1990年生まれのレイモンドファーム農場長・岩﨑亮介さんは、クラフトベジタブルをつくっています。
2019.11.19 UP

1990年生まれのレイモンドファーム農場長・岩﨑亮介さんは、クラフトベジタブルをつくっています。

WORK

水と空気、そして太陽があれば都会でも野菜は育つ。
岩﨑亮介さんは、人とまちの営みを支えてきた農家の19代目で、新規就農3年目の若手。
その狭間で考えていることとは?

ただ、普通のことを、普通にやっていく。

 東京の農業は、ほかと少し違う。まずはなんといっても立地だ。住宅街を歩く先に突然畑が現れると「こんなところに!?」と、思わず驚かされる。しかし、それはあくまでも現代人の目線。東京が今の姿に急速に発展したのは戦後からの“わずかな期間”のこと。『レイモンドファーム』がある地域も江戸時代には田んぼが広がり、稲穂が茂るという意味で「穂屋」という字が使われていたこともあるほど、農業地としての歴史は古い。400年続く農家の19代目、岩﨑亮介さんも幼い頃から土に親しんできた。

キャベツ畑にて。葉物野菜は、小さな虫食い跡が生育とともに大きくなるので、ていねいに見回りをしている。
キャベツ畑にて。葉物野菜は、小さな虫食い跡が生育とともに大きくなるので、ていねいに見回りをしている。

 「祖父は現役時代キャベツ栽培に力を入れていて、出荷のための段ボールの箱作りを手伝った記憶があります。畑は生まれたときから当たり前の風景でした」。その畑では、ブロッコリーとキャベツがのびのびと葉を広げ、身を太らせた秋ナスが午後の日差しを浴びてつややかに照らされていた。「一番難しいのはやっぱり天候です。夏がもう終わったと思っていたのに暑い日が続くこともあるし」。

 汗ばむ日も凍える日も、日照りの日も、雨の日にも、たったひとりで作業を行う岩﨑さんは、自分自身を「普通のことを普通にやっている農家」だという。

 「つくりたいのは、味がよくて見た目のきれいな野菜。変わったことをして目立つのもあまり好きじゃないし、淡々とやっています」。

祖父の代から変わっていないという畑の広さは約8反(約8000平方メートル)。整然とニンジンが植えられていた。
祖父の代から変わっていないという畑の広さは約8反(約8000平方メートル)。整然とニンジンが植えられていた。

 作業場には、袋詰めされたいくつもの野菜がこの日の出荷を静かに待っていた。売り場で映える荷姿の美しさも岩﨑さんのこだわりだ。知人はそんな野菜に、卓越した手仕事をイメージして「クラフトベジタブル」と名づけたという。栽培しているのはニンジン、ホウレンソウ、トウモロコシ、ダイコンといった、いわゆる定番野菜たち。

きれいに見える袋詰めを研究したというブロッコリー。
きれいに見える袋詰めを研究したというブロッコリー。

 「定番ものは機械化しやすいし、生産性も上げやすい。めずらしい野菜だとそうはいかないし、出来栄えの判断も難しいから」。消費地との距離が近いので鮮度がいいのは当たり前。高品質の定番野菜を作ることができればしっかりと売れる。ほかの農家との差別化に頭を悩ませることなく、純粋に自分の信じる農業に打ち込めるのも東京ならではだ。しかしその半面、農薬散布など音の出る作業は時間を選び、臭いの出る作業は場所を選ぶなど、近隣への配慮は欠かせない。2017年に就農して3年。都市の農業の現実と折り合いをつけながら、岩﨑さんは地に足を着けて歩み始めている。

年間10種類の野菜を栽培する岩﨑さん。キャンプとフジロックが好き。
年間10種類の野菜を栽培する岩﨑さん。キャンプとフジロックが好き。

見つめ直した自分の足元。

 『レイモンドファーム』の特徴のひとつは、農作業に関わるボランティアの多さだ。最寄り駅から歩いて15分程度というアクセスのよさと岩﨑さんの人脈で、その数は100人を超える。

 「労働力として当てにしているメンバーや近所のママさんなど、さまざまな人たちが来てくれていて、とてもありがたいです。大学時代に所属していた農業サークルのつながりも多いですね」

右下が農場のロゴのステッカー。「レイモンド」の由来は岩﨑さんの学生時代のニックネームなのだそう。
右下が農場のロゴのステッカー。「レイモンド」の由来は岩﨑さんの学生時代のニックネームなのだそう。

 実は、代々続く農家に生まれながらも、農業にさほど興味を持たずに育った。積極的に関わるようになったのは大学2年の時に農業サークルに入ってから。きっかけは2011年3月11日の、東日本大震災だった。当時は大学よりもレコード屋や古着屋に足繁く通う、あまりやる気のない学生だったという。そんなとき、夜勤のバイト明けで昼寝をしていたら、激しい揺れとともに棚のCDが残らず降ってきた。アルバイト先のスーパーに行き、品出しをしようとしても品物そのものがなく、することは何もなかった。「いつ、何があるかわからない。自分のことをちゃんと見つめなおして、意識してなにかに取り組んでみようって思いました」。

 いたのは子どもの頃から馴染んでいた「農業」だった。3つの農業サークルに入り、マルシェを開催したり、学校の裏山を開墾して野菜を作ったりした。「楽しかったですね。でも、何よりよかったのは人間関係が広がったこと。ボランティアに来てくれることもそうですが、当時のつながりが今でもすごくになっています」。

 大学卒業後は実家を離れて福祉の会社に就職。数年後に地元に戻り、引き続き福祉の仕事をするかたわらで趣味程度に畑を始めたところ、無人直売をきっかけに野菜が売れ始めた。「そこから農協の直売所にも出すようになって、売れるのが楽しくて少しずつ仕事としての割合を大きくしていきました」。

通り沿いの敷地に置いた、コインロッカー式の直売所。硬貨を投入することで野菜を買える仕組み。
通り沿いの敷地に置いた、コインロッカー式の直売所。硬貨を投入することで野菜を買える仕組み。

 今では売り上げも前職の収入に追いつくまでになった。この夏には、農業サークルに入っていた時に出会った奥様との間に待望の子どもが生まれた。「そのうち畑にも連れてきて、一緒に遊びたいですね」。

 もうすっかり高くなった秋の空から、トンビがひと鳴きする声が響いた。

ハサミを片手にナスの剪定作業。数を減らすことで、残ったナスがよく育つ。
ハサミを片手にナスの剪定作業。数を減らすことで、残ったナスがよく育つ。

農業はすごくない、でも、一生の仕事です。

 野菜の販売先は、スーパーが3割、農協の直売所が3割、自宅の庭先に設置した直売所が3割。あとは学校給食や飲食店へのだ。「納品に回るだけでほぼ半日かかることもあるし、時間の約束もあるので、本当に時間との勝負です」。

ひと袋に入れる量と値段のバランスが売り上げを左右する。
ひと袋に入れる量と値段のバランスが売り上げを左右する。

 スーパーへの納品は毎朝。到着時間を逆算して、早いと早朝4時前から収穫と袋詰めをする。夏のピーク時は畑に来るのが2時や3時だ。追加で行けるときには、朝だけでなく日中や夕方にも再度納品に行くという。もちろん畑仕事も待ったなし。しかし、「農業は大変だとは思ってほしくない」と岩﨑さんは強調する。「農業をやっていると、『すごいね、えらいね』と言われがちなんですけど、別に特別じゃないし、尊いことをしているわけじゃない。普通の産業と変わらないんだと伝えていきたいし、そのためにもしっかりと稼ぐ姿を見せていきたい」。

用途に合わせた2種類の農薬散布機。
用途に合わせた農薬散布機。

 これまでは祖父の代に建てられた古いビニールハウスを使っていたが、生産効率を上げるため、近々建て替えも予定している。どうしたらより改善できるか? に頭を使い、先行投資することで売り上げもまだ伸ばせる余地があり、見通しも明るいという。「東京の農地は、高齢化や相続の問題などもあって、この辺りでもどんどんなくなっています。でもぼくはご先祖様にも申し訳ないし、自分の代では畑を減らしたくない。だから真面目に経営して一生続けていくつもりです。もしも将来、子どもが農業をやりたいと言ったときに『やめとけ』とは言いたくないですしね」。場所がどこであれ、農業は大地に根差した仕事。普通を淡々と続ける姿勢は父性に似て、たくましい。

岩﨑亮介さん 『レイモンドファーム』代表

稼働日のスケジュール

岩﨑亮介さん

繁忙期
6月〜7月
ピークは収穫の一番多い6月、7月。それ以外は安定して忙しいです(笑)。

収入は?
昨年の年商は430万円。目標は2年後までに700万円超えです。そうすれば年収でひとまず400万円に届くと思うので今のところ、いいペースできています。

農業で稼ぐには?
やることを明確にする「選択」と、決めたことに注力する「集中」です。種を蒔く時点で、理想の収量や売り上げをイメージすることも大切です。

記事は雑誌ソトコト2019年12月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

photographs by Mao Yamamoto
text by Atsuhiro Isoki

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