「紙切れみたいな一枚の経木から世界の森を変えたい。」伊那で再び始まる、昔ながらの経木文化
2020.10.11 UP

「紙切れみたいな一枚の経木から世界の森を変えたい。」伊那で再び始まる、昔ながらの経木文化

SUSTAINABILITY

 多くの人が「森林保全」と聞いてイメージするのは、できるだけ木を伐らないことや、さらに木を増やす植林活動かもしれない。しかし実は、今の日本の森にとって本当に必要なのは、ただ木を増やすための活動ではない。そう教えてくれたのは、株式会社やまとわ 代表・中村博さんだ。日本の森のこと、そして循環する森づくりの中でたどり着いた“経木”について、話を訊いた。

荒廃していく、日本の森。

 日本は、国土面積の3分の2を森林が占める、世界有数の森林国。日本中、どこの地域にもある森林は、私たちの暮らしの中で様々な機能を果たしている。たとえば、地球温暖化の防止や、土砂崩れなど災害の防止、そして動植物たちの保全。さらに、心を癒やすセラピー効果や、山菜やきのこといった森の中で採れる食材の楽しみなども含めれば、森林から受ける恩恵はもっと多い。しかし、これら全てがうまく機能するためには、適度に木を伐採する“間伐”を行うなど日常的な森の管理が必要とされている。

森林

 世界では過剰な森林伐採が問題となっている一方で、日本では手入れされず荒廃が進む森林も多い。戦後、急激に増えた木材の需要を補うため各地に作られた人工林は、安価な輸入材の流入とともにいつしか管理されなくなり、収穫(伐採)の時期を過ぎた今も放置されたままになっている。

 森は降った雨を地中に蓄えることで、土壌の流出を防ぐと同時に水を浄化する。そして、森の豊かな資源の中で多様な生物が暮らすことにより相互作用が生まれ、自然環境が保たれているのだ。しかし、管理を放棄され、育ちすぎた木々が茂る森は、光が差し込む隙間もなく昼間も真っ暗。森林が持つ本来の力を発揮させるためには、多様な生命が共存する、木漏れ日の美しい森を取り戻さなければならない。

 そんな日本の森を変えるべく、地域の木材を使ったものづくりや地元の森林整備に取り組むのが、長野県伊那市にある株式会社やまとわの代表、中村さんだ。もともと郵便局員だったという中村さんは、29歳で仕事を辞め、木工職人の道へ進んだ。2016年には株式会社やまとわを立ち上げ、日本の森が抱える問題に日々取り組む中、今年8月には新たに「信州経木Shiki」の生産・販売を開始した。

信州経木Shiki

 現在はこうした地域材や森林整備の活動に熱中する中村さんだが、木工職人になった当時は全く関心がなかったという。そんな中村さんが、「やまとわ」という会社を立ち上げ、森林整備の活動に取り組むようになったのはなぜだったのか?

 そして、プラスチックが主流になる60年ほど前まで食品の包装材として使われてきた「経木」の生産になぜ今取り組むのか? 厚さ1ミリにも満たないこの薄い経木1枚1枚から世界の森林を変えていく、やまとわの挑戦に迫る。

関連記事:脱プラ+森林保全にも繋がる、懐かしい日本伝統の包装材「信州経木Shiki」発売

中村さんプロフィール
中村博さん●長野県伊那市出身。高校卒業後、郵便局員を経て木工職人の道へ。2016年10月、「森をつくる暮らしをつくる」会社、株式会社やまとわを設立し、代表取締役に就任。現在では、かんな削りの技術を競う全国的な組織である「削ろう会」信州支部の事務局長も務める。プライベートでは、2012年に地元有志で森林整備の団体を立ち上げ、週末林業に取り組みながら、日々森の中での暮らしを楽しんでいる。

表現者になりたい――その思いで選んだ、木工職人の道。

もともと中村さんは郵便局で働かれていたんですよね。現在の木工職人の道を選んだのは、「ものづくりがしたい」という思いがきっかけだったそうですが、その中で木工を選んだのはなぜだったのですか?

そもそも「ものづくりがしたい」と思ったのは、郵便局員のころの配達エリアに、昔で言う“ヒッピー”と呼ばれるような人たちが勝手に住み着いてるエリアがあって。その中にあったガラス工芸の工房で、若い職人さんたちと交流するのが好きで通ってたんです。変な人ばかりが集まっていて、すごく刺激的で。そのうちに、そうやって自分で生み出したものを世の中に発信している人たちに、僕はもう、すっごい憧れるようになって。だから郵便局員を辞めて本当はガラス工房に入りたかった。でもその工房の人に「絶対やめたほうがいい」と言われて(笑)。だけど、じゃあ何がいいかなって思った時に、木でものを作ることに興味があったというか。特別何かを考えたわけじゃなくて、漠然と家具屋が良かったっていう、そんなイメージなんです。

長野_南アルプス

そのときは木工職人になるための何かツテみたいなものはあったのですか?

当時、家族もいたので、とりあえず食べていけそうなところを探しました。そのとき僕は貯金保険の営業マンだったんだけど、お客さんで建具屋職人さんがいたんです。そのお客さんと話していたら、ある企業が廃業する建具屋を買い取って新しく立ち上げた建具屋があって、最近そっちに移ったという話を聞いて。そこで僕は「すごくいい話かもしれない」と思って、「友達が木工職人になりたいって言ってるんですけど、繋いでくれませんか?」と嘘をついてね(笑)。それで繋ぐ段取りまで全部つけてもらったあと、夜その方の自宅に伺って「すみません、実は僕なんです」って言って。

ええっ! すごい。相当びっくりされたんじゃないですか?

すごい止められて(笑)。「建具屋なんて食えないから、公務員辞めるなんて絶対やめろ」みたいな。でも僕も「絶対にそっちの道に行きたいんです」って頼み込んで。そしたらなんとか入れてもらえる話になりました。そのあと4年間くらいは修行期間でしたね。

森の現実を知って変化した、自分がやるべきこと。

やまとわ_KOA森林塾

当時は、とにかく「木工職人になりたい」という思いだったんですよね。そこから地域材でのものづくりや森林整備に取り組むようになったのは、なぜだったのですか?

実はそのあと、「森林塾」っていう木こりの養成講座をやっている会社から声をかけてもらって、そこで木工の仕事をしていました。あるとき森林塾を担当している先輩と話してたら、「国産の木を使わないことで日本は森林荒廃が進んでいて、しかも材木を輸入してくる国の中には森林がどんどん減少している国もある」という話を聞いたんです。そのときに一気に考え方が変わりましたね。自分は木でものを作ることが仕事。であれば、絶対に日本の木を使ってものづくりをするべきだ、と。そういうものづくりを通じて世の中に発信することで日本の木を使うことが増えれば、海外の木を輸入しなくて良くなるだろうと思ったんです。まあ、僕たちがやれることなんて、本当に少ない量の話なんですけど。でもやっぱり家具屋としてやる人がいないとだめだなと思って、僕がやってみようか、と思うようになりました。

木を扱う仕事だからこそ、中村さんの中には強い当事者意識が生まれたのですね。数年後に「やまとわ」という会社を立ち上げたのも、そうした思いの延長線上だったのでしょうか。

そうですね。そういうふうに思ってからは、地域材に完全にシフトして。その時点でも地域材を使ったものづくりはできていたのですが、やっぱり僕だけでやっていても使用量はすごく少ないし、もっと違うアクションをとりたい、可能性を広げたいっていう思いが強くなっていって。当時、地域のイベントなどで地域材や森のことについて話したりしてたんですが、その中で奥田(悠史)くん(株式会社やまとわ 取締役)と出会って意気投合したんです。それで一緒に会社を起こすことになりました。

やまとわのみなさん
やまとわのみなさん。左から中村さん、近藤さん、吉田さん、奥田さん。

Miho Aizaki

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