理想の暮らしは自分でつくる、『佰食屋』・中村朱美さん。
2021.01.18 UP

理想の暮らしは自分でつくる、『佰食屋』・中村朱美さん。

WORK

朝早くから夜遅くまで働くことが多い飲食業界の中で、京都の『佰食屋』は異色の存在。本当によいものを一日限定100食と決めて売り切ることで、従業員は早く帰れる。経営者の中村朱美さんは、今もさらに売り上げを減らそうとしている。そして私たちに問いかける、「あなたにとって本当に大切なものはなんですか?」と。それが働き方、ひいては生き方を決めるから。

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現在『佰食屋』では朝9時半から整理券を配布。地元客、観光客で賑わう。

 事業拡大は目指さない。どんなに話題になってお客さんが来ても一日100食売ったら営業はおしまい。ここで働く人たちはどんなに遅くても18時には家路につける。京都市内の観光地から少しだけ外れた住宅街にある国産牛ステーキ専門店『佰食屋』の経営者・中村朱美さんは、店をオープンした2012年以来、「飲食店は朝から晩まで働くもの」など、仕事をするうえでの固定観念を「それ、ほんまにそうなん?」と覆してきた。京都府に生まれ育ち、歯に衣着せぬハキハキとした話し方が印象的。毅然とした立ち居振る舞いながら、凛としたしなやかさも併せ持つ。その存在は、目の前に立ちはだかる悪しき慣習をばっさばさと切り倒していく武将のようでありながら、家族を愛する2児の母、そして大切な従業員を守る経営者としての母性にもあふれている。「ついでにいうとゲーマーで、かなりのビビリでもあります」と快活に笑う。

 働き方の基本は「家に帰って家族と一緒に晩ごはんを食べること」。自分にとって大切なことはなにかを考えた結果、そこを絶対に譲れない基本として働き方を決めた。そして、その暮らしを実現するにはどうしたらいいかを逆算して考えて働き方の仕組みをつくっていった。中村さんにとって、プライベートと仕事は切っても切り離せないものなのだ。

「それで儲かるのかとよく聞かれるのですが、めっちゃ儲かるわけではないけれども、やっていけないことはない。よく言うのは、元・百貨店のレストラン勤務の40代男性は、うちに転職したあとも年収はさほど変わらない。そんなレベルです」

 事業拡大を目指さず、働き方を限定することは、自分たちにとってはいいことずくめなのだと中村さんはいう。「早く売り切ったら早く帰れるから、時間という対価がモチベーションになる。さらには毎日同じことをやることで少しずつ仕事に慣れ、余裕が生まれるから、接客がていねいになる。そして決まった数を売り切るからフードロスもなくなる。なにかを捨てることで得られることって、めちゃくちゃある。飲食店に限らず、こうした働き方っておすすめなんです」とにこやかに言い切る。

仕事も家族も大事。人生を逆算して起業を決める。

 この思考になったきっかけは、働くことを意識し始めた頃の体験から。大学在学中に就職活動をしたとき、大手企業やテレビ局などの選考に残ったが、「京都で働きたい」「夜中までしんどい働き方はいやだな」と気がついて、地元で「超ホワイト」と名高い専門学校に広報担当として入社した。最初の1〜2年は終業時間ピッタリの17時に帰れたが、部下ができ、役職が付き、仕事と責任が増えるとそうもいかなくなった。4年目には退社が21時近くになることもザラだった。

「結婚して子どもが欲しいのに、このままだったら保育園へ迎えにも行けないから働きながら子育てができない。ブラック企業に就職していたら、転職という選択肢もあったかもしれないけど、これ以上ないほどのホワイトな職場にいたからこそ、『仕事にやりがいを持てて、家族との時間もある』、そういう会社をつくるしかないと決心しました」

 飲食業界は未経験だったが、ありたっけの貯金を使って2012年に夫婦で『minitts』という会社を起業。「いつかレストランを開きたい」という夢を描いていた中村さんの夫が完成させた「ステーキ丼」を看板メニューに、10坪で14席の定食屋『佰食屋』を開業した。通常30〜40パーセントで設定されることが多いとされる原価率は、まさかの50パーセント超え。しかも一日限定100食と決めた。税理士からは本気で止められたが、圧倒的なコストパフォーマンスで、おいしいメニューを提供し続けたらこの設定で大丈夫という算段があった。その狙いどおり、口コミでどんどん広がり、整理券を配布して対応するまでになった。

「自分でも働きたいと思える仕組みはなにかと考えて、会社をどんどんよくしていきました」

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注文が入ってから料理するステーキ丼の肉は、脂身の少ない国産牛モモ肉を自慢のステーキソースでいただく。箸をいれると、ホカホカの湯気がたった。

大切なのは自己決定権。やりたいことを自分で選ぶ。

 順風満帆な『佰食屋』だったが、軌道修正を迫られたのは2018年9月の台風21号、そして今回のコロナ禍においてだった。台風の後の1か月間、関西国際空港が使えなかったことで観光客が減り、突然売り上げが半減した。「それでも1か月後には関空が元に戻る見込みがたっていたので、その時はお金を工面することでどうにか凌ぐことができました。でも、今後、予測できない災害が起こったとき、従業員を守りきれるかどうか。なにか対策をしなければと思い、これからはさらに売り上げを減らしながらも従業員にお給料はきちんと払えるという働き方を模索することにしたんです」と話す中村さんは、その翌年、京都の住宅街に『佰食屋1/2』をオープンした。災害が起きて100食が50食になったら、今のままでは赤字だけれど、もともとが50食で回せる仕組みだったらやっていけると考えた。開業時には新しい従業員を雇わず、これまでの従業員を割り振りながら、4つの店で、何人いれば無理なく何食を提供できるかの実験をしていたという。

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開店当初から変わらない10坪、14席の店舗を、現在は5人のスタッフで回している。しかし、運動会や子どもの病気など、どうしても4人になってしまうときは「目標は80食で」と設定の変更も行っている。

 その結果、コロナ禍においても序盤は問題なく店を維持できたが、2020年3月後半から大赤字が見えてしまった。とにかく街に人がいなかったのだからどうしようもない。悲しい決断だったが、観光地にあった2店舗の閉店をすぐに決めた。しかしながら住宅街にあったお店はテイクアウト需要で売り上げは落ちなかった。

 今後中村さんはお店を増やすのではなく、『佰食屋』のような働き方を社会に増やしたいと考える。「みんな目の前のことにとらわれすぎている。なんでお金が欲しいのか根本を考えたほうがいい。自分が死ぬまでの想像力を働かせてどのように生きたいか。子どもを大学に行かせるためにお金が必要? でも15年後の世界は、大学を出ていることが重要視される世界なのか? それよりも子どものときに一緒に遊んでほしかったと言われるかもしれない。こうして“当たり前”と思われている固定観念を取り払って、みんなが真剣に考えていく。その結果、自分の会社だけでなく、持続可能な働き方をする企業が増えて、社会全体が変わっていけばいい。凝り固まった人たちの頭に少しでも変化があればと、日々講演活動に励んでいます(笑)」。

 自分になにが必要かを考えた中村さんは、「今は化粧もしてないし、化粧水も使っていません」とあっけらかんと笑う。もちろん、人それぞれ大切なことは違う。みんなが早く帰れること、化粧をしないことが正しいわけではない。「重要なのは“自己決定権”。自分がやりたいことを、自分自身で選んでやる。それが日本の社会にとって、それぞれにとって必要なことだと思っています」といって中村さんは明るい未来を仰ぎ見た。

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社会通念にとらわれず、未来を見つめる中村さんが今後やるのは「防災」に関すること。自分だけでなく社会全体で防災に臨めるよう1年前に会社を立ち上げ、準備している。

photographs by Madoka Akiyama text by Kaya Okada

記事は雑誌ソトコト2021年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。