トカラ列島の民宿掃除でみえた”島暮らしの哲学”
2020.08.21 UP

トカラ列島の民宿掃除でみえた”島暮らしの哲学”

LOCAL

ネジを作ることはできるか?

バードウォッチングで訪れた、鳥好きの歯医者さんの手作り
バードウォッチングで訪れた、鳥好きの歯医者さんの手作り

特に私に求められたのは、掃除だった。時期は年末。日頃の忙しさで、ここ数年ろくに大掃除ができていないという。「まずは捨てよう」。私の目にゴミと映ったものは片っ端から捨てようとした。例えば、欠けてしまった100均のコップ、お弁当を包んでいた透明フィルム、小指の爪ほどのネジ。ものを減らせば次の片付けが楽になり、無駄な時間を省ける。
ところが、ご主人に引き止められてしまった。島は、まるで状況が違うというのだ。お隣の家のチャンネルが壊れて、たったひとつの小さなネジが役に立ったことがある。洗面所にカーテンを取り付けたい時に、透明フィルムが代わりになった。
「これを捨てるのは簡単だけどね、じゃあこれを作れって言っても、そう簡単にはできないよ」。

もうひとつ、捨てられないものがあった。それは、お客さんからいただいたもの。一度会ったきりのお客さんでも、いつまた来てくれるか分からない。処分してしまえば、その時にきっと寂しい思いをさせる。ご主人がもっとも大事にしてきたのは、人との繋がりである。困難な時に、県外からお客さんが助けに来てくれたことがあった。常連のお客さんからは、日常的に美味しいものが届く。「人の繋がりを甘く見ちゃいけない」。私こそ、その「ご縁」で平島に引き寄せられたのだから。

自然にも人にも「ドライ」ではなく「フェア」

海岸線は、海水に強い美しい苔で覆われていた
海岸線は、海水に強い美しい苔で覆われていた

島のライフラインは船便である。週に1回、鹿児島本土と奄美大島の間を船が往復している。つまり、島を通過する2回の船便に全てがかかっているのである。実は、私が滞在した時は海が時化て、2週間の間一度も船が入らなかった。滅多にないことだが、住民にとっては死活問題である。幸い、民宿に食料の備蓄があったので、皆で助け合いながら危機を乗り越えた。覚悟ができているとはいえ、災害で物資が運ばれなくなった被災地のような状況が、日常的にあるのが島での暮らしなのである。彼らは常に危機と隣り合わせに生きている。

彼らの自然や人に対する姿は勇ましく、憧れとは程遠いものである。例えばこんな話があった。「バードウォッチングの連中はね、鳥を見つけると皆、狂ったように部屋を飛び出して、カメラを向けるんだよ。一体何がいいのかね? われわれ漁師は(鰹の群れに集まる)カツオドリには興味あるけども(笑)」。
これはドライというより、恵みと危険の両方をもたらす自然と対等に生きる人間の、フェアな態度なのだと感じた。
人に対しても同じだ。ある晩、つかみあいの喧嘩になったとしても、翌日には「おはよう」と挨拶を交わし、何かあれば助け合う関係でなければ、小さな島では生きてはいけないという。外の人にとってはありがたく感じる古い民俗文化も、島の人が本当に必要としているかどうかが重要だ。
「神様は人がいるから存在する。人がいなくなれば神様も存在しない。文化とは生活そのもの」。
研究者や専門家さえ知り得ない真実を知るのは、彼ら住民だけではないだろうか。

文・写真:青木紀子

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