「若者のすべて」と「大人のいちぶ」ー ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ VOL.35
2019.09.11 UP

「若者のすべて」と「大人のいちぶ」ー ゲイの僕にも、星はキレイで肉はウマイ VOL.35

DIVERSITY

 フジファブリックの「若者のすべて」がリリースされたとき、僕は浪人生だった。自分の学力には見合わない大学を志したがために、今思うと怖いくらいの勉強量をこなしていた頃だった。

 当時の僕は、火山から噴き出す蒸気のような、熱くて白い覇気を纏った求道者で、伸びていく偏差値以外、世界のすべてが停止することを望んでいた。洋服は1年間同じジャージーしか着なくなっていたし、予備校までの通学路は毎日同じタイルの上を歩いて通った。僕の口は、素早く品なく食物を噛み砕くだけの怪物になり、耳は英語のリスニング問題を聞き分けるだけのメカになった。僕は人というよりも、最低限の機能の集合体だった。

 だから、そんな僕の鼓膜を、心を、「若者のすべて」が震わせたことは奇跡に近かった。それはセンター試験を間近に控えたある冬の日のことだった。使い果たした栄養素をただ摂取するような情緒のない食事をしていた時、咀嚼音でさえ無視できた僕の耳が、ラジオから流れてきたあの奇妙に切ないメロディを聞き流せなかった。いつのまにか僕の視界は平衡感覚を失ってぐるぐると回り、そこにパッと花火が上がる。急に夏の夜が目の前に迫り、僕の心を押しつぶした。

 知っている方も多いと思うが、あの曲は、思い出をり、先に進まねばならない若者の気持ちを歌った夏の曲だ。僕は、否応なしに高校時代ずっと好きだったあの子のことを思い出した。好きという気持ちどころか、自分がゲイであることさえ、彼には伝えられなかった。

 僕は彼との思い出を忘れたくなくて、でもどうにか忘れるしかなくて、受験勉強に集中すると決めたのだった。そんな動機さえ忘れるほどの激情を抱えて受験に挑むことだけが、僕の救いだった。それはとても切実で不恰好な歩みだったけれど、それしか未熟な僕には思いつかなかった。

 あれから時が経ち、今年でボーカルの志村正彦さんが亡くなって10年になった(志村さんは「若者のすべて」を出した二年後のクリスマスに亡くなっている)。弔いの意を込めて、現メンバーたちがテレビで「若者のすべて」を披露していた。彼らはこれまで数多の憐れみの目を向けられてきたことと思うし、その視線は決して彼らの心を温めるものではなかったはずだ。でも、だから、彼らはこの10年、不恰好でもなんでもいいから一心不乱に自分たちで歌い続けてきたのじゃないかと思う。あの日のフジファブリックの演奏には、世情との摩擦に火花を散らしながら駆け抜けてきた、彗星のような凄みがあった。

 それに比べて僕は、大人になってからというもの、不恰好さを隠すことばかり考えるようになった。今も「いやでも進まなきゃいけないこと」に直面することはあるが、その時どうしても立ち上がってくるジメジメとした後悔や執着心を、隠したりごまかしたりして生きている。それは例えば、こっそりお酒に溺れることがそうだし、火遊びのような一夜を過ごすことがそうだ。周囲にはバレずに心の膿を出し、昨日と変わらず健康的に振る舞う不健康な僕が、今のリアルだ。それはとても無様なことだなと、ときに思う。

 だけどそういう自分を、決して悲観してはいない。なぜなら無様さは、僕という人間に奥行きを持たせてくれるからだ。つい先日ある友人から、「元彼が忘れられなくて、元彼と似た人を出会い系アプリで探してはセックスしている」と打ち明けられた時、「たまには似てない人もいいんじゃない?」と返した。そういうことが言える自分が、今すごく好きだ。

 人間みんなそんなに立派ではない。自分の無様さを受け入れるための懐は、そのまま誰かの痛みを受け入れる懐につながっている。そのつながりは決して無様ではなく、美しいと思う。だからこれでいい。僕はもう若者ではないけれど、無様さという、大事な「大人のいちぶ」とこれからも生きていくのだ。

文・太田尚樹
イラスト・井上 涼

本記事は雑誌ソトコト2019年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

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太田尚樹

おおた・なおき
1988年大阪生まれのゲイ。バレーボールが死ぬほど好き。編集者・ライター。神戸大学を卒業後、リクルートに入社。その後退社し『やる気あり美』を発足。「世の中とLGBTのグッとくる接点」となるようなアート、エンタメコンテンツの企画、制作を行っている。