天空の聖地の麓で“鉄道と共に眠る”、レトロな駅舎ホテル。
2020.09.23 UP

天空の聖地の麓で“鉄道と共に眠る”、レトロな駅舎ホテル。

LOCAL

2004年に「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されて以降、その一つとして世界中の人々から、より注目されるようになった和歌山県・高野山。
その麓に、『NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道 Operated by KIRINJI』ができました。

自分のペースで
鉄道や高野山を満喫。

 速度を落とした列車がホームへ入ってくる。その「キキキーッ」という独特な音を、”客室“から眺める。正面には電車を、右手には不動谷川のせせらぎを感じる特等席──。金剛峯寺など117もの寺院が立つ、弘法大師(空海)が開いた日本仏教の聖地・高野山。その麓に昨年11月、オープンした『NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道 Operated by KIRINJI』(以下、NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道)でのワンシーンだ。

 このホテル、鉄道ファンを歓喜させる空間になっている。大阪・中央区難波と高野山を結ぶ南海電鉄高野線・高野下駅の”駅舎内“にあるのだ。駅舎が建てられ開通したのは1925年(大正14年)。駅舎には大正時代の風情が色濃く残り、経済産業省の「近代化産業遺産」に登録されている。

 車で行くことも可能だが、ホームに降り立って改札を出れば、そこからなんと10〜20歩でチェックインできる。無人受付で、あらかじめ通知されるプッシュキー情報で開錠するだけだ。チェックアウトまでプッシュキーでの入退室となる。宿泊者名簿などはオンラインのやりとりで、宿泊代はクレジットカードでの支払いなので、まるで自室にいるかのように終始自分のペースで過ごせる。

「高野」室内
客室「高野」は44平方メートルと広々とした空間。トンネルから出てくる電車を眺められる。
「天空」室内
「天空」は17平方メートルのコンパクトな空間。運転席のメーターや乗務員用のイスなどがあり、乗務員の気分を本格的に体験できる。この客室からも、線路を走る電車を眺めることが可能だ。

客室は、改札を挟んで2室ある。客室「高野」は駅員の宿直室などがあったスペースをリノベーションした、ダブルベッドが2台置かれた4人部屋。当時の柱や扉などを残しながら、水回りはモダンに仕上げ、格式のある空間になっている。もう一方の客室「天空」は、乗務員の休憩室をリノベーションした、ダブルベッドを1台置いた2人部屋。「鉄道好きの家族や友人に誘われて一緒に滞在した、電車に興味のなかった人に『案外、電車っていいな』と思っていただけたら」。そう話すのは、『NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道』を運営する『キリンジ』の代表取締役・天川洋介さん。

 食事は、夕飯の場合、予約時に教えてもらえる出前可能な店から出前をとるのがオススメだ。朝食は、高野下駅の隣駅・九度山駅の構内にある『おむすびスタンド くど』のおむすび2種・お味噌汁・お漬け物と、電車の往復乗車券が無料でついてくるので、ぜひ利用してほしい。同店は3台ので地元産の米を炊き、むすびたてのおむすびを提供。イートインスペースでホームを往来する電車を眺めながら頬張るのも格別だ。

朝食無料券と往復乗車券。
朝食無料券と往復乗車券。

 お腹を満たしたら、ぜひ高野山上へ。電車の場合、先頭車両に乗って開けていく山の景色を味わうのもいい。また、健脚の人は歩いて登ると高野山の風情を楽しめる。高野下駅からは槇尾道、九度山駅からは世界遺産に登録されている町石道という道がある。

旅や事業で培った
地方の可能性を発信する。

 天川さんは、なぜこのホテルを手がけたのだろう? 「20代の頃から一人旅が好きで、飲食業のかたわら、休みのたびにバイクで旅に出ていました。旅をした合計距離は日本列島を2周ほど。おいしい食べもの、初めて見るもの、おもしろい人との出会いなど、感動が多くて、全国各地にいいところがある。ベタな話ですけど、旅好きが宿屋を始めたんです(笑)」。

 2016年、「国家戦略特区」に指定され民泊事業が可能になったのを機に、その翌年、大阪府大阪市で宿泊業の『キリンジ』を開業。大阪府でのインバウンドをメインに、事業を拡大していった。

 しかし、2018年に暗雲が立ちこめる。「近畿地方へ大型台風がきたんです。関西国際空港の機能が停止したことで、当時運営していた約150室のほとんどの予約がキャンセルとなり、空港や都会だけに頼るリスクを本当に痛感しました」。天川さんは初めて倒産を意識したという。

 それでも天川さんは結果として、その苦境をターニングポイントにしていった。台風が来る少し前、旅館業法が改正されて無人型宿泊施設の営業が可能になっていたこともあり、そのチャンスをつかんだのだ。「すでに兵庫県・淡路島や滋賀県・信楽町でも宿泊施設を運営し、地方の可能性を実感していたので、これからの方向性を地方へと定めました」。

天川洋介さん
天川洋介さん。現在は1府4県で宿泊業を行い、古民家一棟貸しの宿やグランピングにも注力している。

 そんなとき、2019年の年明けに『南海電気鉄道』と連携している『NOTE』から声をかけられた。これこそが、『NIPPONIA HOTEL 高野山 参詣鉄道』の話だったのだ。『NOTE』は、歴史的建築物を活用したまちづくりを各地で手がけ、「NIPPONIA」という活動を行っている。「現地を視察したら歴史ある駅舎で、おもしろいことができそうだとワクワクしましたね」。そして、正式に運営を担当することになった。「内装は、『NOTE』さんの『その建物が一番よかった時代に戻す』というポリシーに賛同し、クラシックホテルのテイストに近づけるイメージでリノベーションしました。必要以上に手は加えずに、駅舎として現役だったときの雰囲気を大事にしています」。

 また、天川さんたちは地域の人々との話し合いもていねいに進めた。「駅舎はこの地域のランドマークで、地域の方々は思い入れがあります。外部から業者が来ることへの不安を解消するよう、数度にわたって話し合いました。地域の方たちが『この地域はこのままではだめだ。このチャンスを逃すと、この先うちらはダメになる』と危機感をもっていて、ご理解をいただけました」。

 高野下駅は、開通した当時は高野山参詣の終着駅だったため、参詣者が多く、旅館や飲食店がたくさんあり、イタリア製のタクシーなども往来していたほどだった。しかし、路線が延長されて高野山内までケーブルカーで行けるようになると、この駅で降車する人はほとんどいなくなり、地域が衰退した背景があったという。

 天川さんは地域の人と連携し、清掃などをお願いしている。今後、地域の人たちによるガイドツアーの実施なども検討しているそうだ。「既存の建物を使って、その歴史や人々の営みをリスペクトしながら魅力を伝えていくのが大事だと思い至りました。それをどう表現するかが、僕たちらしい宿泊業なのだと思います」。

photographs by Katsu Nagai text by Yoshino Kokubo