まちづくりとソーシャル系大学 ー ソーシャル系大学案内 第30回
2019.10.27 UP

まちづくりとソーシャル系大学 ー ソーシャル系大学案内 第30回

SOCIAL

ソーシャルでエシカルな関心をもつ人を惹きつける、街の中に広がる学びの場「ソーシャル系大学」。2012年8月号から始まったこの連載も6年の時を数える。
訪れた全国の大学は25か所。魅力的なスタッフや参加者に出会う旅は、日本における地方行政や生涯学習政策の変化を実感する機会でもあった。なぜソーシャル系大学なのか。今回はまちづくりとソーシャル系大学の関係を考えたい。

ひとりひとりが少しずつ関わり合うという、社会観。

 生涯学習の分野で、自治体の事業とは関係なく、自分たちで学びの場をつくり出しているグループが目立っているなと気づいたのは2010年頃だった。行き詰まった住民参画の方法を刷新する「コミュニティデザイン」という考え方が導入され、地方行政にも「ワークショップ」や「ワールドカフェ」といったカタカナの活動が取り入れられ始めた頃だ。私が研究する生涯学習実践の多くは、そのような潮流からはやや隔たりのある教育委員会や首長部局で展開されていたが、それでも住民とともにどうすれば協働が実現するプログラムが可能なのかを探っていた。

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 住民参画や協働といった考え方がアカデミズムの世界でも語られるようになった背景には、公共性に関する考え方の世界的な変化があった。具体的には1989年、ベルリンの壁崩壊に象徴される冷戦の終結をきっかけに、資本主義か社会主義かという統治体制をめぐる是非というトップダウンの視点から、いかに自分たちで自治を実現できるかというボトムアップの視点へと変化した。この時期、英語圏を中心に「第三の道」を模索する政治思想がいくつか登場するが、そのうちのひとつに「コミュニタリアニズム」と呼ばれる思潮があった。

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 コミュニタリアニズムは政治的には中道左派に位置し、自治のための多様なスケールのコミュニティを重視する立場である。国家は「コミュニティ・オブ・コミュニティズ」のひとつに過ぎず、だから個人もいくつかのコミュニティに所属しながら、それぞれのコミュニティを動かす役割を少しずつ負担し合う。官僚にお任せしたら、あとは自動運転で国家行政が稼働するという考え方とは対極の、あるいは市場にすべてをゆだねるのが正解だとする思想とも対抗的な、身近な組織から超国家的な組織まで、ひとりひとりが少しずつ関わり合うという、社会観に基づいている。

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 ソーシャル系大学の活動を見ていると、これこそがコミュニタリアニズムの思想家たちが構想する政治的実践なのではないかと思えてくる。学びを媒介に集まる、月に何度か集まる、同じになろうとしない、平等であろうとする、新参者にこそ開かれている、少しずつ負担する、少しずつ関わる、広義の政治に結果的に深く関わり、ときに議員や市長を生み出す母体となる、国家的な、あるいは超国家的な課題にも向き合う。

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 平日の夜や週末の午後、何かを学ぼうと集まる人たちがソーシャル系大学を通して関わっているのは、すでにそこに広がる公共的な空間だ。それは、学びを通してまちづくりに関わるような暮らし方を可能にする、確かな政治的実践である。

記事は雑誌ソトコト2017年6月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

写真・文●坂口 緑
illustration by Verve Iwashita

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坂口 緑

さかぐち・みどり
明治学院大学社会学部教授。2000年、東京大学大学院博士課程単位取得退学。研究領域は生涯学習論。共著に『ポストリベラリズム』、共訳書にアーリー・ラッセル・ホックシールド『タイム・バインド』など。