家族4人で越後湯沢へ。“移住”という人生の転機に向き合う、伊藤綾さんの覚悟と挑戦
2020.07.25 UP

家族4人で越後湯沢へ。“移住”という人生の転機に向き合う、伊藤綾さんの覚悟と挑戦

LOCAL

「いつか地元に帰りたい」
「いつか地方へ移住して、豊かな自然のなかでのびのび暮らしたい」

 “いつか”と思いながらなかなか実行に移せない、そんな人も多いのではないだろうか。コロナを経て地方移住への注目がさらに高まる中、昨年3月に一足早く家族4人での移住を成功させ、現在は移住先の湯沢で起業し、移住相談や「お試し移住」に取り組む伊藤綾さん。移住と起業までの道のり、そして“まち”への想いを訊いた。

閉じゆくショッピングモールと衰退する地方の姿が重なり、生まれた危機感。

伊藤さんが新潟県湯沢町へ移住したのは、2019年3月のこと。その前月に「きら星株式会社」を湯沢で立ち上げ、それにあわせて自身の住まいも湯沢へ移したのだった。
もともと家族4人で千葉に住んでいた伊藤さんが、移住サポートの会社を立ち上げ、湯沢への移住を決めたのはなぜだったのだろうか?

きら星_湯沢風景
田んぼと山々が広がる中にリゾートマンションが建ち並ぶ、越後湯沢の風景。伊藤さん撮影。

 新潟県の柏崎市出身の伊藤さん。大学進学と同時に上京した伊藤さんがまちづくりに興味を持ったのは、野外音楽フェス「FUJI ROCK FESTIVAL」で久しぶりに湯沢へ訪れたことがきっかけになったという。

伊藤さん「学生時代にフジロックで再訪したとき、幼少期に訪れた湯沢のイメージとはかけ離れていて、町の衰退を如実に感じたんです。フジロック会場の苗場だけは盛り上がっているけど、駅前はシャッター街になっていたり、町全体は静かな印象で。特にリゾートマンションが破格で販売されている実態に愕然としました。東京資本がバブル期の開発でやるだけやって、あとはほったらかしという印象を抱いて憤りを感じましたね」

 この出来事をきっかけに持続可能な不動産開発を目指し、転職したイオンモール株式会社では、ショッピングモールの新規出店や、古くなった施設を新しい形へ生まれ変わらせる業務を経験する一方で、不採算店舗の閉店にも関わるようになっていった。そのとき伊藤さんの中で、閉じゆくショッピングモールと、全国各地の衰退しつつある地方の小さなまちとが重なっていた。

「これと同じようなことが全国の自治体で起こるとしたら」――そう考えたとき、ひとつの“まち”が消滅していくことへのリアルな危機感が迫ってきた。このことが、地方を舞台に、ビジネスとして移住促進や地方の課題解決に取り組むきっかけになったと話す。

伊藤さん「私はもともと“まち”という存在が好きでした。いろんな街に住んでみたかったし、就職後も各地を転々としながらそれぞれの土地に愛着が湧いて、住んだ場所には本当に惚れ込んでいました。そうやってずっと、“まち”という存在に魅せられてきたんですよね。だから、その土地固有の文化や風土が、人が住まないことで失われてしまうということに危機感を覚えました。そういうもののおもしろさや多様性を、より多くの人や子どもたちにも残したいと思ったんです」

きら星_伊藤さん
伊藤綾さん●1985年7月、新潟県柏崎市生まれ。慶應義塾大学商学部卒。大学時代にフジロックで湯沢町に訪れ、幼少期のきらびやかなスキーリゾートの印象と違うことに衝撃を覚えて「まちや地域の活性化をしたい」と夢を描く。東京・福岡・千葉で会社員生活を10年経験したあと、2019年に娘(4歳)・息子(1歳)・夫を連れて湯沢町で「きら星株式会社」を創業。現在は、リゾートマンションをリノベーションして毎日温泉ざんまいを楽しんでいる。

はじまりの地、湯沢での起業。そして移住。

 そうして、2018年にイオンモール株式会社を退職。全国の消滅可能性都市をなくすため、起業と移住の準備に入っていった。全国の地方を視野に入れる中で、創業の地として湯沢を選んだのはなぜだったのか。

伊藤さん「全国の消滅可能性都市をなくすために、あまり時間が残されていない中で、私たちは最速でインパクトを出していかないといけない。だから、創業地選びはこだわりました。その中で、もともとまちづくりをしたいと考えたきっかけが湯沢町にあったのが決め手になりました。絶対に成功させるという信念をもとに、首都圏からの距離も近く、住宅の供給や就職がしやすい産業構造もあり、ポテンシャルを秘めている湯沢町は絶好の場所だと確信しました」

 伊藤さんがそう話す通り、東京駅から越後湯沢駅までは上越新幹線で最短70分、通常でも90分以内という近さで、都内への通勤も可能。さらにリゾートマンションなどによって住宅はふんだんにあり、越後湯沢駅周辺の温泉街やスキー場で観光業が栄えるなど、湯沢町のポテンシャルは高いと考えたのだった。

きら星_湯沢の夕日

 こうして起業と移住を決めた伊藤さんだが、自身も県内出身であるとはいえ、当時の湯沢町には知り合いもいなかったという。そんな中で、移住準備はどのように進められたのだろうか。

伊藤さん「私はリゾートマンションを購入しリノベーションして住んでいるのですが、物件の内覧や工事の契約なども含め、移住前には4回ほどしか湯沢に行っていなくて。何度も現地に通ったというほどではありません。ただ、移住の準備として、年の近い仲間とつながることを意識していました。湯沢の若者の団体の会議に参加させてもらったり、私の場合は起業のこともあったので、自分は何者で何がしたいのかという情報を知ってもらうために、自分の想いなどを綴ったWebサイトを作って情報発信もしていました」

 移住までに現地へ行くことができる限られた回数の中で、すぐに地元の仲の良い知り合いができるのは至難の業だろう。自ら積極的に情報発信をしていた伊藤さん自身も、移住後にやっと、知り合いから知り合いへ繋がっていくようにして、知り合いが増えていったのだそう。自分のできる範囲で現地に通いながら、出会った人との関係を焦らず丁寧に築いていくことで、気づけば自然と知り合いは増えているものなのかもしれない。

きら星_伊藤さん

満員電車の通勤時間は、山を眺めながら季節を楽しむ時間へ。

 そうして移住から1年以上が経った。伊藤さん自身は、湯沢に来てどんな変化があったのだろうか。

伊藤さん「千葉で暮らしていた時、夫は子ども達にごはんを食べさせてからじゃないと帰って来なかったのですが、今では朝食も夕食も家族で食べるのが当たり前です。満員電車で苦しい思いをしていた通勤時間は、山を眺めながら季節の変化を楽しむ時間になりました。1日ごとに変わっていく自然の姿を感じながら生きられることは、今では当たり前になっていますが、当時から比べたらとても贅沢な時間の過ごし方だなと思っています」

きら星_川
広い公園も貸切状態。雪解け水が冷たい川でのびのび遊ぶことができる。伊藤さん撮影。

 また、伊藤さんのご主人は、湯沢への移住にあたり、もともと勤めていた茨城県つくば市のIT系ベンチャー企業にリモートワークでの勤務形態を交渉。それまでリモートワークでの勤務は前例がなかったが、無事にその申し出が受け入れられ、週1回はつくば市にある会社に出社し、それ以外は湯沢の自宅でテレワーク勤務というスタイルで働くことになった。

伊藤さん「夫は9時〜18時まで家で働いていて、18時頃に私が子供を連れて帰宅するので、夫婦揃ってそこから家事に着手します。残業しなければいけない時は、子どもを寝かしつけた22時以降にするなど工夫して、家族での時間がとても増えましたね」

 物理的に会社に拘束されないからこそ、家族で過ごす時間を中心にしながら、その時の業務量に合わせて柔軟に働くことができている。夫婦で協力しながら家事に取り組むことができるようになった点でも、湯沢に移住してきたメリットは大きい。
 

Miho Aizaki

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