ULOCOのテキスタイル
2020.11.29 UP

Uターンして家業の刺繍技術を再生。テキスタイルデザイナー・イノクチケイスケさんの取捨選択

PEOPLE

カラフルな糸が描き出すユニークな柄に、思わず顔がほころぶ。刺繍専用の機械で作られているのは、テキスタイルデザイナー・イノクチケイスケさんが手がける、福岡発ブランド「ULOCO」の生地だ。大学卒業後に上京し20代後半で地元・福岡県にUターン。イノクチさんが地元に戻って挑んだ、家業の刺繍技術の復活と自身の挑戦について話を聞いた。

ULOCO・イノクチケイスケさん
イノクチケイスケさん(ULOCO テキスタイルデザイナー):福岡県生まれ。九州産業大学芸術学部でテキスタイルを専攻。卒業後、服飾デザインを学ぶため上京し文化服装学院へ入学。卒業後は清掃会社や映画の美術など多種多様な仕事に就く。20代後半で、福岡へUターンし家業の刺繍工場に入社。経理や営業などを経て、刺繍によるテキスタイルを使った自身のブランド「ULOCO」をスタート。現在に至る。写真は本記事のリモート取材中に撮影されたもの。(c)ULOCO

 “売れにくい”モノをつくる

イノクチさんが手がけるブランド「ULOCO(ウロコ)」は、刺繍で描かれたユニークなモチーフが特徴。ブランドコンセプトは特に決めていないというが、一つだけあるとすれば、と答えてくれたのは、「“売れにくい“モノをつくる」ということ。

イノクチケイスケさん(以下イノクチさん)「売れるモノは世の中にたくさんあるんですよね。でも売れるということは価格で比較もされる。それが嫌なんです。本当に価値を分かってくれる人に届けたいから、あえて『これは売れにくいだろう』というモノづくりを心がけています」

刺繍のモチーフになっているのは、イノクチさんが日常で気になったモノやコト。まずは自身が下絵を手描きし、そこからパソコンで刺繍用のデータを作成する。データが完成すると刺繍専用の機械でテキスタイルを製造し、服やストール、ポーチなどの製品を作っていく、という工程だ。機械で刺繍すると聞くと手作業よりも効率的なイメージだが、時間も手間もかかるという。

ULOCOスカート
トランプをモチーフにしたテキスタイルで作られた「Dr.トランプウロコちゃんスカート」。(c)ULOCO

イノクチさん「刺繍データが完成するまで1週間はかかります。自分が描いたデザインが生地になった時にどうなるか、刺繍機で実際に刺繍してみてから生地の伸び縮み具合やバランスをチェックしたりして、修正や微調整を繰り返すので。機械でガチガチに作られた“既製品”っぽいものは好きじゃないので、あえて線をズラしたり甘さを出したり、肌ざわりが良くなるように工夫したりしています」

こうして生み出される「ULOCO」のアイテムは、福岡・長崎・東京などのショップのほか、百貨店でのポップアップショップなどでも販売されている。また、コレクションに登場する有名ブランドからオファーされ、テキスタイルを提供することもある。

ULOCO
東京・新宿「rooms SHOP」でのフェアの様子(2019年秋)。(c)ULOCO

イノクチさんが福岡で「ULOCO」をスタートさせて15年。家業の刺繍工場に入社して始めたブランドだが、東京から地元へUターンし、ブランドを軌道に乗せるまでの道のりは決して平坦ではなかったという。

突然終わりを迎える東京での暮らし

実家は刺繍工場で、昔はいわゆる「ネーム屋さん」と呼ばれる、制服や既製服に刺繍を入れる工場だった。刺繍の機械やミシンがあり、イノクチさん自身には特に「家業を継ぐ」という意識はなかったが、刺繍はいつも身近にあった。

イノクチさん「普通に工場に遊びに行ったりしてましたし、親がやっている横で糸を切る作業を手伝ったりもしてましたね」

大学ではテキスタイルを専攻するが、卒業後に服飾デザインを学ぶため上京し、文化服装学院へ入学。2年間のカリキュラムを1年間で身につけるため課題に追われ、学校では夜8時まで、帰宅後も寝ずに朝までミシンを踏むという生活を送った。

イノクチさん学生時代の作品
イノクチさんが文化服装学院時代に描いたデザイン画。(c)ULOCO

イノクチさん「この時は実家を継ごうとは考えてませんでした。デザインやモノづくりが好きで、上京前はバンドもやっていたので、将来は音楽やファッションに関わる作り手になれればなと、漠然と考えてました」

しかし、描いた将来像とは裏腹に、卒業後はそのまま東京で、新薬実験やカメラメーカーの工場、清掃会社、映画の美術など、ファッション業界とは直接関係ない様々な仕事をして日々を送る。そして2~3年が過ぎた頃、福岡へ戻るきっかけは突然やってくる。

イノクチさん「28~9歳くらいですかね、実家の会社で経理をしていた方が病気になってしまい、会社が回らなくなるからとりあえず戻ってきてほしいと言われたんです。当時はまだ個人事業主でしたから、お金の管理を他人に任せるわけにもいかず。それで急遽、実家に戻ることになりました」

福岡に戻るやいなや経理の引き継ぎから始まり、家業での仕事をスタートさせることになる。さらに経理だけでなく、取引先への営業なども担うことに。

傾きかけた家業を目の当たりにして

イノクチさん「その頃は家業を継ぐという意識で仕事はしてなかったですね、全く。当時はすでにアパレル業界も底冷えしていて、よくこの売上げでやってるなと、どこか冷めた目で見てました。工場という土台があるのに刺繍機が動いてない。なぜかというと刺繍の仕事がないんですよね、中国に流れたりしていて。でも工場はあるから人もいるし会社は回さないといけないし。だから今のままなら、『正直継ぎたくない』と思ってました」

当時、実家の会社では刺繍機は使われておらず、柿渋染めの洋服を中心に製造。高年齢層をターゲットにしたブティックなどに営業し、置いてもらっていた。しかし、提案するイノクチさん自身も飽きてきており、提案先の店舗にも「また同じ雰囲気のものね」と指摘されることが増えていた。

写真:ULOCO
文:西紀子

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