別府を若者のチャレンジを応援するまちへ。リモート×ローカルで地域と共に生きる
2020.12.19 UP

別府を若者のチャレンジを応援するまちへ。リモート×ローカルで地域と共に生きる

LOCAL

観光温泉のまち・別府。東京からUターン移住した深川謙蔵さんは、自分の強みで基盤を支えながら、ローカルプレイヤーとしても挑戦を続ける。地方でも自分の夢のために、そしてまちのためにチャレンジできる、これからの働き方を読み解こう。

昼はリモートワーク、夜はバーテンダー

2019年3月に東京から大分県別府市に移住し、街中で飲食店を経営する深川謙蔵さん。レコードとフルーツサワーが楽しめるお店「the HELL Record & Sour」には、深川さんの友人から今までバーに行ったことがない人まで、日夜様々なお客さんが訪れる。地域の人、別府にやってきた観光の人。多様な人が交わる交差点となり、そこから新しいことが生まれていく場所にしたい。そんな想いで営む深川さんの拠点だ。

バーの内観

バーが始まるのは夜の8時から。しかし、この場所へ行けば日中でも深川さんに会うことができる。深川さんの生活の基盤は、二足の草鞋だ。別府の街中でバーを経営する傍ら、もう一足は、東京の人材系企業で新卒採用支援の仕事をしている。朝9時からパソコンの前で朝礼を済ませ、日中はこのお店が事務所となってデスクワークをこなすのだ。夕方まで働き、定刻になればバーテンダーの顔に切り替わる。

大学を卒業し、新卒で入社した企業で人事部署に配属され、移住するまでの4年間キャリアを積んだ。その経験・スキルを活かして都市部から仕事を請けつつ、“まちの人”として生きる地方でのロールモデル。深川さんの生き方は、柔軟かつ堅実なしなやかさがあった。移住前後のお話を詳しく訊いてみよう。

大学時代の繋がりを守り続ける

深川さんが別府への移住を決めたのは、社会人3年目の中頃。別府市にある立命館アジア太平洋大学(以下、APU)に進学し、そこで多くの出会いと経験に恵まれた。

大学時代の深川さん

大学を卒業し、東京で就職した後も、数ヶ月おきに足繁く別府へ通った。

深川さん「むしろ、僕にとっては『別府に帰る』という表現がしっくり来てました。イベントの手伝いなんかで呼ばれて、お金もかかるし大変なんですけど、それも楽しくて。別府に戻って友人と会うたびに『それで、いつこっちに帰ってくるの?』と聞かれるのがお決まりでした(笑)。」

社会人になっても、そうやって別府やAPUとの繋がりは途絶えず、保ち続けたのだった。

APUの友人たちと。

どうしてここまで別府に惹かれるのか、東京に行っても深川さんを別府に繋ぎ止めたものとは何だろうか。それは、別府という町がいろんなヒト・モノを受け入れる寛容な性格だったことが影響している。町の目の前には海があり、後ろには山が囲う港町・別府。新しい文化は海から船に乗ってやってきた。町の外の文化を歓迎し、新しいチャレンジに対しても応援してくれる土地柄だったのだ。

別府の町の風景

小さい頃から親の転勤で引っ越しを繰り返してきた深川さん。日本各地を転々としながら、今では佐賀県に実家は落ち着いている。しかし、居心地の良さ、過ごした時間の濃さから、いつしか別府が深川さんにとっての故郷に。そんな町で、大学卒業直前の10ヶ月間、飲食店の経営にも挑戦した。様々なチャレンジの経験と地域の魅力から、学生時代から独立の意思が芽生えていたという。そして、その場所は別府だと心に決めていた。

文:Kyosuke Mori
写真提供:深川謙蔵、平末健人

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