移住先で育児と仕事を両立。BE THE VOICE和田さんの困難を乗り切る考え方とは?
2021.04.17 UP

移住先で育児と仕事を両立。BE THE VOICE和田さんの困難を乗り切る考え方とは?

PEOPLE

親戚や頼れる人がいない場所への移住は、生活での困りごとや不安も出てくるだろう。特に仕事と子育ての両立で抱える悩みは、ただでさえ近所付き合いが希薄な現代、身寄りのいない移住先ならなおさらだ。夫婦音楽ユニット「BE THE VOICE」は2011年に、生まれたばかりの長男を連れて東京都から福岡県へ移住。慣れない土地での育児で直面した困難をどう乗り越え、音楽活動と両立していったのか。ボーカルを務める和田純子さんにうかがった。
タイトル写真/撮影:亀山ののこ(c)BE THE VOICE

BE THE VOICE
●BE THE VOICE/東京出身の和田純子と鈴木俊治による、アートスクール系デュオ。1998年、名付け親でもあるYMOの高橋幸宏氏とファッションデザイナーの山本耀司氏のレーベル「コンシピオレコード」よりデビュー。やさしくもハスキーな女性ヴォーカルと、アコースティックを基調にした温かさと、テクノや Hip Hop に影響を受けたクールネスが同居したサウンドは日本はもとより、韓国でもファンを魅了中。現在は福岡に移り住み、近所の森に通うようになってからは公式youtubeチャンネルに「from the FOREST」シリーズの動画をアップするなど、作品にも森や自然の影響が現れている。TVCMの音楽やナレーションなども数多く手がけており、一度はどこかでその声を耳にしているはず。子どもの名前や声などを入れたカスタムソングを製作する「名入れソング」も涙が止まらないと話題だ。公式サイト 撮影:Takizawa Photo Works(c)BE THE VOICE            

移住体験プログラムが決心を後押し

夫の鈴木俊治さんとの音楽ユニット・BE THE VOICEでボーカルと作詞作曲を担当するのが、今回インタビューした和田純子さんだ。1998年のデビュー以来、楽曲リリースはもちろん国内外でのライブ、CMや広告の音楽を担当するなど幅広く活動。出身地の東京を拠点にしていたが、2011年の東日本大震災をきっかけに、生まれたばかりの長男を連れ家族で福岡へ移住した。

和田さん「九州へはライブツアーなどで何度も来ていて、漠然と『いつか住んでみたいな〜』とイメージしたことはあったんです」

震災後、子育てに不安を感じて移住先を探していた時に、福岡県の筑後地方で移住体験ができるプログラムの募集を知り応募。2011年9月から、久留米市郊外の田主丸町に1ヵ月住むことになった。

和田さん「森に囲まれた家をお借りしたんですが、ここがすごく素敵な場所で。大家さんも良い方でしたし、移住しようと決めました。ただ、移住体験した場所の近くには小児科の救急がなかったんです。それで、実際住む家は久留米市内の住宅街で見つけたマンションにしました」

田主丸町にも通える距離で田畑も多く、マンション近くの畑でホウレン草が育っているのも気に入った。また当時は、音楽制作の仕事のほとんどが東京。2拠点生活を見据え、福岡空港直行バスのバス停から近い場所を選んだそうだ。

和田さん「自分たちで不動産屋さんに聞いて探したんですが、土地勘もなかったので、移住体験で住ませてもらった家の大家さんにも色々相談させてもらって…本当にすごくお世話になりました」

体験移住
移住体験プログラムで1ヵ月暮らした森の中にある家。写真提供:和田純子さん

多少の戸惑いも人生の冒険として楽しむ

移住準備をしつつライブなど音楽活動も行いながら、2011年の冬頃から福岡県久留米市での生活をスタート。新天地での暮らしは、自然に囲まれた景色や空の高さに心躍る一方、戸惑うこともあったという。

和田さん「言葉の違いもそうですが、びっくりしたのは距離感の近さ。住んでいたマンションは皆さん仲が良くて、初対面に近い時から飲み屋さんに誘ってくれたり、お互いの部屋で夜通し飲んだりとか…」

それまでの人生では東京と神奈川にしか住んだことがなかったという和田さんにとって、経験したことがない距離感の近いコミュニケーション。当初は驚いていたが、徐々に慣れて仲良くなれたという。

和田さん「そういう戸惑いも移住ならではの経験かなと。人生の冒険というか、ちょっと長い旅をしてる感じで、言葉や文化の違いもワクワクしながら結構楽しんでました」

BE THE VOICE
移住準備と平行し各地でライブも。写真は2011年10月、韓国・ソウルの音楽フェスにて。写真提供:和田純子さん

子育てがきっかけで広がった人間関係

移住当時、長男は0歳。その後2016年には次男が誕生し4人家族に。親や親戚が近くにいない福岡での子育てと音楽活動は、どのように両立していったのか。

和田さん「本当にいろんな人にお世話になりました。子どもが保育園に入る前はライブなどにも必ず連れて行ってましたね。私たちが出番の時にはスタッフや、時には対バンのメンバーがうちの子をおんぶしてあやしてくれたり。誰も頼れる人がいないからこそ、そこにいる誰かを頼るしかないし、『うちの子はいろんな人に育ててもらってありがたい!』と、どこか開き直っていたかもしれません(笑)」

パーカッション
ソウルでのライブでパーカッションの手ほどきを受ける長男。写真提供:和田純子さん

自分のことであれば他人には頼りにくく自分で解決しがちなことも、子育てで手に負えないことは、素直に誰かに頼ることもできたという。また子どもがきっかけで、それまでの人間関係が深まったり、新たに広がることも。

和田さん「子ども達の保育園の園長先生と出会ったことは大きいですね。食へのこだわりや自然の中で遊び育てる教育方針もそうですが、親である私にとっても有難い出会いでした。私たちの場合は震災がきっかけで来たというのもあって、自分の中でもふとした時に『なんでここにいるんだろう』という焦燥感や、将来や社会に対する不安とかでネガティブになることもあったんですが、そういう気持ちを先生に話したら、自分ごととして受け止めてくれて。社会問題などにも意識が高い方で、すごく救われました」

子どもたちだけでなく、和田さんにとってもかけがかえのない出会いとなった保育園。自分ができることで返していきたいと、PTA活動や保育士の労働環境を改善する署名運動などにも関わっているという。

ミニチュア
保育園の保護者と一緒に、和田さんが得意なミニチュアを制作しバザーで販売したことも。写真提供:和田純子さん

文:西紀子

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