逮捕報道の偏見
2020.11.18 UP

連載 | 今月の無罪 | 1 逮捕報道の偏見

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裁判員裁判4連続無罪の偉業を成し遂げた実績を持つ自称「令和の無罪請負人」、髙橋裕樹弁護士による「今月の無罪」連載開始です。
過去の判例を元に見るべきポイントや普段の生活で気をつける点について解説していきます。

1 偏見との闘い

 逮捕が報道されてしまった被疑者は、その報道が与える偏見と戦わなければならないことがよくあります。例えば、覚醒剤が尿から出てきた被疑者が「知らない間に飲み物に薬を入れられた」と弁解する場合、痴漢の被疑者が「手が当たっただけ」と弁解する場合、さらには殺人事件の被疑者が「責任能力に疑いがある」と報道される場合、多くの視聴者は「刑を軽くするための言い逃れ」「弁護士の入れ知恵」などと感じるでしょう。

 その結果、親族友人が離れて行ったり、職場に復帰できなくなったり、SNS等で苛烈な誹謗中傷を受けることもあります。僕ら弁護士は、このような裁判外の被疑者にもたらされる不利益とも戦っていかなければなりません。

 今回の無罪事案も当初の報道で「刑を軽くするための言い逃れ」だとバッシングを受けた案件だろうと思います。

2 無罪判決・控訴断念

 2019年8月、福岡県宗像市で、路上に横たわっていた49歳の男性を自動車で轢いて死亡させ、逃走したとして、当時48歳の看護師の女性が逮捕・起訴されました。

 これに対し、2020年10月、福岡地裁が「証拠上、被告人が被害者を轢いたと認定するには合理的な疑いが残る」として無罪判決を出しました。

 この無罪判決は、福岡地検が「有罪判決を得られる相応の事情や証拠を得るのが難しいと判断した」として控訴を断念したことで確定しました。

3 被告人が受けた世間の逆風

 女性が逮捕された直後、警察に対して「人を轢いた感じはなく、靴を轢いたと思いました」と弁解していることが大きく報道されました。SNSでは「気付かないわけがない」「靴と人では衝撃が全然違う」「轢き逃げ犯の魔法の言葉」など色々な意見が飛び交い、あたかも女性が「刑を軽くするための言い逃れ」をしているかのような扱いがされました。

 先日も轢き逃げ事件で逮捕された被疑者が、「大きいゴミを踏んだだけだと思った」と容疑を否認しているという報道がありましたが、確かに、轢き逃げを否定する被疑者の典型的な弁解は、「轢いたことに気付かなかった」「(踏んだのは気付いたけど)人だと思わなかった」というものです。

 さらに、現場を通り過ぎた後に、女性が現場に戻り110番通報をしたこと、その際に、自分が轢いたことを伝えなかったこと、看護師でありながら救急車を呼ばなかったことなども非難の対象になったようです。

 このようなSNSの投稿は、女性やその家族を大きく追い詰めたことは想像に難くありません。

4 轢き逃げの理由とリスク

 交通事故を起こしても、逃げ切れれば処罰はされません。現に、犯人の捕まっていない轢き逃げ事件は多くあります。そのため、逃げ得を許さず、轢き逃げをすることが重大なリスクとなるような刑が定められています。

 まず自動車事故で相手を死亡させてしまうと過失運転致死罪となり7年以下の懲役もしくは禁錮または100万円以下の罰金が科されます。一方、その人身事故を起こした人が救急車を呼ぶなどせずに走り去った場合は救護義務違反(轢き逃げ)として10年以下の懲役または100万円の罰金となります。つまり、事故を起こしたこと自体よりも逃げたことの方が重い罪に問われることになります。さらに、轢き逃げが発覚した場合、逮捕される可能性が格段に上がります。先日俳優の伊藤健太郎さんが轢き逃げで逮捕されたことが記憶に新しいと思います。

5 無罪獲得のポイント

 今回、弁護人は「人を轢いた感じはなく、靴を轢いたと思いました」という女性の言い分が、証拠と矛盾しないこと、証拠を踏まえてもあり得ることを裁判官に理解してもらう弁護活動をしたのだと思います。

 検察官側は、女性の車の左前輪タイヤから男性のDNAが検出された点、そのDNAの量が被害者の履いていた靴に付着しているDNAの量よりも多いという点等を主要な根拠として女性が轢き逃げ犯人だと主張していたのだと思います。

 そこで弁護人は、左前輪タイヤのDNAは被害者の靴を轢いたことにより付着した可能性があること、靴に付着しているDNAが保存状態の悪く捜査員が履くなどもしているため汚染(DNAの混入、量の増減など事後的な資料の毀損)された可能性があることを指摘し、さらに女性と同乗していた娘に「衝撃を感じなかった」という証言もしてもらったようです。

 その結果、裁判所は、弁護人の主張を踏まえた証拠評価をし、「別な自動車が被害者を轢いた可能性がある」ため、女性が轢いたとは断定できないので無罪、との判断をしたのです。

6 最後に

 この刑が確定しても、「『靴を踏んだと思った』と言えば無罪になるのか」といった批判が続いているようですが、そんな単純な判断で無罪になったわけではありません。

 この女性が少しでも元通りの生活に戻れることを祈ります。

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髙橋 裕樹

たかはし・ゆうき
裁判員裁判4連続無罪の偉業を成し遂げた実績を持つ自称「令和の無罪請負人」。「すべては依頼者の笑顔のために」をモットーに、3000件を超す法律相談実績を持ち、相続や離婚といった身近な法律問題から刑事事件、企業法務まで何でもこなすオールマイティーな“戦う弁護士”。アトム市川船橋法律事務所代表弁護士。