良い剥製、悪い剥製 ー標本バカ 第七十六話
2019.06.24 UP

良い剥製、悪い剥製 ー標本バカ 第七十六話

DIVERSITY

実際に再現するのが難しいのは、毛がなく、柔らかな皮膚が露出している部分だ。

顔面に浮き出した血管、躍動感のある体形、展示室の本剥製標本は来館者の目を引いてやまない。『国立科学博物館』の「ヨシモトコレクション」は400点以上の本剥製を主とする標本群である。ハワイの日系二世のワトソン・ヨシモト氏は1950年代から40年にわたり、五大陸で大型獣の収集を行った。現地で剥皮・塩漬けの処理をした毛皮は、米国シアトルの剥製工房『クラインバーガー』社へと輸送され、これらの見事な剥製が作製された。

「良い剥製とは?」という質問をメディアから受けたときに、「見える部分をきれいにつくるのは当たり前、普段見えない部分まで精巧につくられたものが素晴らしい」と回答した。剥製のお尻の穴を見る人はあまりいないと思うが、「ヨシモトコレクション」の肛門は、直腸へとつながる穴がふっくらと再現されており、今にも大便が出てきそうに造形されている。この話がおもしろかったのか、剥製の良し悪しを見分けるには肛門を見ればよいという風説が広がった。それも一つの見方だろう。剥製は前から見るものであって、後ろから覗き込んでみるものではない。

本剥製の良し悪しというのは、どこまで生きている状態を再現できているかだろう。収蔵庫の本剥製を見せると「川田さんがつくったのですか?」と言われるが、僕が時間を費やして作業しても、立派なものはできない。本剥製の作製には多数の複雑な工程が含まれ、時間的にも技術的にも無理である。せいぜいきれいに皮を剥いて、明礬液につけて防腐処理をし、中に綿を詰めて「仮剥製」と呼ばれるヌイグルミまがいのものをつくる程度だ。仮剥製には研究上の重要性があり、たくさん集めるものなので、扱いやすさや保存上の省スペースを考慮して作製されている。両手を「バンザイ」させて体を伸ばした標本にならざるをえないが、お客さんを喜ばせることはできない。

本剥製ともなれば技術的な鍛錬が必要とされ、皮のし工程から剥製内部に入れる胴芯の作製、縫製という過程にプロ独自の技が生かされる。顔面に浮き出た血管は、皮下にチューブを入れることで再現するのだという。ただこれだけでは良い剥製というものはできない。毛皮は乾燥していく過程で縮んでいく。せっかく生きているとおりに再現した個所がゆがまないようにピン留めして乾燥状況を見守り、さらには最終的な仕上げとして各部の着色といった工程までが含まれてくる。

実際に再現するのが難しいのは、毛がなく、柔らかな皮膚が露出している部分だ。皮は乾燥するとどうしてもしわしわの干物状になり、実際のみずみずしさが失われてしまう。毛が密生していれば隠されてごまかしが利くが、肛門しかり、サルの顔面のような箇所は、ある意味ミイラ的になってしまうので、皮の張りと艶をいかに表現するかが技の見せどころといえる。というわけで、僕にはやっぱり無理なので、展示用の本剥製はプロの剥製業者に依頼している。剥製の技術は、かつて地方で講習会が開かれるなどして一般にまで浸透したというが、現在大型獣の剥製を作製できる人は少ない。技術が今後も継承されることを願っている。

文●川田伸一郎
illustration by Fumihiko Asano

本記事は雑誌ソトコト2018年8月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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川田伸一郎

かわだ・しんいちろう
1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。2019年3月から6月まで同博物館で開催される「大哺乳類展2」の企画も担当。著書に『モグラ博士のモグラの話』『モグラ-見えないものへの探求心-』など。