100年後の未来(前編)
2020.10.18 UP

100年後の未来(前編)

DIVERSITY

 未来を主観的に予想する自由を与えられている。客観的に根拠なく、漠然であろうと、未来をイメージして楽しむことは誰もができる。一方、未来を正確に予測することは困難だ。事前に推量したとおりの未来が待っている保証は誰にもできない。しかしながら、テクノロジーの進歩を軸に、可能な限り精度の高い根拠に基づいて見当をつけるよう努めれば、予想よりも結果への信頼性を高められる。

『100年後の世界─SF映画から考えるテクノロジーの社会と未来』(化学同人)という本がある。これから100年ほどで、テクノロジーはどのように進歩し、それによってわれわれの社会にどのような変化が生じるのかが論じられている。著者の鈴木貴之氏は、東京大学大学院総合文化研究科(科学史・科学哲学研究室)准教授で、心の哲学、実験哲学・メタ哲学の研究者だ。本書の中では、生命、人間の能力を高めること、情報、人間の心、それら4つの領域に関するテクノロジーから100年後の世界にアプローチしている。

 バイオテクノロジーは『ジュラシック・パーク』、人工知能であれば『2001年宇宙の旅』など、いずれもテーマに即したSF映画が引用されており、その論と映像を紐づけてみると、リアリティが増す。フランスの小説家ジュール・ヴェルヌが1863年に書いた生前未発表の小説『二十世紀のパリ』に描かれている100年後のパリの姿には、20世紀の世界で実現されたテクノロジーが数多くあることについて言及されているが、『二十二世紀の世界』という小説をみなさんがいま書くとすれば、どのような世界を描くだろうか。

 どのような世界を想像、もしくは予測しようとも、未来は勝手に用意されているわけではない。コントロールのしようのない自然現象、不可抗力を除けば、未来は人間によりつくり上げられる。場当たり的か、長尺の目を持ってか、感情的か、論理的か。すべての人間が、同じ尺度や前提でひとつの未来をつくることは難しい。必ずしも合理的に行動するわけでもないし(一方で、合理的であることがよい未来に結びつくとも限らない)、足並みも簡単には揃わない。だからこそ、せめて未来に思いを馳せたり、どのような未来をつくることが幸せなのかについて熟考することが必要なのではないだろうか。「結果=未来」はともあれ、未来を自分たちの手でつくろうとする営み、試行錯誤自体に意味があるはずだ。

「われわれのこころの働きには、世界をよりよいものにするうえで不都合なものもある。たとえば、われわれは多かれ少なかれ利己的なので、生活に余裕があるとしても、ホームレスの人びとや発展途上国を支援しようとはしない。また、われわれは目先の利益にとらわれがちで、目先の豊かさのために、森林や化石燃料などを浪費する。これらの思考パターンも、脳の活動の産物だ。そうだとすれば、それを変えることで、われわれはよりよい人間になれるかもしれない」と鈴木氏は論じ、それに対しテクノロジーで脳や心、道徳的増強をすることの是非を問う。
 生殖医療、遺伝子治療、生命の創造、身体の改造、不老長寿、人間の仕事の人工知能やロボットへの置き換え、仮想現実。いずれも先端テクノロジーが不可能だったことを可能とし、新しい世界を生み出す。しかしその世界を生み出すべきかどうかを深く考えること、哲学なくして生み出してよいものだろうか。

 その問いこそが、100年後の未来の命運を握る。(後編へ続く)

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小川和也

おがわ・かずや
起業家、著作家、研究者、ラジオ番組ナビゲーターとして、ばらばらの点をつなげて未来をつくる活動をしている。起業家として独創的な事業を生み出し続け、2017年、世界的に権威のあるマーケティングアワード「DMA国際エコー賞」を受賞。人間とテクノロジーの未来を説いた著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は高等学校「現代文」の教科書をはじめとした多くの教材や入試問題に採用され、テクノロジー教育を担っている。北海道大学客員教授として人工知能の研究を行いJ-WAVE『FUTURISM』で番組ナビゲーターとして未来を生きる鍵を声で伝えている。また、実業と学術を往来し多様な表現方法を駆使しながら、未来のグランドデザインを描いている。最新刊は『未来のためのあたたかい思考法』(木楽舎)