仮剥製ブーム ー 標本バカ 第九十一話
2019.10.11 UP

標本バカ 仮剥製ブーム ー 標本バカ 第九十一話

DIVERSITY

海棲哺乳類といっても、毛がないものばかりではない。

 同僚の田島木綿子さんが仮剥製を始めた。彼女は海棲哺乳類担当で、鯨類の研究が本業だ。鯨は剥製にするのが難しい。皮膚はなめらかな構造になっていて、水の抵抗をなくすために毛がない。このような生き物を剥製にするのが難しいのは、剥製が毛の色を保存する用途のもので、皮膚表面の状態はごまかされているからだ。毛がない動物を乾燥させれば、表面は乾燥してひび割れ、標本として残す意味があるのかないのかわからないものになってしまう。ヒトのミイラを想像すれば似通ったものである。ところが全長10メートルのツチクジラを剥製にしたものがあって、どうやって薄い皮膚を剥き、処理を行ったのか、信じられない標本として現存している。鯨の皮膚は乾燥するとパリパリになって脱落するのだ。

 海棲哺乳類は、毛がないものばかりではない。海に進出した哺乳類には、食肉目のアザラシやアシカといった鰭脚類がある。立派な毛を持つ哺乳類で、手触りも最高。緻密で良質な毛皮は断熱性の高い素材として、さまざまな用途に利用されてきた。これを丸ごと残して、多くの方に触れられる標本にしたいと田島さんは考えたらしい。あるいは、僕が日々仮剥製標本を作製しているのを見て、“標本バカ・ウィルス”に感染したのかもしれない。研究室のみんなを総動員して、皮を剥き始めた。ところが海の哺乳類は大きい。そして皮膚の下に蓄えられた脂肪が毛皮の作製を困難にする。ネズミやモグラの仮剥製を作るのとは具合が違う。ちょっとお手伝いしてやろう。

 材料は水族館から譲り受けた多数のオットセイで、開腹されて臓器が取り出されている。まずは毛の状態のチェックだ。長らく冷凍庫で保管しているものでは、体に含まれている脂肪が変性して皮膚表面に悪影響を及ぼす場合がある。腹部の毛をつまんで引っ張ったとき、皮膚表面と共に毛が束になって「ズルリ」と脱落する(業界では「毛がすべる」と表現する)ようなものは毛皮標本には向いていない。試してみたところ、状態は悪くないらしい。死後迅速に臓器を取り出して冷凍しておくと、保存状態はよいのである。

 開腹部から毛皮に脂肪を残さないように剥皮していく。鰭脚類の毛皮は弾力性が強くよく伸びる。しっかりと引き伸ばして、メスを45度の角度で当て、そぎ落とす要領で斜めにスライドするとうまくいく。難しいのは手足の鰭部分で、ここは皮膚が薄く、また指の間は皮膜状になっているため、深追いすると穴だらけになってしまう。鰭脚類の後肢先端には指骨から軟骨が伸びていて、鰭の面積を広げているのだが、これを取り出すのは難しそうだ。指骨の先端の、爪がある位置まで剥いたところで終了とし、内部に残った軟骨にはホルマリンを注射して防腐する。

 後は普通の中型哺乳類と同様、塩漬け、明礬液に浸した後に綿を詰めて整形・縫合すればOKだろう。全身にドライヤーをかける田島さんの姿があった。いつも僕が同じ作業をしているときは、「よくやるわねー」と笑っていたのに、妙に楽しげでほほ笑ましい。新たな標本作業に目覚めた彼女に、称賛の意を示したい。

記事は雑誌ソトコト2019年11月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文●川田伸一郎
題字●金澤翔子
illustration by Fumihiko Asano

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川田伸一郎

かわだ・しんいちろう
1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。2019年3月から6月まで同博物館で開催される「大哺乳類展2」の企画も担当。著書に『モグラ博士のモグラの話』『モグラ-見えないものへの探求心-』など。