開かずの標本瓶 ー 標本バカ 第六十六話
2019.11.25 UP

標本バカ 開かずの標本瓶 ー 標本バカ 第六十六話

SUSTAINABILITY

 液浸標本は苦手だ。僕の研究室には、スタッフがたくさんいるわけでもなく、この体制で液浸標本を管理するのは無理と考えている。液浸標本はホルマリンやアルコールで動物全体を残すものだから、密閉度の高い容器であれば問題はないが、液が微量ずつ蒸発する。ガラスの瓶は優秀だが、プラスチックの安価なものは劣化して割れる。これまでに瓶の中で乾燥してダメになった標本をたくさん見てきた。定期的に液量を確認して補充する必要があるが、 1万点を超える数ともなれば、すべてをチェックするのも相当な労力だ。専門のスタッフなくして、完璧な管理は困難である。そのため入手した哺乳類は、極力毛皮と骨の乾燥標本として管理している。

 両生類や爬虫類では、液浸標本は一般的なものだ。国立科学博物館には、ある時代からこれらの分類群の専門管理者が不在となり、四足のよしみで陸生哺乳類の担当者が管理している。やるからにはちゃんとやりたいので、できるかぎりの時間を使って登録など行い、コレクション自体は立派になったが、これを永続的に管理できるかと思うと疑問を感じる。小型のものが多いのでよいのだが、中にはワニや大型のヘビといったものも含まれており、瓶のサイズも大きいものがある。

 先日、オオサンショウウオの研究者が来館して、当館の液浸標本を見ることになった。オオサンショウウオは1メートルを超える世界最大の両生類だから、瓶も非常に大きい。あまり使われなくなったが、古い時代のガラス密閉容器は、容器の蓋がすりガラスで接するようになっていて、30リットルの溶液を満たすものもある。すりガラスの部分にはワセリンなどの蒸発防止のための封入剤が塗られており、数十年は開けたこともないものでは、蓋が接着されていて、開けるのが困難だ。遠くから来た客なので、標本をじっくり手に取って観察してほしい。そこでこれらの瓶を数個開けてみることにした。開け方にはコツがある。

 まずは、ドライヤーで蓋の周りを温めてみる。封入に使用されているのはワセリンで、温度を加えれば粘りが少なくなり、中に入っているアルコールが熱で揮発することによって、「ポン」という音を立てて開封できる。ところが、大きい瓶ではそうはいかなかった。ガラス自体が分厚いために、ワセリンが塗布されている部分にまで熱が届かないらしい。それでも何とか、と思ってドライヤーをかけ続けたら、火を噴き始めた。これはまずい。

 仕方なく最後の手段を使うことにする。ひとつ30キロくらいはあると思われるオオサンショウウオの瓶を台車に載せて、別棟の地下作業室に持ち込む。ここで熱いお湯をかけてワセリンを溶かす。瓶は縦に細長く、台車の揺れで倒れたらおしまいである。注意深く輸送し、お湯をかけるのだが、下手をするとアルコールの揮発とお湯の熱で瓶が割れる恐れがある。こうして何とか2つの瓶を開けることはできたが、展示用に作られたひとつはどうしても無理だった。来客はそのひとつを除く標本を無事に観察することができ、満足そうに帰っていかれた。

記事は雑誌ソトコト2017年10月号の内容を本ウェブサイト用に調整したものです。記載されている内容は発刊当時の情報であり、本日時点での状況と異なる可能性があります。あらかじめご了承ください。

文●川田伸一郎
題字・金澤翔子

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川田伸一郎

かわだ・しんいちろう
1973年、岡山県生まれ。農学博士。国立科学博物館動物研究部研究員。2019年3月から6月まで同博物館で開催される「大哺乳類展2」の企画も担当。著書に『モグラ博士のモグラの話』『モグラ-見えないものへの探求心-』など。