葛飾北斎絵画 動的表現
2019.08.16 UP

北斎の動的表現 | 109 | 生命浮遊

DIVERSITY

前回に引き続き、わたしが監修を務め、『そごう美術館』にて開催中の「令和元年記念北斎展[HOKUSAI]」にことよせて、江戸時代の天才絵師・葛飾北斎について語ってみたい。わたしが北斎に関心を持つ理由は、わたしがフェルメールに魅力を感じる理由とまったく同じである。それはつまり、二人とも科学者的なマインドをもった芸術家であったから、ということに尽きる。科学者的なマインドというのは、ある課題に対して探究、究明、実験や実証を繰り返す精神のことである。

北斎にとっての課題とは何だったのだろうか。それは、世界をありのまま、絵画に写し取る方法論を探し求めることだったと思う。このために北斎はその全生涯をかけ、いくつになっても決して満足することがなく、常に新しい方法論の発見を目指した。これはまさにフェルメールにも通じることだった。では、世界をありのまま、とはどういうことか。現実の世界は絶えず移ろっている。風は吹き、水は流れ、雲は飛び、波は砕け、一瞬たりとも立ち止まることはない。そしてそのどれひとつ、同じ様相を繰り返すことはない。世界は動的なのだ。それに対して、絵画はどんなに頑張ったとしても本質的に静的なもの。

いったん描かれたものはそこに固定され、とどまり、本来の動きを失う。それだけではない。劣化し、色あせ、ひび割れや剥落が進み、絵としての美しささえ失われていってしまう。動的な世界をいかにありのまま、静的な絵画の方法の範囲で、表現しうるか。北斎はそれを一心に追究し続けた。これが科学者的なマインドということの意味である。今回の「北斎展」の眼目は大きく2つある。北斎作品の大半を占める版画は、その制作上の制約からどうしてもサイズが限定されてしまう。北斎が描いた原画から版木を彫り込み、しかも多色刷り(カラー化=錦絵)を実現するため、色ごとに何枚もの版木を用意し、互いのズレがないように精密に画角を揃えて印刷を繰り返す。この諸過程を正確・迅速に行うため、おのずと絵は小ぶりのサイズにならざるを得ない。ゆえに、北斎の版画作品の現物は驚くほど小ぶりで、およそA4サイズをひとまわり大きくしたくらいしかない。

それでも、昔の人々は、絵の細部に仕組まれた北斎ちかめの工夫を知るために「近目」という方法で、顔を絵に近づけて食い入るように作品を鑑賞したという。わたしたちは、リ・クリエイトというデジタル技術で、この近目を逆の方法で実現した。つまり高画質の原画データを引き伸ばして、解像度を失わないまま、絵のほうを大幅に拡大した。これによって近目ではなく普通の目で、画家の細部へのこだわりや仕掛けを楽しむことができる。これが1点。もう1点は、リ・クリエイトによって絵を再現する際、北斎の使用した画材や絵の具を分析することによって、経年劣化してしまった色やディテールを回復し、彼が描いた当時のみずみずしい色(北斎は、とくにその藍色の表現に優れていた)を正確に再現した。これが2点目の眼目である。

そのうえであらためて北斎の作品を見てみたい。富嶽三十六景のうち、たとえば「駿州江尻」。寂しげな草むらの中に続く東海道を行く旅人たちに一陣の強風が襲いかかる。手前の人物が持っていた荷物から白い紙が吹き上げられ、虚空に舞い上がる。笠が飛ばされないよう手で押さえる者。その隣では押さえそこねて大空に舞い上がってしまった自分の笠の行方を目で追う者。屈んで風と対峙する者。どうだろう。ここには見事に世界のありのままが描き出されている。見えないはずの風が見事なまでに表現されている。止まっている絵の中に「動き」が躍っている。これこそが北斎の目指していたものだった。

同じことは、北斎の代表作「神奈川沖浪裏」(通称「ビッグ・ウェーブ」)に見て取ることができる。大きく高まった波頭が次の瞬間、砕け散るその一瞬を捉えうに蠢いている。北斎がこのような表現に達するまで、いったいどれほどの試行錯誤がなされただろう。波の動と対照的に置かれた遠くの富士山の不動の対比も見事としか言いようがない。世界中の誰もが知っている北斎のアイコンである。

ぜひ、リ・クリエイトによる北斎の先駆者的精神を堪能していただきたい。なお、富嶽三十六景のもうひとつの代表作「山下白雨」(「黒富士」)は、黒くそびえ立つ富士山の山裾に、たまさか稲光が走った様子を活写した作品だが、わたしたちリ・クリエイトチームはその「動」にちょっとした遊びを施してみた。種明かしはご来場いただければわかります。

令和元年記念 北斎展 [HOKUSAI]
リ・クリエイト(複製画)で天才絵師、北斎の謎と技に大接近!
会 期:2019年7月27日(土)~ 9月1日(日)〈37日間開催〉*会期中無休
開館時間:午前10時~午後8時(入館は閉館の30分前まで)
主 催:そごう美術館、北斎リ・クリエイト展実行委員会
監 修:福岡伸一(生物学者)
料 金:大人1000円、大学・高校生800円、中学生以下無料 *消費税含む

text by Shin-Ichi Fukuoka
collage by Koji Takeshima

本記事は雑誌ソトコト2019年9月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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福岡伸一

ふくおか・しんいち
生物学者。1959年東京生まれ。京都大学卒。米国ハーバード大学医学部博士研究員、京都大学助教授などを経て、青山学院大学教授。2013年4月よりロックフェラー大学客員教授としてNYに赴任。サントリー学芸賞を受賞し、ベストセラーとなった『生物と無生物のあいだ』(講談社現代新書)、『動的平衡』(木楽舎)ほか、「生命とは何か」をわかりやすく解説した著書多数。ほかに『できそこないの男たち』(光文社新書)、『生命と食』(岩波ブックレット)、『フェルメール 光の王国』(木楽舎)、『せいめいのはなし』(新潮社)、『ルリボシカミキリの青 福岡ハカセができるまで』(文藝春秋)、『福岡ハカセの本棚』(メディアファクトリー)、『生命の逆襲』(朝日新聞出版)など。