平日は畳屋、休日はラッパー!? 老舗畳店4代目の仕事。
2021.01.20 UP

平日は畳屋、休日はラッパー!? 老舗畳店4代目の仕事。

WORK

「平日は畳職人、週末はラッパー」。そんな働き方を実践する「MC TATAMI」こと、徳田直弘さん。実家は福岡県朝倉市甘木で明治38年(1905年)から続く老舗畳店。奇妙なダブルワークに至った経緯や、ビジュアルとは裏腹に、真摯かつ壮大な野望について。

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「あさくら再興☆未来マルシェ&LIVE」にて。MC TATAMIの曲で、老若男女問わず、盛り上がる会場。音楽と“畳”の力を思い知らされた。

 美しい田園風景の中、軽快なラップが響き渡る。ここは「あさくら再興☆未来マルシェ&LIVE」の会場。2017年の九州北部豪雨で甚大な被害を受けた朝倉地域を盛り上げようと有志らが立ち上げたイベントで、MC TATAMIはこの日のライブゲストの一人。耳馴染みのよいサウンドと覚えやすい歌詞で、会場は大きな盛り上がりに包まれる。ある曲で会場は一体になった。「いっちゃん好きばい」。久留米大学の学生とつくった朝倉・東峰村の復興応援ソング。歌詞には同地域の観光名所や名産品が並ぶ。

 ここまで読んで「MC TATAMIは、ラップで地域を盛り上げる人?」と思った方も多いかも。いえいえ、違います。彼は地元の枠を超え、壮大な夢を胸に活動する、『吉本興業』所属のれっきとしたアーティスト。まずは現在のスタイルになったストーリーから。

人生にきちんと挑戦したかった。そして“歌う畳屋”になった。

 MC TATAMIこと、徳田直弘さん。地元の工業高校卒業後、一部上場企業に就職。が、たったの1年で辞めてしまう。それは2010年のこと。「畳屋は古臭くって嫌だったんです。だから真逆の、最先端の道に進もうと、半導体関連メーカーを選んだんです。でも、ちょうどリーマン・ショックがあり、人生について考えるきっかけもありました。そこで、『やっぱり自分は、小さいころから大好きだった音楽をやりたい!』って強く思って。会社や先輩に相談したらめちゃくちゃ反対されました。一方で、『徳田みたいな18歳の時に、自分の好きなことをやっておけばよかった』ともすごく言われ、その時に『こんなこと言う大人には絶対になりたくない!』って、自分は何かに挑戦をして、だめやったら、『俺は挑戦したけど、だめやった!』って言える、大人になろうって」。

 退職後、まずはお金を貯めようと派遣会社に登録。工場などで昼夜問わず働き、貯めたお金でボーカルスクールに通いだした。スクール主催のライブなどにも出演、当初はカバー曲などを披露していたが、あることをきっかけに、現在に通じる“畳ソング”をつくることに。「オーディションやライブに、応募したり出演したりするけど反応がよくなくて悩んでいた時に、ボーカルスクールの先生から『なんで畳屋にならないの?』って唐突に言われたんです。『これから社会は畳を求める。畳は気持ちいい。フローリングに寝っ転がるのは痛いでしょ? でも、ただ畳屋さんになるんじゃなくて、君は歌をやっているんだから“歌う畳屋さん”になりなさい。そうすれば所属事務所も決まる』って。『なにを根拠に?(笑)』って思ったし、働きながら音楽をやる人なんて当時はいなかったから、どうしようかと思ったけど、実家が畳屋だし、1曲くらい畳の曲を作ってみるかって。できたのが『愛され畳』。で、それをライブで披露したら、今までにないくらいお客さんが笑顔で、反応もすごくって。ある大工さんから『うちの息子が就職に悩んでて、この歌を聴かせたい!』って言ってもらえたのにはうれしかったし、びっくりしました。『畳の歌で人に行動を起こさせる』って、よく考えたら俺にしかできない。歌がうまい、ルックスがいい、才能がある人はいっぱいいる。そこで闘うには畳の歌しかないなって。父親と祖父に『畳屋になる!』って言って修業を始めたのが2013年ですね」。

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父・幸生さん、母・依子さんと一緒に。「息子は小さいころはおとなしくて、目立たなかった。だから今でも不思議。人間って、わかんないですね。でも、成長するし、変わっていいと思う」と幸生さん。

photographs & text by Yuki Inui

記事は雑誌ソトコト2021年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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