弥栄神楽座
2020.12.24 UP

NY・埼玉・佐賀を経て、福岡県嘉麻市へ。地域の人々と神楽を作る振付師・緒方祐香さんの選択

PEOPLE

人々の健康や五穀豊穣を祈り、神に捧げて舞う神楽。写真は、福岡県嘉麻市上山田・射手引神社で2014年に誕生した「弥栄神楽座」による奉納の様子だ(撮影:長野聡史)。この神楽を振付・指導しているのが、振付師でダンサーの緒方祐香さん。彼女自身は佐賀県出身で、約3年前に嘉麻市へ移住してきたという。ショービジネスのチャンスが多い関東を離れ、なぜ九州へUターンしたのか、嘉麻市へ移り住み神楽を率いる理由とは。

緒方祐香さん
緒方祐香さん(振付家・舞踏家):1985年、佐賀県生まれ。3歳より踊り始める。高校卒業後3年間のニューヨーク留学を経て、菊池尚子のもとでコンテンポラリーダンスを本格的に学ぶと共にカンパニーダンサーとして活躍。2013年に九州へ活動の場を移し、ダンサーに限らない様々な人達との作品制作や、2014年に新しく立ち上がった「弥栄神楽座」の振付も担当。別名・秋風リリーとしては、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」を機に結成された「The NOBEBO」、九州で活躍するバンド「九州ロッカーズ」メンバーとしても活動。写真左(c)bozzo 、写真右(c)長野聡史

ニューヨーク留学で育ててもらったダンス感

幼少期からクラシックバレエを始め、学生時代にはヒップホップやジャズダンスなども習得した緒方さん。ミュージカルに憧れて2003年、高校卒業後にニューヨークのダンス学校へ留学する。ショービジネスの本場で期待いっぱいの新生活がスタート…というわけでもなかったそうだ。

緒方さん「若かったのでフワフワしてたんでしょうね。最初はひどくホームシックになったり、本場のミュージカルを見ても『私これがやりたかったのかな?』と迷い出したり…。でも、あるとき殺陣を学ぶ授業の一環で日本の芝居を見せる機会があったんです。その舞台を見たminbuzaという日本の郷土芸能を専門とするダンスカンパニーの先生が声をかけてくださって、ニューヨークにいながら日本の踊りも学ぶことになったんですが、特にその先生が踊る『越中おわら節』を見た時は日本の伝統芸能の美しさに感動しましたね」

不思議な縁でこの時の経験がいま、振付を担当している神楽に生かされているという。この出会いをはじめニューヨークで過ごした日々は、ダンサーとしての技術だけでなく心意気も学んだ3年間だったと緒方さんは振り返る。

緒方さん「いまの自分のダンス感はニューヨークから始まってます 。地元にいた頃からジャズダンスやヒップホップのような”形”で表現するダンスは得意なつもりでいたけど、あるとき70代のカリスマみたいな先生から『あなたの中身やイメージはすごく美しいが、技術が追いついていないからまずはそこから伸ばしなさい』と言われたんです。ニューヨークには体の使い方も精神も理屈では説明できない様々なダンスがあって、ガーン!と衝撃を受けましたね」

緒方祐香さん
ニューヨーク留学時代の緒方さん(右)。

埼玉のカンパニーに所属し数々の舞台に

ニューヨーク留学中に廊下でタオルを渡してくれたのが、同時期に文化庁の派遣留学で来ていたコンテンポラリーダンサーの菊池尚子さん(ダンススクール705 Dance Lab、ダンスカンパニー705 Moving Co.主宰)だ。

緒方さん「廊下での出会いから2ヶ月後、作品制作でポッチャリ体型のダンサーを探していると言われ(笑)、菊池さんの作品に出させてもらったんです」

その後、菊池さんが埼玉県ふじみ野市にスタジオを作る際に声がかかり、緒方さんも帰国後に門下生として加入。菊池さんにコンテンポラリーダンスを学びながら、スタジオで行われる子ども向けのダンスレッスンで教え、給料も貰えたという。また、気鋭のコンテンポラリーダンサーとして注目され勢いがあった菊池さんは、制作する作品数も多かった。出演ダンサーも多く必要とされ、緒方さんのような若手のカンパニーダンサーであっても、彩の国さいたま芸術劇場や新国立劇場など、大きな舞台で踊る機会もあったという。

緒方さん「私は器用な方だと思っていたのですが、コンテンポラリーダンスの世界では全然経験が足りず。菊池さんには技術的にもそうだし、現場での“ダンサーとしてあるべき姿”もしっかりたたき込んで育てていただきました。ダンサーとして使い物になるようにチャンスもたくさんいただいて。今の私があるのは菊池さんのおかげです」

緒方祐香さん
菊池尚子さんのカンパニーに所属していた頃の緒方さん。

父の病を機にUターン、九州から全国各地へ

2012年~2013年、緒方さんが28~29歳の頃にかけて、大きな転機となるさまざまな出来事が続く。

緒方さん「2012年に菊池さんのカンパニー・705の所属ダンサーを辞めたんですね。生徒としては残る形で。それとほぼ同時に、日本全国をツアーで回る仕事が初めて決まったんです。それがきっかけでダンサーとしての仕事も世界も、どんどん広がり始めました」

この頃はまだ埼玉に住んでいたが、図らずも九州での仕事が増え、別府現代芸術フェスティバル2012「混浴温泉世界」を機に結成された「The NOBEBO」での金粉ショーなど、さまざまなプロジェクトに携わる。

緒方さん「別府のフェスティバルに出ていた時にいろいろ情報が入ってきて、九州も結構面白いなと。もともと30歳くらいになったら、九州に帰りたいなと思っていたんです、大好きな両親もいるので。そんなことを言っている時に、父がガンになってしまい…。それで、『あ、今だ。帰ろう』と」

緒方さん曰く「パズルのピースがピタッとはまるように」、いろいろなタイミングが重なってUターンを決断。2013年に佐賀の実家に帰り、ダンスの仕事は福岡市内を中心に活動をスタートさせる。文化事業に力を入れていた当時の福岡市の行政も追い風となって、福岡市文化芸術振興財団からの仕事や日韓共同制作プログラムでの舞台など、帰郷後もダンサーとしての仕事は好調。金粉ショーは京都・東京・沖縄・青森などにも呼ばれるなど、業界でも注目される。

また、ダンサーとしては仕事だけでなく、表現力のステップアップや新しい技術の習得を目的に、全国各地に自費で行くことも。青森・八戸には山伏神楽を習いに足を運んだという。

秋風リリー
金粉ダンサーとしての名前は秋風リリーを名乗る。

写真提供:緒方祐香、長野聡史、bozzo、射手引神社、弥栄神楽座、樋口龍二
文:西紀子

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