標本を買うー 標本バカ 第七十八話
2019.06.12 UP

標本を買うー 標本バカ 第七十八話

DIVERSITY

信念や魂など、どうでもよい。で、あっさりカートに入れることにした。

『国立科学博物館』では、2019年3月から特別展「大哺乳類展2」を実施する。2とつくのは、同タイトルの展示が2010年にも行われており、その続編ということ。『ソトコト』との出合いはこの展示を紹介していただいたことから始まって、コラムを執筆することになったのだった。今回の展示では多様な哺乳類がどのような特徴によって生き残ってきたのかをテーマとして、できるだけたくさんの哺乳類標本を見ていただこうと計画している。

その中で哺乳類の歯の多様性に触れる個所があり、当館に1000種程度ある頭骨標本から、さまざまな食性に対応した歯の形態を紹介することにした。歯の形態は哺乳類を語るうえで欠かせない形質である。肉食や草食、昆虫食などの標本をピックアップしていく過程で、どうしても必要な標本があった。吸血性のチスイコウモリの頭骨である。ところがチスイコウモリの標本は当館に仮剥製が1点と全身液浸の標本が2点あるのみで、展示に使用できるものがない。仕方なく液浸標本から頭骨を取り出そうかと考えてみたところ、これらの個体は幼獣らしく、僕が展示で見せたいと思う見事な歯が備わっていない。コウモリ類は幼獣が飛翔している母獣から落ちないように先端がフック状になった小さな乳切歯を乳頭に引っ掛けてしがみつく。コウモリ類の乳歯が持つ機能を学習するには素晴らしい個体なのだが、今回の「血食」を示す標本としては不適当である。

そこで、何とかチスイコウモリの頭骨を入手したいと、このところ模索していた。チスイコウモリは有名な動物なので、当館でも所有しておくべきものである。これまでにも多くの方から利用の希望があったということもある。しかしこの種は中米から南米にかけて分布しているので、捕まえに行くというわけにもいかず、コウモリ研究者に国内に所蔵があるかどうか、現地の研究者で交換してくれそうな知り合いはいないか、といったことを相談していた。するとコウモリに造詣が深い僕のアシスタントが、「このサイトで売っていますよ」とインターネットのページを教えてくれた。僕のネット検索能力は低い。探せばあるものである。

以前にも書いたが、僕は「標本は買うものではない、自分で集めるもの」という信念を持っているが、もうこの際そんなことはどうでもよい。チスイコウモリの歯を見せたい。そのためなら信念や魂など、どうでもよい。で、あっさりカートに入れることにした。

2日ほど間をおいて届いたチスイコウモリの頭骨標本は状態もよく、その姿に見入ってしまった。切歯は大型化してナイフのように鋭い。チスイコウモリは眠っている家畜の足元にジャンプしながらそっと歩み寄り、この歯を使って皮膚を切り裂いて、出てくる血を舐めとるのである。咀嚼する必要はないので、臼歯は貧弱なものとなっているのも重要な特徴だ。ほれぼれするような歯のエナメル質のきらめきに魅せられつつ、「今回は特例」と割り切っているか、というとそうでもなく、この際だからもっといろいろと当館で所蔵品がない標本を購入してしまいたいな、と欲望を膨らませている。

文●川田伸一郎
illustration by Fumihiko Asano

本記事は雑誌ソトコト2018年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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川田伸一郎

かわだ・しんいちろう
1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。2019年3月から6月まで同博物館で開催される「大哺乳類展2」の企画も担当。著書に『モグラ博士のモグラの話』『モグラ-見えないものへの探求心-』など。