ほどいては、あみなおして | 73 | こといづ
2019.11.03 UP

ほどいては、あみなおして | 73 | こといづ

SUSTAINABILITY

 家には黒猫と白猫がいる。山に引っ越してから、黒猫はほとんどの時間を外で過ごすようになった。見かけるのはご飯を食べる数分だけという日もある。雪の積もった日に足跡を追ってみると、ずいぶんと遠くまで、几帳面な足跡がとことこと民家の屋根にまで付いている。「黒猫がこの納屋にぴょいと入っていくなあと、毎朝決まった時間に入っていくなあと、見ておったんです」と100歳のシヅさんが教えてくれたとおり、一日の大半を別の家で暮らしているということもあるようだ。暖かくなってくると、トカゲ、ネズミ、モグラ、鳥といろんな生き物を持ち帰って、僕たち夫婦が歩きそうなところにわざわざ置いてくれる。「お前ら狩りが下手やから、わいがやっといたさかい」と見えないメッセージが添えられていて、きっと彼なりの優しさなのだろう。

 家のぐるりを散歩していると、この黒猫のチェロちゃんと偶然出会う日もある。ごろごろと幸せそうに地面に躰を擦り付けるので、わしゃわしゃ撫でてみると、すたっと立ち上がって「にゃあ〜、こっちに行こう」と言わんばかりに誘ってくる。そのまま後についていくと、やっぱり山の入り口に辿り着いて、「いや、今日は山には入らんよ」と言った矢先に、ひゅんひゅん、ものすごい勢いで真っ直ぐなヒノキを駆け上っていき、ぱっと他の木に飛び移って、すたっと華麗に着地してみせた。おお、黒い忍者だ。やるなあ、頭を撫でると、たたたっと山を駆け上って僕が追いつくのを待っている。「ちょっとだけやで」と再び後を追うと嬉しそうに駆け回ったり落ち葉の上にごろんと寝転がるのを繰り返している。

 子どもの頃の犬の散歩を思い出す。十分に山の中に入った頃、ちょいと休もうと腰を下ろすと、太ももの上に乗っかってきて、しげしげと僕の顔を眺めた。それがなんとも、家では絶対に見せない、不思議な交わりで、ぺろぺろと僕の顔を舐め始めた。愛おしくなって、ぎゅっと小さな黒い躰を抱え上げ、ぐるり取り囲んでいる樹々を一緒に眺めた。黒猫のチェロは澄んだ顔をして辺りの音を聞き入っている。ぴたっと一緒に躰をくっつけて耳を澄ましていると、ぶわっと、今まで見ていた景色とは別に、もうひとつの世界が、黒猫のチェロが毎日気にしている世界が立ち上がってきた。それはさっきまで僕が見ていた世界とはまったく違って、生き物の痕跡がそこら中に色濃く残っているような、ここを鹿や熊が通り過ぎたのはもちろん、朝に鳴いた鳥の歌声がもう音は聞こえないけれど波紋のように空気にやんわりと残っていたり、樹々が放ったよい香りが蛇のようにゆっくり宙を動いている。黒猫は、ひくひく鼻を動かすと、ぱっと飛び降りて、さらに奥の山に入ってしまった。小さくにゃあ〜と暗がりから呼んでいるけれど、「ありがとう、よいもん見せてもらって、また後でな」、ひと足先に人の世界に戻る。

 日に日に春の暖かさに満ち溢れ、86歳のハマちゃんの元気が溢れている。郵便受けを覗いていたら、「よいラブレエータなんぞは入っとらんか?」と笑いながら坂を上って来た。「あんたな、ミントソースっていうもんは、どないして使うんや。あんたなら知っとるやろ?」、「ミントソースなあ。アイスクリームにかけるくらいしか思いつかへんなあ」と妻が答える。そしたらハマちゃん「ミントーソースやで。やっともらったんや。あんたら、くるくるしたもんにかけるやろ?」と袋を取り出して「ひとつあげよ」。「えっ、ハマちゃん、これミートソースやん」。

 大工のスエさんが、頼んでいた棚を取り付けに来てくれた。この古い家には新しい建材が似合わなくて、それで倉庫で眠っていたような古い板を整えたり、山に生えている美しく曲がったままの木をうまく取り入れて、僕たち好みの嬉しい仕事をしてくれる。いつも仕事が早すぎて、どうやって作ったのか見逃してしまうので、今日こそは横でじっと見つめてみた。

 スエさん、ぶつぶつ独り言をいいながら、家の柱と床と天井に目をやった。そして、あっという間に柱と柱の間に棒を打ちつけていく。そして、板をそっと載せたら、棚が完成した。ああ、そうか。そうやってスエさんの頭と同じように見てみると、棚という「モノ」にこだわっていないのがよく分かった。それよりも、この場所で一番丈夫で揺るがないものは何なのか、それを真っ先に見極めて、その力をできるだけ使おうとしているように思える。スエさんが作るものは、「こうしてやろう」という作り手の無理が少ない分、周りの景色にすっと馴染んで昔からそこにあったかのような佇まいだ。スエさんの見る世界は頼もしい。

 シヅさんが、ぽかぽか陽当たりのよい部屋で編み物をして元気そうでうれしい。「なにを編んでるの?」と尋ねると「セーターを編んどります」と色とりどり縞々のセーターを見せてくれた。「いまの高木さんところに、昔、住んでいた人が蚕を飼っとったんです。それで糸を紡いだり織りものをやっとったんです。その時に出た糸くずやら毛糸の余りやらを集めて残しとったのを、もういっぺんつなぎ合わせて、セーターにしよるんです。昔に編んだセーターなんかもいて、その毛糸ももういっぺん使っとりますさけ、一色のセーターにはなりません。たくさんの色が並んでおります。解いては、編み直して、解いては、編み直して、やっとるんです。いつまでも終わりません」というので、皆で笑った。

記事は雑誌ソトコト2018年5月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・高木正勝
絵・さとうみかを

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高木正勝

たかぎ・まさかつ
音楽家/映像作家。1979年生まれ、京都府出身、兵庫県在住。長く親しんでいるピアノで奏でた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画”のような映像、両方を手掛ける。細田守監督最新作『未来のミライ』の映画音楽をはじめ、CM音楽などコラボレーションも多数。2018年11月、この連載をまとめた初の著書『こといづ』を木楽舎より上梓。 www.takagimasakatsu.com