の場合、言葉がわからないので、じっと観察するしかない。
丹羽  下中さんが見て気づかれたこと、疑問に思ったことを現地の人に尋ねると、まったく新しい答えが返ってくる。しっかりと見ることによって、別の世界が広がるという体験をしたんです。

生きることの本質を体験し直す。

S  ECフィルムは貸し出しもしているそうですね。
中植  昨年、新しいサイトをつくってECフィルムを借りやすくしました。誰もが観て、借りられるよう間口を広げるため、ポレポレタイムス社が貸し出し業務を引き受けたんです。
下中  これまでは学校の授業や美術館などの展示に合わせて貸し出しすることはあったんですが、一般の人にもどんどん観てもらいたいと思って。 
中植  
たとえば、かご編みが好きな人、パン焼きが好きな人など、ピンポイントでの需要もあるでしょうし、いなか暮らしを始めた人で、自分たちの生活の中にあったけれど、もう見られなくなってしまった技を埋めるものになるのではないかと思っています。

綿紡ぎ(タイ)
綿紡ぎ(タイ)

S  今年は、上映会から発展して、自分たちで「つくる」ことも始めるとか。
下中  映像を観ていると、実際につくってみたくなるんです。今度は、小金井市にある小学校で、紐をつくるいくつかの映像を観たあとで、自分たちでも実際にやってみるということをします。ECフィルムに映っている人たちは自分の手ですべてのものをつくっている人たちだから、それをなぞってみるのは、物事の本質にせまり、自分の生活に返ってくるおもしろさがあります。

イセーのリズミカルな米搗き(バリ島)
イセーのリズミカルな米搗き(バリ島)

S  過去のもの、自分から遠い世界の出来事として映像を観るのではなく、今の自分がいる世界とどう結びつけるか、みなさんはそのあたりを模索していますね。
丹羽  紐は、店で買うものだという生活の中で、どうやってつくられているのかという構造を理解する「過程」を踏むことってありません。でも、改めて「紐ってこうやってつくるんだ」と知り、自分の目で手で考えることで、ECフィルムを通して、生きていくことを体験し直す機会が持てるではないかなと。
S  三人ともそれぞれに専門があります。さきほど、丹羽さんはフィールドワークの気づきを挙げましたが、中植さん、下中さんはどんな発見がありましたか。
中植  私は生きている人の普遍みたいなものが、どこにでも変わらなくあるということを知り直しました。人はみんな、どこの地域でも踊り、歌い、そこにあるものを使って道具にする。当たり前のことなんですけど、それが今は発見しづらくなっているので、こうした人間の普遍のような行動に出合うと深く納得します。
下中  私は日常がフィールドワークだなって思うんですよ。私たちの「日常」だって、観察するとおもしろい。そういうことって、わざわざ外国の僻地に行かなくてもできることだと改めて思うんです。最近、観察する機会って減っていて、電車に乗っても自分のスマホばかりで周りを見ていない人が多い。観察することの豊かさに気づいて、日常を観察するという行為を、もっとみんなに知って、楽しんでほしいなと思います。

photographs by Hiroshi Ikeda
text by Kaya Okada

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