会社と家の往復だけではなく、もっと生き方の幅を広げたい
今回お話を伺ったのは、東京で暮らしながら、鹿児島の芋焼酎のPR活動をされている冨永咲さん。
鹿児島県出身の彼女は、大学進学とともに上京し、今は東京で広報やコミュニティデザインの仕事に就いている。
仕事でも一部、焼酎のPR業務を担当しているが、彼女の活動はそれだけでは終わらない。
休日になると焼酎の蔵元や飲食店と協力して東京での焼酎PRイベントを企画したり、オンラインで鹿児島のローカルプロジェクト運営に関わったりと、忙しくも充実した毎日を送っている。
しかし、もともとは会社と家を往復するだけの生活を送っていたというから驚きだ。
彼女をここまで突き動かしたのは、
「5年後、10年後どう生きたいのだろう?」
「会社と家の往復だけではなく、もっと生き方の幅を広げたい」
という、自分の在り方への問いだった。
東京で働きながら「2代目ミス薩摩焼酎」として鹿児島でも活動する2拠点生活
鹿児島県の自然豊かな地域で育ったという冨永さん。
中学生の時に経験したアメリカへのホームステイをきっかけに「鹿児島しか知らないのでは何も伝えられない。英語よりも前にまずは日本のことを知ろう」と考え、関東の大学へ進学、卒業後はそのまま関東に残り、新卒で新聞社へ入社した。
紙面の企画や海外出張などのハードスケジュールをこなしながら、次第に会社と家を往復する日々を過ごしていた自分自身の在り方・生き方について疑問を感じ始めたという。
「自分はどう生きたいのか」という問いに向き合いながら、故郷である鹿児島に何かしらの形で関われる方法がないかを模索していった。
転機となったのは、鹿児島の焼酎をPRする「2代目ミス薩摩焼酎」の募集情報を見かけたことだったそう。
冨永さん
「仕事でもお酒を飲む機会が増えてきて焼酎の味の幅広さと奥深さに少しずつ気づき、”芋臭い”と思っていた焼酎のイメージが変わりました。
会食や飲み会の場でその人の好みに合う焼酎を提案しているうちに、もっと伝えたい、蔵元さんに会って深く知りたいという思いがどんどん高まっていったんですよね。
更に鹿児島には114もの焼酎の酒蔵と2000以上の銘柄があることを知り、
「焼酎を飲むことは鹿児島のアイデンティティである」
「鹿児島出身で女性の私が焼酎を伝えていくことは、鹿児島の魅力を発信していく突破口になるのではないか」
と考え、2代目ミス薩摩焼酎に挑戦したいと思うようになりました。」
鹿児島や芋焼酎に対する熱意が伝わり、見事「2代目ミス薩摩焼酎」に選出。それと同時に新聞社を退職し、東京の人材系ベンチャー企業で働きながら、鹿児島を拠点に「2代目ミス薩摩焼酎」としても活動する2拠点生活が始まった。
今すぐにできそうなことから少しずつ模索した結果が今につながっている
冨永さんは「2代目ミス薩摩焼酎」の任期が終了した現在、東京で暮らしながら個人的に芋焼酎の魅力を広めるイベント企画や鹿児島市主催の関係人口プロジェクト「Kagoshima Lovers Academy(かごしまラバーズアカデミー)」の運営などに遠隔で関わっている。
また仕事の面では転職支援のベンチャー企業を通して「転職だけがゴールではなく、日常の中で少し先の未来に繋がる場所があったら、自分の在りたい姿にまっすぐに生きられる人がきっと増える」という想いを抱き、人材育成と地域活性のまちづくりを手がける株式会社FoundingBaseに入社。多様な人と地域をつなげるコミュニティスナック「かくれ架BASE」の立ち上げも担当した。
自分自身の生き方・在り方を模索した結果が今の生活につながっている。
しかし、始まりは無理なくできる小さな一歩からだったという。
冨永さん
「最初は”今すぐにできそうなこと”から、少しずつ行動していきました。具体的には、社会人3年目にして初めて会社以外の人が集まるコミュニティに属してみたり、気になった人に片っ端から会いに行ってみたり、Airbnbで海外の旅行者を家に泊めて日本や世界のことを語り合ったり…
新しい価値観にたくさん触れて、「これからどう生きたいんだろう?」ということに時間をかけて何度も向き合って、いくつものトライアンドエラーを繰り返しながら、少しずつ「在りたい姿」の輪郭を作ってきました。
私の場合は、そんな少しずつの模索の中で鹿児島への想いが深くなって、今につながったという感じです。」
文章:白水梨恵
写真:冨永咲