長崎の風景を愛した木版画家「田川憲」の意思を受け継ぐ
2020.06.14 UP

長崎の風景を愛した木版画家「田川憲」の意思を受け継ぐ

PEOPLE

長崎の変わりゆく風景を作品に残した木版画家「田川憲」の意思を受け継ぎ、作品と長崎への愛を伝える活動をする田川俊さん・由紀さん夫婦。地方でのギャラリーの在り方と、昔の人が残したいと思った町の風景とは。

田川憲が残した、長崎の町を愛する遺伝子

江戸時代、鎖国で他国との交わりが閉ざされていた日本の中でも、開港都市・長崎には諸外国の様々な文化が伝来してきた。今もなお、町並みには西洋・中華の文化や歴史が入り混じった長崎独特の“和華蘭文化“が色濃く残されている。多くの芸術家がその異国情緒あふれる長崎を表現しようと作品に残したと言われているほどだ。

長崎の洋風な町並み

 

戦前・戦後を通じて長崎で活躍した木版画家・田川憲もその一人。
戦後復興で町の風景がどんどん変わってしまい、失われていく有り様を嘆き憂いた田川は、芸術作品に町並みを残していくことを決めた。数々の作品からは、町の風景への愛情がひしひしと伝わってくる。
作品とセットになっている、印象的な言葉達が並べられた手記にも田川の想いの丈が詰まっており、詩人としての顔も持つ芸術家であった。

田川憲の孫にあたる田川俊(たかし)さん由紀さん夫婦は、作品をもっと世に広めるために小さなギャラリー「Soubi‘56」を営んでいる。多数の作品を展示する従来のギャラリーとは異なり、一つの作品と、それにまつわる手記やスケッチなどの関連資料を同時に展示するスタイル。数ヶ月ごとに展示内容が変わるので、足を訪れるたびに一つの作品をじっくりと鑑賞し、向き合うというのがコンセプトなのだ。

「Soubi‘56」の田川俊さん・由紀さん
お店のオーナーは由紀さん。
俊さんは本業の会社員をこなしながら、ボランティア活動で在廊したり作品の解説を行なったりする。

2014年に俊さんの父が他界したことをきっかけに、親戚が所有していた作品や資料の数々を譲り受ける。俊さんはかねてより祖父である木版画家・田川憲のファンで、もっと多くの人に作品を知って欲しいという想いが。他界した父のもとに集まった親戚一同の前でその想いを伝え、俊さんに任されることとなった。

その後、長崎県美術館より、2017年で没後50年となる田川憲の作品展を実施したいという話を受けた俊さん・由紀さん夫婦は、美術館に作品や資料を貸し出し、作品展の実現に協力。それが後押しにもなり創業を決意し、2018年1月11日にはギャラリーをオープンさせた。長崎県美術館での作品展は同年1月27日〜4月8日の期間で開催され、徐々に木版画家・田川憲の存在が知られ始めることとなった。

ギャラリー内観
木版画の横には、作品の世界観により一層の輪郭を持たせてくれる田川憲の言葉・手記が。

ギャラリーから広がっていく、時代を超えた出会い

「Soubi‘56」を始めてからは、県内外から様々な人が足を運んでくれるように。
県外在住の熱烈な長崎ファンが毎年訪れるようになったり、当時の田川憲を知る人から思い出のエピソードを聞かせてもらったりなど、創業前には予想もしなかったことが次々に起こった。

俊さん:当時、田川憲を含む色々な芸術家が画材を買いに訪れていたという文具屋を営んでいた人から手紙をもらったこともあります。その時は、その人の元まで作品を持って会いに行きましたね。

お客さんからもらった手紙たち
今まで貰った手紙を大事に保管してある。
長崎で文通をする人、長崎旅行中に手紙をくれる人、自分の町に帰ってから手紙をくれる人など様々だ。

由紀さん:長崎県美術館で作品展が開催されている時、美術館で作品を見た県外の若者が私たちのギャラリーにもふらっと来てくれました。今風でお洒落な男の子たちだったけど、「作品の題材になった場所まで行ってみたい。どこにあるのか教えて欲しい」なんて尋ねられたのですごく驚いちゃって。(笑)

町を眺める田川夫婦
作品の舞台となる地域の風景を眺める。

そうして活動を続けていくうちに、二人と田川憲のファンたちは、“風景・町並みと芸術作品とを比較してみる“という視点を持つようになってきた。田川憲と所縁のあるホテルとのコラボ企画で、作品の題材となる場所を俊さんの解説付きで巡るまち歩きイベントなども生まれ、ますます二人を取り巻く輪が広がっていくのだった。

さるくをする俊さん
まち歩きイベントの中で風景と作品を照らし合わせながら解説する俊さん。

1つの作品を発信するということ

ネットやSNSを見て足を運ぶ人もいれば、たまたま通りかかった人がふらりと入ってくることも。
だが、すべての人に受け入れてもらえる訳ではないとのこと。

俊さん:中には作品を一つずつ展示するというやり方にがっかりされたり、批判されたりすることもあります。
もっとたくさん見れると思って来たのに…と。
ですが、作品の創作にあたって芸術家がかける時間はとても膨大です。その作品に対して、もう少し想像を巡らせて、じっくりと向き合って欲しい。それができるということは、ある意味とても贅沢なことだと僕は思っています。

地方のギャラリーは、大きな美術館・博物館と同じやり方では敵わない。
地域の特色を発信したり、来訪者とのコミュニケーションが取れる場を提供したりなど、コンパクトだからこそ実現可能なギャラリーのあり方を実践することが重要だ。

また、小難しく感じてしまいがちな芸術作品を、もっと身近に感じて欲しいという俊さん。

祖父・田川憲と孫・田川俊
田川憲の横顔と、その言葉たち。俊さんの横顔にもその面影が見える。

俊さん:ただ、作品を眺めるだけでは無く、作り手の性格や人柄までわかったら、作品に親しみが持てるようになると思うんです。そう考えると、田川憲が残した木版画はもちろん、それにまつわる手記やスケッチなども一緒に見ていくことで、とても人間的な一面に触れることのできる芸術家ですよね。

なるほど、小さなギャラリーにしかできない展示のやり方ではあるが、それこそが田川憲という芸術家がどんな人物なのかをよく知るための方法でもあり、結果的により人々から共感を生みやすい発信をしているようだ。

暮らしを通して、田川憲を辿る

今では作品にも数多く描かれ、田川憲自身も暮らしていた長崎の居留地エリアに住居を移した二人。
大好きな作品に出てくる場所がすぐ近くにあり、暮らしを通して当時の田川憲が見ていた風景を重ねている。

作中の場所を歩く二人
作品にも描かれていた夾竹桃の花を眺める二人。
一体どんな生活をしていたのだろう?と想いを馳せる。

田川憲が残したかった景観は少なからず変わってしまったが、その意思は受け継がれ、少しずつ共感の輪を広げている。
芸術作品がきっかけとなり、まちに対する眼差しが変わったり、未来に残していきたい風景とは何なのかを考えたりすることで、地域や芸術がより身近に感じられる世界はきっと遠くないだろう。

町を見つめる俊さん

 

「Soubi‘56」を見に行く

 

 

photo・text by Kyosuke Mori