スマイルアフリカプロジェクト
2020.06.26 UP

連載 | スマイル アフリカ プロジェクト | 95 シューズ回収に協力してくれる人たち、シューズをアフリカへ送るため心をこめて作業をしてくれる人たち

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アフリカで、シューズが履けず、感染症など命にもかかわる危険にさらされている子どもたちを守ろうと、日本からまだまだ履けるシューズを送るプロジェクト。それが「スマイル アフリカ プロジェクト」です。多くの人に支えられたプロジェクトです!

アフリカへシューズが届けられるまでの物語。

 2009年4月、「スマイル  アフリカ  プロジェクト」が発足し、以来、アフリカの子どもたちに向けて送ることができたシューズの数は、6万9509足(うち、2171足は東日本大震災後の被災者支援のために寄贈)に及ぶ。

 誰かの足に一度はおさまったが、その後、サイズが合わなくなったなどの理由で、まだまだ履けるのに下駄箱で眠っていたシューズ。プロジェクトの呼びかけにこれまでたくさんの人が立ち上がり、シューズに新たな命を吹き込んだ。アフリカの子どもたちの足元を感染症から守り、思いっきり走る喜びも贈る夢のシューズである。

 個人からは会員制度を通じ、またプロジェクト主催のマラソンイベントの現場などで、きれいに洗われたシューズが寄せられた。

川崎市立麻生中学校は生徒会が中心となり、500足以上のシューズを寄せてくれた。
川崎市立麻生中学校は生徒会が中心となり、500足以上のシューズを寄せてくれた。

 学校会員は現在、全国187校にも及び、手を挙げてくれる学校は後を絶たない。また、先生の力だけに頼るのではなく、児童や生徒自らが率先し、生徒会やエコ委員会、ボランティア部などが校内に回収ボックスを設置したり、学園祭でアフリカ研究の展示を行い、それと共にシューズ寄贈を呼びかけたりと、日本の子どもたちの問題意識の高さに胸が打たれる。15年・16年に回収されたシューズの約6割が学校会員からのものだった。

川崎市立麻生中学校は生徒会が中心となり、500足以上のシューズを寄せてくれた。

 「くつをはかずにすごしている人たちが、えがおになり、よろこんでもらえるなんて、すてきだな!  と思いました。このプロジェクトで、世界がすこし変わるのでは?  と思います!」

 活動に参加した小学生からの感想である。ほかにも、「自分は今まで、くつなども小さくなったらすてたり、アフリカの人にも地球にも悪いことをしていた。これからはくつもきふするようにしたい」といった感想など、アフリカへの思いだけでなく、地球環境そのものへの意識も芽生えたようだ。

15年の返礼のヒマワリの種をみんなで育ててくれた、ぐんま国際アカデミー初等部の児童たち。16年も引き続きシューズを送ってきてくれた。
15年の返礼のヒマワリの種をみんなで育ててくれた、ぐんま国際アカデミー初等部の児童たち。16年も引き続きシューズを送ってきてくれた。

倉庫での検品、輸出作業。シューズは船でケニアの港へ!

 回収されたシューズは、いったん国内の倉庫に集められ、倉庫スタッフの手で一足ずつ検品される。回収の基準内か、使用できないものはないかなどを確かめ、除菌を施したうえ、メッセージカードをシューズに戻し、サイズごとに仕分けして、保管される。ある程度の量が貯まると、輸出のための作業に入るが、一度により多くのシューズをコンテナに積み込めるように、また、外側から中身が確認できるように透明のビニール圧縮袋に詰められる。珍しい荷であり、倉庫の作業現場では「アフリカの子どもたちへの贈り物」として知られている。別の倉庫に移され、検査を通過した後に港で船積みされ、東アフリカ最大の港であるケニア・モンバサ港へと出港する。最近では、16年12月に出港した。

倉庫作業をしてくれている『フジライン』社員の須崎洋光さん。
倉庫作業をしてくれている『フジライン』社員の須崎洋光さん。

 モンバサ港で陸揚げされたシューズは陸路でナイロビの日本人学校へ運ばれ、そこを拠点にスラム地区の学校や孤児院など、シューズを必要としている子どもたちのもとへ寄贈される。たくさんの人の手を経たシューズの旅はこれで終えるが、関わった誰もが夢先案内人である。

text by Katsuyuki Kuroi

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黒井克行

くろい・かつゆき
1958年北海道出身。早稲田大学卒業後、出版社勤務を経て、ノンフィクション作家に。主な著書に、『高橋尚子 夢はきっとかなう』(学習研究社)、『テンカウント』(幻冬舎文庫)、『男の引き際』(新潮新書)、『日野原新老人野球団』(幻冬舎)など。日本大学法学部非常勤講師も務める。