ふたつや、
2020.08.28 UP

移住者が集まる海のまち頴娃町とゲストハウス「ふたつや、」がつなぐもの

PEOPLE

鹿児島県下最大の都市である鹿児島市から、車でさらに南へ進むこと1時間。ここは九州本土の南端、海と茶畑に囲まれた小さなまち頴娃(えい)町。
のどかな田舎らしい風景が広がるこのまちは、過去5年間で20〜40代を中心に10人以上が移住した実績を持っている。
起業家やクリエイター、鉄道マニアからヨガインストラクターまで、多種多様な若者たちが集う頴娃町と、コミュニティを紡ぐゲストハウス「ふたつや、」が歩んできた軌跡をご紹介しよう。

茶畑と海、美しい薩摩富士をのぞむまち「頴娃町」

頴娃町の風景

薩摩半島の南の端に位置する南九州市頴娃(えい)町は、人口約1万1千人の小さな町。
陸には広大な茶畑、反対側には青い海が広がり、その奥には「薩摩富士」と称される日本百名山の一つ、開聞岳が佇んでいる。
海運が主流だった時代には港町として大いに栄えていたらしい。中心部である石垣商店街には、最盛期100軒以上の商店が軒を連ねていたそうだ。しかし、時代の流れとともに衰退が進み、昨今は空き家の増加や過疎化の悩みに直面している。

そんな頴娃町の良さを守り受け継いでいきたいと、地元の方々が中心となって進めてきたまちづくり活動が今、徐々に移住者を巻き込みながら大きな成果を生んでいる。
2015年からこれまでの約5年間で、20〜40代を中心に10人以上が移住。宿や新規事業の立ち上げなどをきっかけに、地域への移住や多拠点生活に関心を持つ多くの若者たちから注目を集めているのだ。

その裏側には、このまちを愛する地元の方々と移住者たちが紡ぐいくつもの挑戦、そして多様な価値観を受け入れるコミュニティの存在があった。

観光まちづくりから繋がった空き家再生と移住者受け入れ

加藤潤さん
2010年に埼玉から頴娃町へ移住した加藤潤さん。弟の紳さんと一緒にタツノオトシゴ観光養殖場を経営しながら、数々の地域プロジェクトに取り組んでいる。

2010年、埼玉県からこのまちに移住した加藤潤さん。一足先に移住した弟の紳さんと共にタツノオトシゴ観光養殖場「タツノオトシゴハウス」を開業した。
今でこそ観光スポットとしても注目を集める頴娃町だが、当時はまだ無名。経営を成り立たせるためには頴娃町の観光価値を高める必要があると考え、地元のまちづくり団体「NPO法人頴娃おこそ会」と一緒に、頴娃町の観光まちづくりに取り組み始めた。

自分たちの手でできることを一つ一つ進めていくうちに、市や県といった行政機関との連携も取れるようになり、徐々に頴娃町が観光地として注目を浴びるようになっていった。

大きな転機となったのは、2015年に始まった石垣商店街での空き家再生事業だ。築100年、元塩販売店の空き家を改修し、まちの交流拠点「塩や、」に生まれ変わらせるプロジェクトが始動した。
そして、こういった観光まちづくりの動きに心を惹きつけられて、立て続けに3人の若者たちが頴娃町へ移住してきたのである。

3人のIターン移住者たちが起こす新しい風

ちかさん
2015年に頴娃町へ移住した福澤知香さん(写真右)

1人目は2015年、観光まちづくりの動きに心を惹きつけられて頴娃町に移住してきた福澤知香さん。それまで観光業界で経験を積んでいた彼女は、頴娃おこそ会の専任スタッフとして頴娃町観光まちづくりの仕事に就きながら、石垣商店街で進行中の空き家再生プロジェクトにも携わることになった。

もともと宿の経営に関心を持っていた彼女は、移住後1年足らずで石垣商店街内の空き家を改修して民宿「暮らしの宿 福のや、」を開業。地域の日常の営みを体感できる宿として1年間で300人が訪れるほどの場所に育て上げ、頴娃町の観光まちづくり、そして空き家再生の動きを後押ししていった。

蔵元さん、前迫さん
2016年〜2017年の間に地域おこし協力隊として頴娃町へ移住した前迫昇吾さん(左)、蔵元恵佑さん(右)

こうしてまちづくりの動きが活発になる中、頴娃町で初めての地域おこし協力隊を受け入れることになる。そこでやってきたのが、前迫昇吾さんと蔵元恵佑さんのお二人だ。

彼らの地域おこし協力隊としてのミッションは「空き家再生によって生み出された場の運営」、そして「地域資源を活用した事業づくり」。地元WEBメディアの立ち上げや、人が集う場の企画運営など、数々の取り組みの中にゲストハウス「ふたつや、」の開業と経営があった。

文章:白水 梨恵
写真:株式会社オコソコ
   青木 健太朗
   白水 梨恵

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