2020年のノーベル賞
2020.12.07 UP

連載 | 福岡伸一の生命浮遊 | 120 2020年のノーベル賞

DIVERSITY

 10月は、毎年のノーベル賞発表のシーズン。ご存じのとおり、科学分野は医学生理学賞がC型肝炎ウイルスの発見、物理学賞がブラックホールの発見、化学賞がゲノム編集技術と、それぞれ前評判が高かった研究が受賞し、ミクロ、マクロ、テクノロジーとバランスもよかった。さらに文学賞は、米国の詩人、ルイーズ・グリュック(またしても村上春樹ではなかった!)、平和賞は、環境活動家のグレタ・トゥーンベリでもなく、香港民主化運動のアグネス・チョウでもなく、国連食糧計画、経済学賞は電波オークションに貢献したポール・ミルグロムとロバート・ウィルソンとなった。

 今回はまず、私の守備範囲である医学生理学賞の意義について考えてみたい。

 賞は、C型肝炎ウイルスの発見に寄与したハーベイ・オルター、マイケル・ホートン、チャールズ・ライスの3氏に与えられた。今年、世界中がコロナ禍によって混乱を極めている最中、ノーベル賞もウイルス関連となった。選考委員会もそのあたりを意識したのだろうか。

 1970年代、ウイルスが原因となって発症する肝炎はA型、B型が知られていた。特にB型肝炎は輸血、臓器移植、性行為、入れ墨(施術の針の消毒不十分)などによって移るのでやっかいだった。肝炎をこじらせると、肝硬変(肝臓機能の低下)、ひいては肝臓がんにつながる。幸いなことに、ウイルスが発見され、検査法も開発された。輸血用の血液を事前に調べることにより、スクリーニングすることも可能となった。B型肝炎ウイルス研究の功績により、1976年、バルーク・サミュエル・ブランバーグがノーベル賞を受賞した。ワクチンも開発され、日本や米国では新生児から幼児期に定期接種がなされている。

 しかし研究が進めば進むほど、別の謎が深まっていった。A型のウイルスも、B型のウイルスも関係していない肝炎があることがわかってきたのだ。

 オルターは、チンパンジーを使って輸血実験を繰り返し、病原体が血液に潜んでいることを突き止めた。これは言うには易いが、行うには難い。病原体の研究を進めるには、ヒト以外の動物実験系が必要となるのだが、ヒトの病原体を含む血液を、いくらマウスやラットに輸血しても病気を移すことができなかった。ようやく、ヒトに近いチンパンジーなら肝炎を発症させうることがわかった。しかし感染したチンパンジーを多数飼育できる研究施設は規模の面からも人力の面からも限られる。

 病原体は、細菌サイズのフィルターをも通過することから、細菌よりも微小なウイルスが原因と推定され、非A非Bのウイルス性肝炎と命名した。が、病原体は依然として謎だった。つまり人間がまだ知らない「新型」だった。

 現在の新型コロナは、ヒトが遭遇することにおいては新しかったが、研究法の進展もあって、ウイルスの正体は遺伝子レベルまで瞬く間に判明した。しかし当時、非A非Bは、ウイルス自体がまったくの未知だった。世界中のウイルス学者たちが血眼になりウイルスを探したが、いくら電子顕微鏡で炎症を起こした肝臓を探索してもウイルス粒子の姿は杳としてつかめなかった。これが1970年代中盤のこと。

 非A非B型肝炎ウイルス、すなわちC型肝炎ウイルスが発見されるには、さらに十数年の時間が必要だった。これを成し遂げたのは、ベンチャー製薬会社『カイロン』の若き研究者、マイケル・ホートンである。

 当時、すでに遺伝子検出法PCRは開発されていたが、PCRが使えるのは、遺伝子情報があらかじめわかっているウイルスに対してだけである。正体不明の「新型」ウイルスにはまったく歯が立たない。ホートンは画期的なウイルス探索方法を考案した。肝炎を発症したチンパンジーの血液中には原因ウイルスの遺伝子が含まれているはずだ。まず、血液中のあらゆる遺伝子を採取し、それをシャーレの上でタンパク質に変換した。しかし、ここにはチンパンジー自身の遺伝子由来のタンパク質も多数含まれている。これはノイズとなる。そこで、ウイルス由来のタンパク質だけを“釣り上げる”ため、抗体が利用された。

 ここがキモなのだが、肝炎を発症したチンパンジーの血液中にはウイルスに対して結合する特異抗体が生成されているはず。これを“釣り針”に使ったのだ。抗体に目印をつけ、それが結合するのがウイルスのタンパク質である。

 この作業は大変な労力を要した。大量の砂粒の中から、一粒の砂金を探し出すようなものだからである。しかし、ホートンの研究チームは膨大な努力の末、これをやり遂げ、とうとうウイルスのタンパク質を突き止めた。そこからウイルスの遺伝子情報を解読した。C型肝炎ウイルスの発見だった。

 1989年、『サイエンス』誌に華々しく論文が発表された。当時、ニューヨーク市のロックフェラー大学で暗いポスドク研究生活を送っていた私は、まぶしい思いで読んだのを今でも覚えている。(続く)

文・福岡伸一
collage by Koji Takeshima

記事は雑誌ソトコト2021年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。