つながりの熱狂
2021.04.23 UP

連載 | テクノロジーは、人間をどこへつれていくのか | 58 つながりの熱狂

DIVERSITY

 米国の招待制音声系ソーシャルネットワーク・アプリケーション「Clubhouse(クラブハウス)」が突如注目を集めた。テーマを設けて雑談をしたり、専門家同士の会話を傍聴したりと、人それぞれの参加スタイルで楽しめる。一度入り込むと抜け出せなくなる要素もあり、「中毒性がある」と自嘲しながら“クラブハウス住民”を自称する人も少なくない。

 新たなテクノロジーとメディアの原点としての音声が掛け算されたソーシャルネットワークだといえるクラブハウスは、古くて新しいメディアだ。ホモ・サピエンスの歴史の始まりともシンクロする音声は、広義の意味でのメディアの原点である。文字の発明が情報の記録を可能としたことでコミュニケーションに大きな革命をもたらし、グーテンベルクの活版印刷技術が文字メディアを飛躍させた。そしてわれわれは、デジタルメディア、とりわけソーシャルテクノロジーが人と情報をつなぐ現代を生きている。

 2000年代からソーシャルテクノロジーに関する著書や論を展開してきた身ゆえに、新しいソーシャルメディアが誕生しては発生する人々の“大陸大移動”や“大陸分散”を追い、そこに存在する光と影の両面を数え切れないくらい往復した。

 次なる新星がどこへ向かうのかを観察しているところだが、対面がままならない感染症社会において、分断されがちなコミュニケーションを支えるソーシャルテクノロジーの力を再認識している。

 一方で、「我つながる ゆえに我あり」現象はますます加速している。「我つながる ゆえに我あり」は、心理学者でマサチューセッツ工科大学教授のシェリー・タークル氏がかつて論じた「つながっていても孤独」というソーシャルメディアへの警鐘の一節として有名だが、もはや“自覚なき浸透”の段階に入った。

 問題なのは、つながること、承認欲求ありきになり過ぎると、つながっていなければ自分じゃない気がすること。それでさらにつながりを求め、オンライン上の承認を得ることで自分を保つ。繰り返しているうちに、表面上はつながっているはずなのに、潜在的な孤独を抱える。孤独に耐える力や一人で邁進する力を養うよりも、不安にならないために常につながりを欲してしまうからだ。

 他者との相関抜きに自分を見つけ、そのうえで他者に近づくことで本質的な関係が築かれるものだが、常に接続していることで孤独ではないと勘違いしてしまう。擬似的なつながりを、これぞつながりだと思い込み、安堵感を覚える。実はこの状態こそが孤独であるというのが、「我つながる ゆえに我あり」現象だ。

 もちろん、これも未来のつながりへと向かう過渡期にすぎない。ノイズも増えたが、情報の民主化やコミュニケーション方法が多様化したことは紛れもない光だ。

 デジタル時代のメディアは新陳代謝と併用が同時並行に展開され、可処分時間の奪い合いは熾烈を極める。熱狂をよそにひと息ついて、「我つながる ゆえに我あり」のまま時間を消化していくことについて、一人で考えてみるのも悪くない。なにしろ、“Time is life”なのに物理的な24時間を2倍にすることはできない。与えられた限りある時間こそが寿命なのだ。

文●小川和也

記事は雑誌ソトコト2021年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

キーワード

小川和也

おがわ・かずや
起業家、著作家、研究者、ラジオ番組ナビゲーターとして、ばらばらの点をつなげて未来をつくる活動をしている。起業家として独創的な事業を生み出し続け、2017年、世界的に権威のあるマーケティングアワード「DMA国際エコー賞」を受賞。人間とテクノロジーの未来を説いた著書『デジタルは人間を奪うのか』(講談社現代新書)は高等学校「現代文」の教科書をはじめとした多くの教材や入試問題に採用され、テクノロジー教育を担っている。北海道大学客員教授として人工知能の研究を行いJ-WAVE『FUTURISM』で番組ナビゲーターとして未来を生きる鍵を声で伝えている。また、実業と学術を往来し多様な表現方法を駆使しながら、未来のグランドデザインを描いている。最新刊は『未来のためのあたたかい思考法』(木楽舎)