沖永良部島のフーチャ
2020.10.10 UP

結婚と出産で2度の移住。家族で沖永良部島に住む西温子さんの決断力と実行力

PEOPLE

地方への移住を考えている人、または考えたことがある人、きっかけは何だろうか。結婚、出産、転職…。特に今ならコロナの影響で働き方の変化が理由になることもあるだろう。現在、鹿児島県の沖永良部島に家族と暮らす西温子さんは、これまで結婚と出産で2度、移住を経験。その決断と実行の背景、移住先での暮らしぶりについて話を聞いた。

西温子さん
西温子さん/1979年生まれ、埼玉県出身。20代前半から全国を旅する生活に。旅の途中で出会った現在の夫と2004年に福岡へ移住し、地元誌のアルバイトなどを経て2008年から手芸雑貨店を経営。2016年2月より家族で鹿児島県・沖永良部島へ移住。現在はおきのえらぶ島観光協会スタッフとして働きながら、個人的に手芸のワークショップなども行なっている。(c)nagasenatsuko

すべての始まりは20代の旅暮らし

埼玉県出身の西温子さん。22〜3歳の頃、「このまま大学を卒業し普通に就職して、私の人生これでいいのか」という迷いがあり、家出同然で東京に出たのが旅暮らしの始まり。アルバイトをしながらユースホステルのような安宿を探しては泊まるという日々で、各国から訪れたバックパッカーたち、漫画家を目指す若者、一流企業に勤めながら安宿から通勤する会社員など、多種多様な人生を目の当たりにする。「どんな風にも生きられるんだ」と、今で言う“ダイバーシティ”を実体験していた頃、のちに夫となる男性と出会う。最初は気の合う友人で、それぞれまた旅に出ては旅先からメールのやり取りをする程度だったが、あるとき2人の仲が進展する。

西さん「沖永良部島に長期滞在していた彼から、彼女ができたとメールが来て。その時なんだかモヤモヤしてしまって」

そして「自分の気持ちを確かめたい」と、沖永良部島へと向かった西さん。島で仕事の傍ら観光地などを案内してくれる彼もまた、わざわざ会いに来た西さんへ気持ちが傾くのに時間はかからなかった。2人の恋をスタートさせた沖永良部島が、移住先となるのは10年以上も先のことだ。

沖永良部島の海
沖永良部島の海。「この非日常感に素直な気持ちが暴走したんでしょうね。でも暴走しないと恋は始まらないでしょう(笑)」と西さん。(c)西温子

 

最初の移住先は福岡。いわば押しかけ婚!?

ほどなくして2人は交際を始めたが、東京で働きつつ旅を続ける西さんと、沖永良部島から福岡へと移っていた彼は遠距離恋愛を続ける。

西さん「しばらくすると埼玉の親から『福岡で一緒に暮らしたらそのうち結婚できるんじゃない』と言われて。フラフラと旅をしている娘を心配していたんでしょうね。それで私も福岡へ行って一緒に住み始めたんですが、2年くらいするとまた、『あんたたちそろそろ籍入れなさいよ』と。福岡移住も結婚も親に背中を押された形です(笑)」

手芸雑貨店
福岡時代に経営していた手芸雑貨店「Tutti Frutti(トゥッティ・フルッティ)」。(c)西温子

福岡では手芸雑貨店を経営。出産後、再移住を決断

2004年から暮らしはじめた福岡では、手芸店や地元フリーペーパー編集部でのアルバイトなどを経て、2008年、29歳の時に手芸雑貨店をオープンする。多忙な日々を送りつつも、仕入れと称しては国内外へ旅へ出ることもあった。夫は鮮魚店で働く傍ら、ライブハウスのスタッフやミュージシャンとしても活動。夫婦それぞれ、結婚前と同様に好きなことをしながら暮らす日々を送っていた。そして2014年初頭、西さんは35歳で出産を機に店を畳み、育児をしながら時々ワークショップを行うという生活に。

西さん「結婚してからも夫とは、いつかまた移住したいという話はしていて。育児が始まってしばらくして、現実的に考えるようになりました。赤ちゃんとの暮らしは、公園か、授乳室がたくさんあるショッピングモールなど、行動範囲が決まってきます。同じような毎日を過ごすうち、『あれ、昨日何したか覚えてないな』と思って。福岡はどこに行くにも便利だし子育てはしやすいけど、つまらなくなってしまったんです」

「便利で暮らしやすい」これほど育児に必要なことはなさそうだが、旅を続けてきた西さん夫婦は、想像がつく毎日を少しずつ窮屈に感じていたのだ。

西さん「多少不便でも工夫しながら子育てしたいなと。それで移住を決めました」

写真:西温子、nagasenatsuko、吉成泰恵子、古村英次郎
文:西紀子

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