コロナ問題をめぐるバイオテクノロジーの総復習
2020.08.12 UP

コロナ問題をめぐるバイオテクノロジーの総復習

DIVERSITY

 新型コロナウィルス問題の勃発によって、これまで、あまり生物学や医学に関心がなかった人も、この間、急激に新しいバイオテクノロジーや用語に次々と触れることになったと思う。そこで今日はそれらの知見と意義を整理しておきたい。まず、感染の診断技術であるPCR法。新型コロナウィルス肺炎は、症状としてはインフルエンザによる風邪や細菌などによって生じる肺炎と症状的には区別がつきにくい。そこで、体内に新型コロナウィルスが存在しているかどうかを判定することによって診断が確定する。

 PCRとは、ポリメラーゼ連鎖反応の略で、1980年代の初頭、“さすらいの研究者”キャリー・マリスによって考案された。彼は、有名大学の学者でもなく、大企業の研究者でもなく、「西海岸ヒッピーの末裔」みたいな人物だった。しばしば職を替えたり、バイトをしたりして食いつないでいた。暇さえあれば、サーフィンをしたり、麻薬を吸ったりして気楽に過ごしていた。でも、一応、学歴はあった。カリフォルニア州立大学で化学を勉強した。

 ある日、彼女とドライブデートをしているとき、突然、遺伝子増幅のアイデアを思いついた。それがPCRだった。PCRによって分子生物学に革命がもたらされ、ゲノムサイエンスが大躍進した。PCRによって、マリスにはノーベル賞がもたらされた。“科学界随一の一発屋”といっていい。当時の新聞のヘッドラインは「サーファーにノーベル賞!」だった。マリスはその後も、O.J.シンプソン裁判(アメフトのスターだったシンプソンが元・妻の殺害で起訴されたが、法廷闘争の末、無罪判決を勝ち取った)で証言するなど、話題を振りまいた。私は何度も面会し、マリスの痛快な自伝『マリス博士の奇想天外な人生』を翻訳した。

 PCRは、目的とする遺伝子がごく微量でもありさえすれば(犯行現場の髪の毛一本とか精液の飛沫など)、それを倍々に増幅してたちどころに検出する画期的なテクノロジー。非常に鋭敏かつ特異的にターゲット遺伝子を検出できる。特異的、というのは、たとえば新型コロナウィルスであれば、類似のSARSウィルスやMERSウィルス、あるいは同じ仲間のコロナウィルスと区別して検出することができる、という意味だ。遺伝子配列の微妙な差を利用して、新型コロナウィルス遺伝子だけをピックアップすることができるのである。

 ただし、あまりに鋭敏すぎて、研究室内の汚染による偽陽性が起きたり、もとのサンプル(コロナの場合、鼻の奥から粘膜をとる)がうまく採取できていないと偽陰性が起きたりする。なので、訓練を受けた技師が必須で、反応試薬、PCRマシンと呼ばれる検出装置も必要とする。測定に一定の時間を要する。それゆえに、もっと簡便・迅速に感染を診断したいということになる。

 インフルエンザの診断で一般に使われているのが、抗原検査法だ。これは古典的な抗原・抗体反応を利用したもので、ウィルス・タンパク質が抗原、これをサンドイッチにするように結合する2種類の抗体をキットに仕込んで、これらが複合体をつくると赤い線が出るようにしたものが普及した。これだと鼻の奥の粘膜からとったサンプルを使って、数分以内に検査が完了する。

 しかし、ここにも優れたバイオテクノロジーが使われている。それがモノクローナル抗体である。抗原(この場合はウィルス粒子)が身体に侵入してくると、それに対して抗体が産生されるが、ウィルス粒子のどの部位に対して、どのような抗体が産生されるかは、人によって千差万別であり、複数の抗体の混合物が血清中に現れるのが普通だ。これをポリクローナル抗体という(ポリは複数の意)。

 そして、ウィルス・タンパク質のある一定の部位にだけ結合するたった単一の抗体を、シャーレの中の培養細胞によって製造させる技術が、モノクローナル抗体(モノは単一の意)。これによって安定した品質の抗体が工業的に供給できるようになり、信頼度の高いキットが市販されるようになった。妊娠チェッカーや排卵チェッカーなどもすべてモノクローナル抗体のサンドイッチ法によって、ターゲットとなるホルモンを鋭敏、迅速に検出している。モノクローナル抗体は、PCR、クリスパー技術(ゲノム編集)と並んで、分子生物学の三大発明のひとつと言っていい。モノクローナル抗体技術の発明者はすでにノーベル賞受賞済み、クリスパー技術の発明者(二人の女性科学者)もノーベル賞間近と言われている。

 ただし、新型コロナウィルスの検出キットに関しては、まだ、安定した品質のモノクローナル抗体が量産できる態勢にはなっていない。現在、乱立しているキットはみなウサギなどの動物に、コロナウィルス・タンパク質を注射して、その血清から抽出されたポリクローナル抗体を使っているものが多く、信頼性において注意が必要である。

文・福岡伸一
collage by Koji Takeshima

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。