頭の片隅にあった「家業を継ぐ」という選択。
大宮さんは、家業のニット工場がある愛知県西尾市で生まれ育った。西尾市は、繊維リサイクル産業の中心地でもある西三河地域の南部に位置している。家業の工場と棟続きになっていたという自宅で幼い頃から工場の音とともに育ち、とても身近な存在として、繊維の仕事があった。
大宮さんが家業の工場を継いだのは、今から4年前のこと。長女として家業を継ぐことが常に頭の片隅にありつつも、もしかしたら他の道もあるのではと、なかなか決心がつかなかったのだと話す。
大宮さん「幼いころから、いずれは自分が継がなければという使命感のようなものはありました。ただ、若いころは自分には別の可能性があるような気がして、なかなか腹が決まらなかったというのが正直なところです。それで大学卒業後は商社に入社したのですが、社内で募集されていた海外研修への応募を検討した時に、一度立ち止まって、改めて自分のやりたいことをじっくり考えたんですよね。その時に、やっぱり退職して家業を継ぐことを決めました。実家とは距離を置きつつも、ずっと家業のことが頭にあったんだと思います」
そうして新卒から4年間勤めた商社を退職し、家業のニット工場を継ぐことを決意。石川メリヤスに入り、社員として10年ほど働いたあと、2016年に社長に就任した。石川メリヤスで働き始めた当時は、繊維業界の中で女性の存在は珍しく、男性社会の中で対等に仕事をしていくことに苦労した、と振り返る。
大宮さん「私が入ったときは、当時60代くらいの方が現役でバリバリやってらっしゃるような業界だったんです。その世代の方だと、基本的に女性と一緒に仕事するっていう感覚がないですし、ましてや繊維業界は戦後の経済復興を支えてきたっていうプライドもあるので、やっぱり仕事ができる方も多い。もう端から相手にされないっていう感じでした(笑)」
それでも大宮さんは、石川メリヤスの企画営業として10年間働き続けた。
大宮さん「入社当初は多少やりづらさもありましたが、結果的に生き残れていたので『ラッキー!』っていう感じです(笑)。それで、社長になるときには『もうやるしかない』と思っていたので、その辺は覚悟を持って臨みました。社長が女性というのもまだ珍しく、むしろそれが強みになるかも、とプラスに捉えていましたね。今は同年代で繊維業を引き継いでいる女性の方もいますし、男女関係なく一緒に仕事ができる環境になってきています」
先代の父・石川君夫さんから会社を引き継ぎ、60年以上続く自社のニット製造技術を守り続けている。手袋や靴下などの製造を中心にしつつ、コロナ禍では通気性の良いニットマスクの開発も行うなど、新たな製品開発にも積極的に取り組む。
60年以上愛され続ける「サイコロ印」の危機。
そんな石川メリヤス創業以来、長く愛される自社製品の中に、作業手袋ブランドの「サイコロ印」シリーズがある。特紡糸を使ったボリュームのある丈夫な作りと柔らかな着け心地が人気を集め、これまで職人や漁師など、様々な業界のプロフェッショナルに愛用されてきた。
特紡糸とは、工場の残糸や、使われなくなった布をワタに戻した再生綿を主原料に作られる糸のこと。愛知県西三河地方には、こうした繊維リサイクルの関連工場が数多くあり、戦前から布や糸などのリサイクルが盛んに行われてきた。
しかし現在は、そうした繊維リサイクルの工場は年々減っている。特紡糸の原料となる再生綿を作る反毛工場の数も減少しており、石川メリヤスの製造にも影響が出始めているという。特紡糸を使って作られる「サイコロ印」シリーズも、存続の危機に直面していた。
大宮さん「去年、提携していた反毛工場が2回変わるという、結構大変な目にも遭いました。ある工場では、周りに住宅が建ち並んできて、工場の騒音に対してものすごくクレームが来てしまったそうで。それで、廃業せざるを得なくなったところもあります。もともとはその周辺にも工場があったのですが、みなさん廃業されて、土地を売って。そこに新しく住宅を建てているので、新しく来た人たちにとっては、工場がうるさくてクレームになってしまう。そういう悪い循環ができてしまっているのを感じますね」
さらに、さまざまな素材が集まる繊維リサイクルの作業は、各素材の分別やその後の作業工程にとてつもない手間がかかる。その難しさから、事業を縮小したり、後継者がなかなか見つからないといった問題を抱える工場も多い。しかし大宮さんは、そうした特殊な知識を必要とし、職人の長い経験によって育まれてきた日本独自の技術だからこその魅力を感じている。
大宮さん「繊維リサイクルの現場で私が頼りにしている方々も70〜80代くらいなのですが、『もう自分たちの代で終わりだね』っていう雰囲気になっていて。でも、繊維リサイクルって、捨てるはずのものをもう一度活かすためにすごく技術もいるし、人の心や人間が出る。捨てられるものを分別して、『これはこういうふうに使える』『これはこう加工したら良くなる』というのを、どこまで理解して、どこまで手を加えてっていうところに、すごく人が出るというのが素晴らしいなと思ったんです。それが一番私の中で心が動いた瞬間でしたね」
Miho Aizaki