日常を楽しみ、課題をみんなで超えていく宿『ゲニウス・ロキが旅をした』。
2020.09.17 UP

日常を楽しみ、課題をみんなで超えていく宿『ゲニウス・ロキが旅をした』。

LOCAL

北海道江別市の大麻銀座商店街にできた、おもしろい人に利用してもらいたいという思いから名づけられた宿、『ゲニウス・ロキが旅をした』。半分の“顔”はゲストハウスだけれども、もう半分は社会課題の解決に楽しみながら取り組める、さまざまな機能をもった“場所”でした。

商店街をまるごと体験しながら、まちづくりの最先端へ。

 北海道江別市の大麻銀座商店街に今年7月、一軒のゲストハウスがオープンした。その名も『ゲニウス・ロキが旅をした』。一度聞いただけでは覚えられない、だけれど大きなインパクトを残すこの宿は多くの謎に満ちている。まず思うのは、ゲニウス・ロキとはなんぞやということ。そして、どうしてこんなに覚えづらい名前をつけたのか。さらには、役員が7人もいるというのも、地元の人が多く泊まるのも謎。しかも、オープンを迎えた今もなお、未完成な部分が多い。

『ゲニウス・ロキが旅をした』の役員7人が大集合。
『ゲニウス・ロキが旅をした』の役員7人が大集合。左手前から、代表でありデザイナー・林匡宏さん、キッチンカー運営・秋山緋更さん、PCでの参加は群馬県在住のファシリテーター・反町恭一郎さん、音楽&映像制作・櫛引康平さん、政治家兼編集者・堀直人さん、Web制作・石塚竣也さん、電気工・出口嘉識さん。

 ゲニウス・ロキとは、ローマ神話における土地の守護精霊のことであり、建築的な用法としては「土地の雰囲気」「土地柄」から転じて「場づくり」に深い意味をもつという。「『なんだっけあのへんな名前?』というような忘れられない名前を付けたかった。間違ってもらってもいいんです」と役員のひとり、堀直人さんは話す。

 役員であり代表の林匡宏さんは「この名前をつけることで、きっとヘンな人が集まってくる。世界に対して能動的に取り組んでいる人とか、一風変わっている人と仲間になって、時間や空間を共有したいという気持ちが強かった」と思いを語る。このふたり、堀さんと林さんの出会いこそ、『ゲニウス・ロキが旅をした』の物語の始まりだった。

打ち上げ花火ではない、まちに根を下ろした場所が必要。

代表の林匡宏さん。
代表の林匡宏さん

 代表の林さんは大阪府生まれ。大学で都市デザインを学び、卒業後は札幌市内の建築事務所で都市計画のコンサルタントを担当していたが、「大きな建物の開発、都市デザインなど、20〜30年先の未来ばかりを考えていたので、『いったい誰を幸せにしているのだろう』という考えに陥ってしまったんです」と当時を振り返る。地に足をつけたまちづくりを学ぶため、2013年から札幌の大学へ通い始め、江別にある古民家の管理運営をするようになる。精力的にイベントやマルシェなどを開催していた頃、堀さんと出会った。

執行役員の堀直人さんは2015〜19年、江別市議会議員を務めた。
執行役員の堀直人さんは2015〜19年、江別市議会議員を務めた。

 堀さんは3歳から江別で育った地元民。大学ではデザインを学び、札幌で就職して広告やパッケージデザインを手掛けた後、2010年に独立。NPOの出版社を立ち上げて『北海道裏観光ガイド』などの本を製作したことをきっかけに、「地域の新しい価値を発見すること」のおもしろさに目覚めた。そして、大麻銀座商店街にあるコミュニティハブ『江別港』を運営する橋本正彦さんと出会ったことで、江別にもおもしろい場所や活動をしている人がいることを知り、地元へ戻ることを決めた。

『江別港』で出会い、意気投合した堀さんと林さんは、古民家の利活用のためのイベントをいろいろとやってみたものの、自分たちのやり方に疑問をもつようになる。「イベントって打ち上げ花火みたいなもの。終わった後は日常に戻って、また閑散とする。そうではなく、まちを根本からおもしろくするためには、もっと地に足をつけて関わらないといけない。自分たちでリスクと責任を負いながら、仕掛けていく場所が必要。それを実現するには、ゲストハウスが最適だったんです」と林さん。

大麻銀座商店街。本を介して多世代が交流するブックストリートを定期的に開催してきたことで、商店街には若者も多く訪れる。
大麻銀座商店街。本を介して多世代が交流するブックストリートを定期的に開催してきたことで、商店街には若者も多く訪れる。

「ゲストハウスは拠点を利活用できるだけでなく、食事を宿で摂らないから回遊性のある業態。しかも人集めのノルマがカフェなどの飲食店よりも少ない分、持続性だってあるから、まちをおもしろくする地域再生のスキームを描けると思ったんです」と堀さんが付け加える。

 ゲストハウスをスタートするにあたり、勉強会や地域の人との話し合いの場を何度も設けた。「ゲストハウスって周囲の人たちの理解を得ないで進めると、地域の人に嫌われる一面もある。そうならないためにも地域の人と一緒につくっていくステップを踏んで、緩やかにムーブメントを起こしていきたいと思っています」という林さんは「僕たちが選んだ『大麻銀座商店街』はもともとポテンシャルがある場所なので」と強調する。

地元の人と交流しながら、暮らしやまちづくりに触れる。

 札幌のベッドタウンとして1970年代に多数の団地がつくられた江別市は、現在、住民の高齢化を迎え、団地には空き家が目立つ。大麻地区に4つある商店街が衰退していくなか、現在も活気があるのが大麻銀座商店街だ。昔からある店に加え、カフェ、ケーキ店、花屋などが出店し、人が人を呼んでいる。この賑わいの中心にいるのが『江別港』代表の橋本さんだ。

 商店街という場と人に魅力を感じた橋本さんはまちづくりのワークショップやブックストリートなどのイベントを行い、商店街に人の流れと勢いをつくってきた。橋本さんは「この場所に足りなかったのは、外からの人を呼び込むこと。『ゲニウス・ロキが旅をした』は対等なパートナー。商店街という既成概念にとらわれることなく、転換期を共に乗り越えて次の世代へとバトンを渡していきたい」と期待を寄せる。

1階にある黒板には、今までに聞いた勉強会や話し合いの様子が残されている。
1階にある黒板には、今までに聞いた勉強会や話し合いの様子が残されている。

 2017年12月にWebを立ち上げ、2019年7月にプレ・オープン、1年後の同月にスタートした、『ゲニウス・ロキが旅をした』は、「ゲストハウスという装置で社会課題を価値に変える」という使命とともに誕生した。2階は客室、1階部分には「食卓の共有」「仕事の共有」「挑戦の共有」ができるよう、ワーキングスペース、キッチン、ラボラトリースペースなどを設けた。こうした場所で旅人は住民たちと交流して、日常の暮らしや、まちづくりの最先端に触れることができる。それは新しい旅の形であり、ライフスタイルへの提案にもなっている。必要最低限のもの以外は用意しない。必要なものができたら、必要と感じた人が新しい風を起こせばいいのだ。宿であり、宿でない。そんな『ゲニウス・ロキが旅をした』という場所は、まるで人のように成長している。プレ・オープン後、じわじわと評判が広がり、江別でおもしろい活動をしている人、出張でたまたまやってきた人などが宿泊し、リピーターが増えた。当初の思惑どおり、名前に負けず劣らずユニークな人が集まってきた。

2階にあるゆったりとしたトリプルルーム。
2階にあるゆったりとしたトリプルルーム。
宿の2階にある宿泊者専用のパブリックスペース。
宿の2階にある宿泊者専用のパブリックスペース。

「やってみたい」が自然と生まれる拠点に。

 実は現在7名いる役員も元はプレ・オープン時の宿泊者たちだった。Web制作者、音楽・映像制作者、キッチンカー運営者、ファシリテーター、電気工など、それぞれが自分の仕事をもちながら役員を兼任。『ゲニウス・ロキが旅をした』は、こうして関わる人が増えるごとに、オンラインで対話のイベントを行ったり、ラボでの製作を始めたりと、自分の特技を増やし、成長している。堀さんは「場としてあえて完成しきってないというのも大事だと思っています。だからこそ、自分もなにかしたい、関わりたいって思うのかもしれない。役員たちは全員クリエイター。僕たちはリアルに地域をデザインしているんです」と笑う。

「宿泊客は月に1度商店街で開催するイベント『ブックストリート』の手伝いをさせられることもあるんです(笑)。でも、そういうのっていいなと思っています。社会課題の現場を見学するスタディーツアーが流行っていますが、『ゲニウス・ロキが旅をした』ではリアルな現場を深く見てもらえる。宿泊したらまちづくりの最前線に出合えるんです」と林さん。

国道沿いから眺められる『酪農学園大学』のキャンパス内の放牧風景。
国道沿いから眺められる『酪農学園大学』のキャンパス内の放牧風景。
宿から歩いていける、住宅街にある一軒家カフェ『motty』のモーニング。
宿から歩いていける、住宅街にある一軒家カフェ『motty』のモーニング。

 大麻銀座商店街に『江別港』があったことで多くの人が出会い、新しい活動が始まったように、『ゲニウス・ロキが旅をした』ができたことで、また新たな広がりができるのだろう。ゲニウス・ロキは旅をして成長を続けていく。日本各地の人たちとつながりながら、ゲストハウスという枠にとらわれることなく、たくましく、しなやかにチャレンジしていくのだろう。

 

 

ゲニウス・ロキが旅をした

住所/北海道江別市大麻東町13-32 

http://loci.work

photographs by Miho Kakuta text by Kaya Okada