人との出会いの中で決めた尾道への移住。自分の「表現」を通して、大好きなまちへ恩返しをしていきたい
2021.04.10 UP

人との出会いの中で決めた尾道への移住。自分の「表現」を通して、大好きなまちへ恩返しをしていきたい

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広島・尾道にあるシェアオフィス「ONOMICHI SHARE」。建物のすぐ前には、尾道水道が広がり、その向こうには、しまなみ海道一つ目の島、向島が見える開放的な空間。「ONOMICHI SHARE」でコンシェルジュを務めるのが、京都出身で、尾道へ移住して5年の後藤峻さん。大学卒業からフリーター、会社員、そして移住までのストーリーと、これから描く未来のストーリーについて伺いました。

ONOMICHI SHARE
写真中央:後藤峻さん。2016年1月、関西から尾道市へ移住。シェアオフィス「ONOMICHI SHARE」でコンシェルジュを務める。写真は、オリジナル自転車のレンタルや自転車の販売などを行なうBETTER BICYCLESスタッフと、「ONOMICHI SHARE」内で撮影。

人との出会いの中で、人生を歩んできた

2011年3月、大阪の大学を卒業後すぐ、フランスへ旅に出かけた後藤さん。南フランスで2か月間、友人宅に滞在していました。

後藤さん「学生時代、フランスで画家をしている、友人のお父さんの油絵展に訪れたとき、絵を見るうちにこれまでに感じたことのない『心地の良さ』を味わったんですよね。お父さんと話をしていると『君、おもしろいね』と言われて。卒業したらフランスに来ないか、と誘いを受けたんです。

ところがフランスに着いてから、基本的に部屋に引きこもってしまっていたんですよね。でも、『せっかく南フランスに来たんだから、いい絵を見なさい』ってせかされて。それから美術館に行くようになり、いろいろな絵に触れるようになりました。自分の中で、感覚的にいい・悪い、と判断がつくようになったと思います」

帰国後は、進路や就職のイメージがつかず、およそ2年間フリーター生活を送っていたそう。「帰国後は、自己表現をする時期だった」と当時を振り返ります。大学の近くにある「石橋商店街」で、地域の人を巻き込みながら、一風変わったイベントを企画、開催していました。

後藤さん「その日のテーマによって参加者がオリジナルのカクテルを作る『石橋カクテル倶楽部』、夜のパン屋さんをディスコにしたてる『パンやインザナイト』、羊毛を使ったワークショップ『ひつじの惑星』などです。

昔から、数十人が集まる規模のイベントやお祭りごとが好きでしたね。幼い頃、祖父母と一緒に暮らしていたのですが、近所から人を集めてご飯を振る舞ったり、お茶を飲みながらおしゃべりをしたり。たぶん、そこから影響を受けたんだと思います。リーダーシップをとる中心的な存在、というわけではないのですが、皆が集まってワイワイと楽しんでいる様子を見るのが好きでした」

その頃、「ONOMICHI DENIM PROJECT」という、尾道で作られるデニムとまちの魅力発信を目的に行なわれていたプロジェクトが全国キャラバンをしていて、ちょうど京都開催の日にイベントに参加します。

後藤さん「尾道で働く人が実際に穿いたデニムが展示販売されているんです。漁師なら漁師の、保育士さんなら保育士さんの色の落ち方やシワの付き具合がある。一本一本が違う物語を持ったデニムがあって。尾道っておもしろいな、と感じました」

それからおよそ一年後、実際に尾道を訪れます。イベントを主催していた株式会社ディスカバーリンクせとうちが運営する「ONOMICHI SHARE」で開かれていた、「尾道自由大学」の一周年記念イベントに参加しました。

後藤さん「当時はまだ付き合っていた妻の地元が尾道で。ずっと遠距離恋愛をしていたんですよね。尾道に行って、彼女に薦められたイベントに参加してみることにしました。たくさんの人が集まる中で、たまたま同じ大学出身で専攻も同じだった人がいたんです。何かのご縁を感じましたね。

それからは大阪に戻って、これからの人生どうしようか、と考えていました。ちょうどその頃『ONOMICHI SHARE』のスタッフから『働いてみないか?』と連絡をいただきまして。大阪の印刷会社でおよそ3年間働いていたんですが、経験したことのない文化で暮らしてみたい、という思いもあったので、尾道へ移住することを決めました」

タローパン
「石橋商店街」のパン屋「タローパン」。閉店後の店内にミラーボールを設置して「パンやインザナイト」というイベントを開催。

自分の言葉で尾道を語る。仕事ではなく、人としてつながる

2016年1月から「ONOMICHI SHARE」のコンシェルジュを務める後藤さん。

後藤さん「『コンシェルジュとしての対応』を心がけています。

まず、シェアオフィス利用者さんの支援ですね。意識しているのは、相手の気持ちを先読みすること。『ペンを貸してほしい』と言われると『何に使いますか』と聞くようにしています。一筆箋なら細目のペンがいいだろうし、ノートにメモをするなら三色ボールペンがいいだろうし。困っている人の表情を見て、相手の満足や解決となる答えを返せるようにしています。

あとは、利用者さんも含め、尾道に観光で訪れた人や、移住希望者などに尾道のまちを案内することです。休みの日もよくまちに出て、自分の足で歩いて目で見て、尾道のことを知るようにしています。例えば『あそこが尾道ラーメンの人気店です!』と言われるより、『あっさりならここ、無添加にこだわるならここ、地域の人たちが集まるところならここ』と言われたほうが、行きたくなりますよね。仕事としてまちを見るのではなく、一人の人間として尾道とつながる。自分の感情と言葉を大事にしています」

一人の人間としての覚悟を決める

尾道に移住してきた当初は、「尾道愛」というより「覚悟」が強かったといいます。移住するおよそ2年前、自身のおじいさんが亡くなり、自分という存在や与えられた役割を意識するようになったそう。

後藤さん「祖父はとても厳しい人でしたが、僕の大好きな人でした。人は、亡くなることは仕方ありません。ですが、今の僕がいるのは先祖代々の後藤さんたちのおかげ。そういった人たちに、誇れる人になりたいし、恩返しがしたい。だから、周りの人に、『後藤さんがいてくれてよかった、ありがとう』って思ってもらえる人間になりたい。まず、人間としての覚悟がつきましたね」

そのような人間になるためには、場所は関係ない。尾道でも京都でも、フランスでもいい。結婚したことで、さらに家族を意識するようになり「守るものができた」と語ります。

後藤さん「あとは、地方にいるからこそ、人一倍がんばらないといけないな、と思うようになりました。目線を上げておかないと、ずるずると落ちていってしまう気がしています。例えば、社会の新しい情報を常にキャッチしていくとかですね」

ONOMICHI SHARE
「ONOMICHI SHARE」は、最大席数70席&全席フリーアドレス。場所を変え、気分を変えて仕事に取り組める。また、仕事の合間に窓を見下ろすと、尾道水道の潮の流れや行き交う船を見つめ、気分転換ができる。

コロナ禍で「ONOMICHI SHARE」の意味を見つめ直す

覚悟が決まり尾道で仕事をする中で、人との出会いによって、尾道への思いが高まっていきます。「信頼して頼ってくれた人や、お世話になった人に恩返しをしたい」。後藤さんは、そんな尾道の人たちが、現在のコロナ禍でも助け合う姿を見て感動した、といいます。

後藤さん「日常的な助け合いの精神ももちろんありますが、2018年の豪雨災害のときの危機感が身についていたのかもしれません。『きっとこうなってしまうから、そうならないためにも今、これをしよう』とか。『困っている人がいたら助けよう』とか。その経験があったから、対応が落ち着いていて、動きも速かったですね」

コロナの影響で、シェアオフィスが尾道にある意味や、コンシェルジュとしての自分の役割を改めて考えさせられることになった後藤さん。「尾道へ来てほしい、『ONOMICHI SHARE』に来てほしい」と、これまでのようには言えなくなったそう。

後藤さん「尾道に来てもらうのが無理なら、自分から出ていこう、と。コロナが収まって尾道に来たときに、『そういえばこんな人がいた』と思い出してもらえるようにしたい、と思いました。

そして改めて、『ONOMICHI SHARE』の役割を考えたんですよね。会員さんにはクリエイターさんがいる、何か新しいものを生み出せる、そのための敷地の広さもある。僕もコンシェルジュとして、尾道で働くたくさんの人に出会ってきました。それで、2020年3月25日から毎週、尾道で働く人をつなぐラジオのライブ配信『オノミチシェアチャンネル』を始めました」

ONOMICHI SHARE
「オノミチシェアチャンネル」。後藤さんがシェアオフィスでの業務を通じてつながった、尾道で働く人々のお話を聞いていく。ゲスト自身が、次の回のゲストを紹介。

自身を成長させてくれた尾道で、自分が「資産」となる

尾道に移住して良かったことは何かと問うと、「ふらっと行っても受け入れられるような『拠点』が増えたこと」といいます。利害関係がある、困ったことがあったら助けてもらう、そんな「何か」がなくても寄りたくなる場所、誰かに会いたくなる場所がある、ということが心の豊かさにつながっているそうです。

後藤さん「あとは、関西にいたとき以上に成長できたと思っています。

僕は、サービスとして物を売ることは、お客様が求めているゴールを達成することだと思っています。そのために、どのようにゴール設計をして商品設計に生かせばいいか。クリエイティブ部分だけではなく、ビジネスで大事な部分を学べました。例えば、チラシを作ることは、商品が売れることが結果ではありません。その商品を受け取るお客様の満足が生まれることがゴールです。

関西にいるときは、周りの誰かがやってくれるから、やらなくても大丈夫だったんですよね。でも、尾道に来て、自分がやらざるを得ない環境になって。総務や経理周りのことも、経験していくうちにある程度分かるようになりました。そういう自分にならなければ、死んでしまう、みたいな危機感もあります(笑)。

僕にしかできないことをやる。自分という人間が、尾道にとっての『資産』になる、ということだと思うんですよね。そのようなことを意識するようになり、役回りや動き方が変わってきた気がしています」

ONOMICHI SHARE
写真中央の後藤さんは、「オノミチシェアチャンネル」で使うラジオ機材を手にしている。

独自の世界を「表現」していきたい

「やっぱり僕は地元が好きなんですよね」と笑顔で将来のことを話してくれました。

後藤さん「工場地帯でヤンキーも多くって。京都っぽくないな、と言われるんですけど。でも、幼い頃のことはよく覚えています。

家の隣の駄菓子屋のおばちゃんが『たかしくん、たかしくん』とよく気にかけてくれたり、近くに住んでいたおばちゃんは僕が帰省する度に『ほんま、たかしくんは、氷川きよしに似てるなあ』と言ってくれたり(笑)」

まちは、エネルギーを加えて無理やり変えるものではなく、様々な要因で変化することのほうが多い。都市は特に、人の入れ替わりが激しいし、人はいつか死んでいなくなってしまう。そうすると、まちの雰囲気は変わる。寂しさもあるけれど、どうしようもない。だから、その寂しさを受け入れ、最後には恩返しをしたいし、恩返しできる自分になっていたい、といいます。

後藤さん「最近は、二つのことに興味があります。一つ目は、フリーのコンシェルジュになること。いろんな地域でコンシェルジュという役割をしてみたいです。二つ目は、キャリア支援をしたいな、と思っています。進路や就職、キャリアなど、人生の選択を迫られるときの悩みに寄り添えるような人。僕のように、大学に7年通って、フリーターを2年やって、それでも生きていけるんだから、と言いたい(笑)。

これまで、コンシェルジュとして、誰かのやりたいことを実現する手伝いをしてきました。でも、これからは、自分なりの『表現』をしていきたい。誰かの世界に触れて得られることもおもしろかったんですが、自分の世界や哲学を表現して、独自のものを生み出していきたいですね。それが腑に落ちるときが来たら、ステップアップできるんじゃないかな、と思います」

フリーター時代、大阪の商店街で、たくさんのイベントを開いては「表現」をしていた後藤さん。人との出会いの中で「何か」が生まれることを、人生の中で体感してきたそうです。これからは尾道で、後藤さんなりの「表現」をもう一度見てみたいと思います。いつの日にか尾道に行けば、きっとその「何か」に出会えるかもしれません。

文:宮武由佳