えいがおんがく | 72 | こといづ
2019.11.04 UP

えいがおんがく | 72 | こといづ

SUSTAINABILITY

 この冬は、久しぶりに映画音楽に取り掛かっている。春になって毎日が賑やかになる頃には仕上がっているはずだけれど、いまは毎日、マラソンのように黙々と、ひとつひとつの曲と向き合っている。映画に必要な音楽は、だいたい二十数曲に及ぶので、一日一曲のペースで進めていても1か月は掛かってしまう。はじめての長編映画『おおかみこどもの雨と雪』の音楽の時は3か月とちょっとで完成したので、なんとなくあのペースで進めていけばゴールに辿り着くだろうと目安にしている。

 今回の映画は、1年以上前からお誘いをもらっていたので、時間の余裕はたっぷりとあった。監督から連載のように少しずつ届く真新しい物語や、電話や実際にお会いして話す言葉の断片から、こういうイメージなのかな、と思い浮かんできたメロディをピアノで奏でては録音して監督に届けていた。このやりとりを僕たちは「スケッチ」と呼ぶようになったけれど、ほんとうに音で描いた心のスケッチのようなもので、儚くて、ぼんやりしたものだ。これから映画にふさわしいものに育っていくのか、それとも、ふわっと、今回は使われないけれど、気配として残っていくような音たちなのか。来る日も来る日も、音のスケッチを描き散らして、ある日、ようやく「ああ、これだ!」と愛おしいメロディが歓びと共に降ってきた。やったあ、よかったよかったと監督にも送ってみたけれど、どうにも反応がいまいちだ。そのうちに、映画のほうは、文字だけで紡がれていた脚本から、絵が描かれ、色や動きがついて、背景が描かれ、世界がどんどん生まれていく。あれ、なんだか音楽だけ、僕一人だけ違うところに迷い込んでしまったような気がしてきたぞ、このまま進めてもおもしろい映画音楽にはならない気がしてきた……、そんな恐ろしい予感がよぎる日々が続いて、いよいよスケッチの手がぴたっと止まってしまった。

 悶々とした気持ちのまま数か月、時間だけが過ぎてしまった。再び監督や関係者の方たちと会う日がやってきたけれど、打ち合わせで交わされる言葉の意味がよくわからなくなってしまった。「ここから先、どのように進めればいいと思われますか」と苦し紛れに監督に尋ねてみると、「今まで出してもらったスケッチは一度忘れてもらって、いつもの高木さんの感じでやってもらえれば。『いつもの高木さんで』、それだけを望んでいます」と穏やかな笑顔でおっしゃった。あれ? いつもどおりに……、自分の思うままに……、そうやって進めたのがこれまでのスケッチだったのに……??? そもそも「いつもの自分」っていったいなんだろうと、ぐるぐる目眩のするような問答の穴に落ちてしまった。

 分からないままにも締め切りの日だけは近づいてくるので、とにかく、できるところから曲をつけてみる。手元には監督との会話で出てきた言葉を極力逃さずに書き留めたメモがあった。「このシーンはこういう意味合いのシーンだと思うので、音楽もこういう雰囲気のものかもしれません」と、さまざまな言葉で音楽がやるべきことを説明してもらっている。その言葉を参考にしながら思いついたメロディを演奏して、よし、おもしろい感じになってきたかもと、再び監督に送ってみる。「いや、うーん。何かが違うというか。ほんとうにいつもの高木さんのままでやってもらえればいいのですが……」と困っている返答だった。「映画に寄り添い過ぎているのかもしれません。しばらくは僕の言葉を横に置いてもらって、出来上がってきた映像も見ないでもらって。今まで高木さんにお伝えしてきた言葉は、映画に対する僕の一つの解釈に過ぎませんから。高木さんは高木さんで、映画全体を俯瞰的なところから見てもらって、そこから音を奏でてもらえれば」。

 何かがピンときた。そうか、「いつもの自分らしく」、そういうことか。僕の勝手な思い込みだったり、妄想をそのまま表に出してしまっていいということか。この数年、さまざまな方から音楽を頼まれる仕事が多くなったので、相手の想いを理解しようと打ち合わせではできるだけメモを取るようにしていた。数年前までは手ぶらで出向いてメモも取らなかったのに。相手に寄り添おうとするのは大事なことだけれど、相手の心と同じになろうとしてしまうと、「自分らしい心」は消えてしまう。相手が赤だと思っていても、こちらが青だと思っていたなら、それでよかったのだ。一緒になれば紫になる。それも単純な紫ではなく、時には赤になったり、赤っぽい紫だったり、真っ青になったり、自在に変化するおもしろい色彩。誰かと一緒に何かを生み出すというのは、そういうおもしろさだなあと、改めて気がついた。

 それで、もう一回、最初にもらった脚本を読み返してみた。そこには純粋に、監督が思い描く豊かなストーリーが展開されていた。だけど、そのストーリーをそのまま受け止めようとすると、「ここはどういう意図なんだろう。なぜこのシーンがあるのだろう」と疑問がいくつも湧いてきた。その疑問を作者にぶつけてもいいのだけれど、自分なりに勝手に解釈してみる。もしもこういうことだったなら、最高におもしろいストーリーだなと思えるまで、いろんな筋道を考えてみる。描かれていない、もうひとつの並行するストーリー。どこまでも自分好みの、自分だけに送るストーリー。わあ、おもしろい。布団の中で眠れなくなって、何度も何度も頭の中で描いてみる。数日後、その妄想の世界を、妻にぼそぼそっと伝えてみた。「わあ、いいんじゃない」。おもしろがってくれたみたいなので、今の話を聞いて思いついた絵をいくつか描いてほしいとお願いしてみる。

 朝起きると、机の上に、指先ほどの小さな小さな絵が7枚。絵というか色というか。ふふふっ。おもしろい。にんまり朝陽を浴びて、風に吹かれた。もう自分がやるべきことがわかった。音が頭の中で流れ出したので、それを拾っていく、ただただ、こぼれないように受け止めていく。そのメロディが、いいか悪いか、そういうことはわからないけれど、そのまま監督に送ってみる。「ああ、これですよ。欲しかったのはこれです。このまま進めてください」。ほっ、ようやく、はじまった。生まれてきた人、それぞれが持ち合わせている「いつもの自分らしさ」、それぞれのキラキラした宝もののような眼差し。それが交わったり離れたり、はみ出していったりしながらも、同じ方向に向かって、待ち受ける未来にたどり着く。おかしなことだけれど、こういう風にふわふわした時間の中で映画の音楽は一歩一歩完成に近づいてゆく。ドキドキしながら。

記事は雑誌ソトコト2018年4月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文・高木正勝
絵・さとうみかを

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高木正勝

たかぎ・まさかつ
音楽家/映像作家。1979年生まれ、京都府出身、兵庫県在住。長く親しんでいるピアノで奏でた音楽、世界を旅しながら撮影した“動く絵画”のような映像、両方を手掛ける。細田守監督最新作『未来のミライ』の映画音楽をはじめ、CM音楽などコラボレーションも多数。2018年11月、この連載をまとめた初の著書『こといづ』を木楽舎より上梓。 www.takagimasakatsu.com