愛にも、難易度がある。
2020.12.30 UP

連載 | ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ | 45 愛にも、難易度がある。

DIVERSITY

 家の近くに有名な炭焼きのお店がある。小さくて古い日本家屋の1階がお店になっていて、2階にはお店を切り盛りするご家族が暮らしている。年季の入った外観から僕は秘伝のタレをイメージしていて、長らく鰻の店だろうと思い込んでいた。だから実際は新鮮なお肉がウリの炭焼き店だと知った時は勝手に驚いた。このお店の馬刺しは肉厚で、ピンと角張ってピカピカとしている。初めて見た時はまるで新築物件みたいだなと思った。古き良き店内で見るそれは、なおのこと美しく見える。

 先日はそのお店でステーキを食べた。これまた看板メニューで、とてつもなくうまい。手際よく焼かれたステーキが大皿にズルりと載り、僕らがそれに手を伸ばそうとした時、大将が「あ」と変な声を出した。「……バター、載せる?」。いいんですか !? 僕らも思わず変な声が出てしまう。大将は銀紙につつまれた大きなバターを冷蔵庫から取り出し、数センチをゴトッと包丁で切り出した。そしてそのバター片をトングでつかみ、贅沢にボトリとステーキの上に載せるその時、また何かを思いついた顔をして、そのまま上半身を網のほうにひねった。大将はバターを網の上に浮かせている。「ちょっとあぶっとくね」。バターがゆっくりと溶けて、みるみる色っぽくなっていく。僕はおかしな体勢のままじっとバターを見つめる大将の姿を見ながら、どういうわけか「これは愛だな」と思っていた。

 愛とは何かというのは難しくて、多分みんなよくわからないまま死ぬからこそ、長く生きた人以外が語っても、中身がないような気が僕はしている。だけど自分たちのためにていねいに溶かされるバターを見ている時、愛とは受け手を幸せにしてこそだ、それだけは確かだ、と思った。DVやパワハラの動機を「愛しているから」と言う人がいるらしいが、それは違う。そういうには、このバターを見習ってほしい。

 ところで話は変わるが、以前も書いたとおり、僕は子どもを持つ未来についてよく考える。それは一緒に暮らしたいと思う女性がいるからで、彼女は性的なことにいまひとつピンとこない、という人だ。恋人というより家族が欲しいと言う。それならいつか、僕と僕の恋人と3人で家族ってことになればいいよね、という話を僕は彼女にしたのだった。その時は大いに盛り上がった。

 だけど正直なことを言うと、不確実なことに希望を持たせてしまったなと、後になって反省していた。彼女が出産をすることを考えると年齢的なリミットもある。3人で結婚となると、誰に、どこに、何を伝えればいいのかもよくわからない。それに僕には父親になる自信がまだない。

 だから、先日2人で旅行に行った時には、「あの話だけど、どうなるのかわからないよね」と僕は何度も口にした。「3人で気が合うって難しいかもしれないし、法的にもいろんなハードルがありそうだしね」。我ながらあまりの格好悪さに、穴があったら入りたいほどだった。

 だけど彼女は、温泉街の光をめいっぱい目に吸い込ませながら、楽しそうに「そうそう、どうなるかわからんよな〜!」と言うのだった。「そんなことがほんまに叶うかは、私な、どっちでもええねん。ただ私はな、子どもができるかもしれへんっていう希望を持てたことがな、幸せやねん。子どもを持つかもしれへんなら、健康的なもの食べとこうかなとか、運動もしとこうかなとか、そういうことを考えるようになってな。なんと調子もよくなってんねん! すごいことやんな。尚樹に感謝やな〜! って、そう思うわ」。

 僕はこの時も「愛だな」と思った。愛というのは、彼女や大将のようにただ人や仕事に対して誠実であれば、そこにあるものなのかもしれない。彼女ほどの愛を、僕はまだ真似られそうにないので、まずは大将を見習って、誰かのためにバターを溶かしたいと思う(バターは多いほどうまい)。愛にも難易度がある。

文・太田尚樹 イラスト・井上 涼

記事は雑誌ソトコト2021年1月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

キーワード

太田尚樹

おおた・なおき
1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。