どうして地元にUターン?
長崎県の南側に位置する、雄大な自然に囲まれた島原半島。島原市内には城下町の名残で武家屋敷がならび、町中に湧き水が流れる歴史と水の都だ。アクセスは長崎市内から車で2時間弱、もしくは熊本県の熊本港や天草からフェリーで30分。豊かな自然や絶景、美味しい食材に恵まれているが、決していつでも気軽に行ける場所ではない。
建築設計事務所「INTERMEDIA」(以下、インターメディア)は、そんな場所にある。代表の佐々木信明さんと、息子の佐々木翔さんを中心に組織・事業を展開。翔さんは18歳まで島原市で過ごし、大学進学を機に福岡へ。大学院進学や1年間の休学などを経て25歳で卒業し、東京の建築事務所「SUEP.」に就職する。在学期間中も含めて約5年働いたのちに、30歳で地元・島原へとUターン、父・信明さんが経営するインターメディアに合流した。
翔さんは、ベテラン信明さんのサポートも借りながら、故郷に戻ってからも数々の実績を残す。また、長崎大学や九州大学の非常勤講師を務め、来年度からは福岡大学でも講師になる予定。加えて、翔さんの交流関係や公の場での接点を通じて、定期的に学生が事務所住み込みのオープンデスクに訪れる。地方であっても様々な功績があり、社会との繋がりが豊富なのだ。このような故郷での働き方と、組織の体制づくりの秘密を紐解いてみた。
東京じゃなくても、やっていける。
東京の設計事務所に就職したと言っても、実はそのうちの約半分は九州にいた。長崎のお隣、佐賀県嬉野市での大きなプロジェクトを担当した翔さん。スムーズな遂行のためにも、2013年から住居を嬉野市に移していたのだ。また、そのプロジェクトはインターメディアとSUEP.の共同事業だった。嬉野市のプロジェクトは、実績がある地場の建築事務所でないと受けられない要件があったため、同じ九州の長崎に事務所を構えるインターメディアと取り組むこととなった。
翔さんは、島原のインターメディアに打ち合わせなどで通いながら仕事を進めた。その度に島原の事務所で作業もするし、事業パートナーであるインターメディアの働き方も見れる。また、比較的に若手なSUEP.と、経験豊富なインターメディアのタッグということで、ベテランが若手を支えるという構図でもあった。このような状況下で、「地方でやっていく」ことのシミュレーションができた、というのがUターンを決めた理由だった。そして結論を言えば、「地方でもできる」が答えだったのだ。
翔さん:通販サイトで物資を注文すれば、早くて翌日には島原にも届きます。もちろん、通信環境も問題ないので、7年前の時点でもデータのやり取りには支障がありませんでした。そんな東京と同じ条件下で、こっちでは自然豊かな環境を目の前にして製作に励むことができるんです。
図面を書くという仕事は、創作的な側面を持つ。作業に没入して作品を生み出すには、情報量の多い都市よりも、幼少期より育ってきた地元・島原の空気のほうが性に合っていたようだ。業務の環境には差が無くとも、よりパフォーマンスが上がる場所を選ぶ他にない。また、次々に情報が飛び込んでくる都会とは程よく距離を保ちながら、たまに自分の興味・関心が向くままにインプットの機会を選択できるほうがストレスがなかった。そうして、嬉野市の建築物が竣工後、SUEP.を卒業し、2015年に故郷へ帰ってきた。
Text:Kyosuke Mori
写真提供:佐々木翔