太田尚樹
2020.08.27 UP

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ | 43 後悔は自分のため(かもしれない)。

DIVERSITY

 「ありがとう」をうまく言えたためしがない。レジを打ってくれたコンビニの店員さんや、資料を印刷してくれた同僚、お土産を買ってきてくれた友達に言うような、日常の中の小さな「ありがとう」は流石に言えるのだが、問題はもっと大きなそれで、今こそ言わなくてはいつ言うのだ、という大事な場面をいつも逃してしまう。

 通っているフラダンス教室の大先輩がご病気で教室を卒業されることになった時、みんなに向かって「ケンカもたくさんしたけれど、今となってはいい思い出です。ありがとう」と言った。その時も僕は自分が言ったわけでもないのに何故か照れてしまい、ヘラヘラと笑った。隣にいた別の先輩は、話をジッと聞いた後「こちらこそ、ありがとう」と目を細めて言ったのだが、僕はそれにまた照れてしまってさらにヘラヘラとした。自分という人間はどこまで自意識過剰なのだろうと悲しくなる。落語家の立川談志がある日の落語のまくらで、「傲慢なヤツというのはだいたい照れてるだけなんですけども、それはつまり、照れてばかりいると傲慢に映るってことなんだよなぁ。照れもそこそこにしないと」なんてことを言っていたが、本当にそうだと思う。僕はほかの誰のためでもなく、自分のために照れている。

 だけど、大事な場面で「ありがとう」をうまく言えない理由は、「照れ」だけではなくて、大きな感謝の気持ちというのは後になって湧いてくるものだから、というのも大きいように思う。大学時代、仲がいいつもりだった後輩たちに、陰でひどい悪口を言われていたことがあった。当時の僕はそのことでひどく落ち込んでしまって、同期で一番聞き上手の女の子に相談したのだけど、彼女は意外なことに「爆食いで僕を笑わせる」という励まし方を選んだ(しっかり話を聞いてくれた後で)。細い腕で僕をコンビニまで引っ張って行き、「今日はおごりやで!」と爆買い。家に戻ると間髪入れずにケーキやらドーナツやらを食べはじめた。ここぞとばかり「なんでやねん!」と言う僕に、彼女は笑って「なんでやろな!」と繰り返した。

 僕はあの時も感謝をちゃんと伝えられなかった。彼女が両手にコンビニスイーツを持って「おいし~!」と叫ぶ姿に泣くほど笑ったけど、あの涙と一緒に本当の涙も流れていったのだと気づいたのは、ずっと後になってからだった。彼女がつぶれるくらい握りしめていたケーキをある日コンビニで見つけた時に、「これ、まだ売ってんだ!」と興奮して、隣にいた友達に当時のエピソードを話そうとしたけど全然おもしろくはならず、ああ、あれは「おもしろい話」ではなくて、「いい話」だったのだと気づいた。「ありがとう」とちゃんと言いたかった。

 先日、ずっとやっている「ポッドキャスト」というネットラジオで、「祖父母に自分がゲイだと伝えられなかった。それでよかったのか、今も考える」というお便りがきた。僕は、ゲイだと伝えたほうがよかったのかは分からないですが、伝えたいと思うほど愛していた、ということが大事なんじゃないですかね、なんてクサいことを言いながら、「後悔っていいことかもしれませんよ」と、思いついたことを話した。その時も僕は彼女のことを思い出していた。

 「伝えたかった」という後悔が胸を刺す度、思い出すのは「あの人のことが大切だ」という思いだ。ならば、後悔は思いの証明であって、僕たちはもしかすると、思いをくしたくないから、後悔を手放さないのかもしれない。そんなことを思った。

 ちなみにこの原稿を書きながら、久しぶりに彼女に「元気?」とLINEをして、「そういえば爆食いしてくれたの覚えてる?」と聞いてみたのだが、1時間ほど経って返ってきた返事は「あー! そんなことあった気がする! 笑」だった。やはり、この思い出を手放したくないのは僕のほうだ。後悔もまた、自分のためなのかもしれない。

文・太田尚樹 
イラスト・井上 涼

記事は雑誌ソトコト2020年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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太田尚樹

おおた・なおき
1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。